浮き上がる者、沈みゆく者
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時を流れる大河の中で、人々は浮き沈みを繰り返す。
今回の戦でアデルは、周囲に実力を示し勝利を得て、歴史にその名を刻み込んだ。
これは無名からの急浮上といってもよい。
一方で株を落とし、急速に沈降していった家もある。
それは王国東部に位置する大貴族、ホフマイヤー伯爵家であった。
五千の兵を率いて数倍の敵を破ったアデルに対し、その倍にあたる一万余の兵を率いながらも敵の策に引っ掛かり、正面決戦に引きずり込まれて敗れたホフマイヤー伯爵家に対する非難の声は大きかった。
当主は討ち死にし、その子であるビヨルドが爵位継承と戦勝式典のために王都を訪れたが、彼に向けられる眼差しには、軽侮と嘲笑が多分に含まれていた。
父親同様、貴族としての選民意識の強い彼には、これは耐え難き苦痛であった。
嘲りの声は絶えず耳に聞こえ、懇意にしていた者たちも潮が引くように離れていった。
彼は自分とは逆に、尊敬や畏敬を集めるアデルに嫉妬した。
そしてその単なる嫉妬心が憎悪へと変わるのに、それほど時間は掛からなかった。
嫉妬、憎悪といった負の感情に狂ったビヨルドは、次第に自身はアデルによる被害者であるという妄執に取りつかれる。
---成り上がりの小僧に、自分の立場を思い知らせてやる。
自分は建国以来の名家、ノルト王国の大貴族が一人、ホフマイヤー伯爵なのだぞ、と。
ーーー
事件は三国同盟締結祝いと、今回の戦勝祝いを兼ねた式典の終わりに起こった。
式典自体は派手に、そして恙なく行われた。経済的効果及び、今回の件で軍事的な効果をもたらすと知れた同盟締結を表だって拒む者はいない。
ノルトの国王シルヴァルド、エフトの国王スイル、そしてネヴィルの国王であるアデルの三人が、式典後に行われる三王揃っての晩餐の席で、それは起きた。
給仕の者に椅子を引かれ、三王揃って椅子に座ろうとしたその時である。
アデルが座る椅子の上に、首輪……大きさからいって犬の物であろう首輪が置かれていたのだ。
誰かの度が過ぎた悪戯かなと少し驚きながらも、アデルはひょいとそれを指で摘み、椅子を引いた給仕へと渡した。
何事も無かったかのように、飄々と椅子に腰を掛けようとするアデル。
だが、そのアデルの摘まんだ物を見たスイルは、髪を逆立たせ、顔を赤黒くさせてシルヴァルドを睨んだ。
スイルはネヴィルの三兄弟とも親しい。それも、次男であるカインは義弟でもあり、今までも家族ぐるみの付き合いをしてきた仲である。
その彼に言わせれば家族同然のアデルが、自分の目の前で侮辱を受けているというのは、どうあっても許せない。
しかしそんなスイルよりも激怒したのは、シルヴァルドであった。
のちに彼は近臣たちにこう語ったという。
余は未だかつてこのような恥辱を受けたことは無い、と。
そのシルヴァルドの静かなる怒気を察したスイルは、この件がシルヴァルドの手によって行われたことではないと知る。
だが、怒りそのものが収まったわけではない。
シルヴァルドは、傍らに控える宰相ブラムを手招いた。
「誰がやったのかを調べよ。緊急かつ早急にだ」
その声に真冬のような凍てつく冷たさを感じたブラムは、初夏であるにも関わらず身を震わせた。
「はっ、直ちに……」
行け、とシルヴァルドが手で追い払うと、ブラムは弾かれたようにするすると後ろへと下がって行った。
「アデル殿。此度の失礼このシルヴァルド、誠に申し訳なく思っている」
そう言ってシルヴァルドは深々と頭を下げた。
国力差からいってノルト王国の方が遥かに大国。
その王であるシルヴァルドが自ら、新興の一小国に過ぎないネヴィルの国王に頭を下げたのである。
それを見て溜飲が下がったのか、スイルも怒気を鎮めた。
「何のことでしょうか? 何のことかさっぱりわかりませんが、シルヴァルド殿、頭をお上げ下さい」
アデルは謝罪そのものをなかったことにした。
こんなことで先程正式に締結したばかりの同盟関係に罅が入っても困るのだ。
アデルがそれでよいのならば、とスイルもまた先程のことには目を瞑ることにした。
こうして表面上は何事もなかったかのように、晩餐は進められた。
ーーー
晩餐が終わり、部屋へと戻ったシルヴァルドは荒れに荒れた。
常日頃の穏やかさは鳴りを潜め、語気は荒く、目を怒らせている。
「で、犯人は誰か?」
シルヴァルドの問いにブラムはまだ捜査中であると答えた。
「生まれてこの方あのような恥を搔いたことはない! 必ずや犯人を見つけ出せ! そやつをこの手で絞め殺してくれようぞ」
言い方は変だが、静かに荒れ狂うシルヴァルドを宥めながら、ブラムは机の上に置かれた犬の首輪を見る。
一体誰がこのようなことを仕出かしたのだろうか?
同盟締結に反対する者には違いないだろうと。
対等な同盟などと表向きは言っているが、所詮はネヴィルなどノルトの走狗に過ぎないという意味での犬の首輪か。
捜査は一見すると難航するかに見えた。
だが、思いのほかあっさりと犯人が見つかってシルヴァルド、ブラム共々拍子抜けしてしまう。
数日後、ブラムより犯人を逮捕、拘禁しているとの報告を受けたシルヴァルドは、執務室の椅子に座り、頭を抱えた。
「実に愚か、愚かしい振る舞いだ。嫉妬だと? 策謀でも何でもなく、単なる嫉妬による犯行だと言うのか?」
「はっ、ビヨルド・ホフマイヤーの言によれば、でありますが……」
「策謀の線は無いのか? スヴェルケル辺りが後ろで糸を引いているという線は無いのか?」
スヴェルケルはシルヴァルドの従兄である。
そして病弱なシルヴァルド亡き後の玉座を、虎視眈々と狙っている野心家でもある。
「その線はどうもなさそうです。スヴェルケル公とホフマイヤー伯爵は元々嫌い合っておりましたし……」
「似た者同士だからな。同族嫌悪というやつだ。二人とも選民意識が高く、尊大で傲慢。それに商圏が一部重なりあうから、その点でも快く思ってはいなかっただろう」
「ビヨルドが給仕の一人に多額の金を掴ませて、ネヴィル王の座る椅子に犬の首輪を置かせたのは間違いありません。厳しく責めたところ白状しておりますし、部屋から受け取ったものと思われる金を見つけております」
「その給仕の者は?」
「自害致しました」
そうか、とシルヴァルドは冷たく突き放すように言った。
勿論、その給仕の者は自害などしていない。始末したのだ。
「して、いかが致しますか?」
ホフマイヤー伯爵家、ビヨルドをどうするのかとブラムは聞いた。
「確か、ビヨルドはまだホフマイヤー伯爵家を正式に継いではおらぬはずだな?」
「はっ、式典を最優先としておりましたので、その類のことは後回しとなっております」
「ならば簡単だ。ビヨルドの爵位継承を認めない。他に適当な継承者が居らねば断絶とするがよい。いや、断絶させよ。やはりこの件は公表する。その上でネヴィル王国とエフト王国に対して正式に謝罪するとしよう」
シルヴァルドとしてはアデルとスイルと付き合う内に、このままこの事件を有耶無耶にして闇に葬り去るよりも、白日の下に晒して裁いた方が、二人の信頼を得られると判断したのだ。
それに他の貴族がこういった愚かしい行いをするのを防ぐ、という意味もある。
「ホフマイヤー伯爵家は断絶。ビヨルドは追放…………わかっているな?」
シルヴァルドの命を受け、ブラムは静かに目を閉じた。
数日後、拘禁している部屋の中で血を吐き、こと切れているビヨルドが発見された。
捜査の結果、テーブルの上の葡萄酒から毒が検出され、その毒酒を仰いでの自殺と判断された。
これについて事件の被害者であるアデルは口を噤んだ。どのような形でこの事件が処理されようとも、これはあくまでもノルト王国内だけの問題であり、三国同盟に関しては全く関係がないという姿勢を貫いたのだった。
こうしてホフマイヤー伯爵家は断絶。広大な伯爵領は召上げられた。
そしてその召上げた元ホフマイヤー伯爵領の一部を、ティガブル城を守り抜いたブレナン伯爵を始めとする功績者たちなどに分け与えた。
アデルと共に戦ったグリムワルド、アムドガルの両男爵は陞爵し子爵となった。
そして没収したホフマイヤー伯爵家の財宝の数々が、戦功だけでなく謝罪の意味もを込めてアデルへと贈られた。
そのあまりに膨大な財宝の数々に目を白黒とさせたアデルだが、それらを全てシルヴァルドに返却した。
その代わりにアデルは、シルヴァルドにひとつお願いをしたのだった。




