凱旋式と毛皮
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王都リルストレイムは、未だかつて無いほどの混雑ぶりを見せていた。
通りに面した店にも屋台も大繁盛。呼び込みの声にも一層熱が入る。
王都に入れなかった民衆たちは、王都の城門へと続く街道沿いに集まって、ある人物をまだか、まだかと待ちわびている。
ノルト王国の民衆たちが待ちわびているその人は、この国の人間ではない。
「黒狼王はまだなのか?」
「俺はペンシェの街から夜通し駆けて来たんだ。黒狼王をこの目で見て、帰ったら自慢してやるんだ」
「もうそろそろだぞ。前の方から歓声が聞こえ始めたからな」
凱旋式が始まった。その先頭を行くのは、この国の王であるシルヴァルドであった。
オープントップの馬車に深く腰を下ろした王は、民衆たちに軽く手を上げた。
民衆たちから歓声が起こる。しかしそれは、あくまでも自国の王に対する礼儀的なものであり、熱量は低い。
無論シルヴァルドは、そのような些細なことを気にするような王ではない。
王家に対し、一定以上の敬意が払われていればそれでよい。
それに民衆たちのこの反応は十分に予測できたことである。
シルヴァルドとそれを護る精鋭部隊が通過すると、今度はエフト王スイルの番である。
今回の戦では、スイルははっきり言って何もしていない。
それはシルヴァルドも同様ではあるのだが、というよりも、今回はアデルがやり過ぎたという見方も出来る。
理想を語るならば、今回の戦で新たに盟約を結んだ三国の王が肩を並べて、敵であるガドモア王国軍を討ち破りたかったが、アデルが敵を一人で片付けてしまったのだ。
辛うじてノルト王国はアデルに付随させた部隊もあったために、二ヶ国連合で敵と当たったと言えるわけだが、民衆たちにとってみればアデルの戦功があまりにも眩しすぎて、そういった細かい部分にまで目がいかない。
スイルが通過する際にも、民衆たちから歓声が上がったが、シルヴァルドの時よりも大分小さい。
民衆たちにとってみれば、新興国であるエフト王国との同盟の効果が如何ほどのものなのか、それがわからぬ以上、自国の王に恥をかかさぬよう最低限の儀礼的な歓声を上げたに過ぎなかったのだ。
スイルは馬鹿でも愚かでもない。子供の時分からネヴィルの三兄弟と親しく接しており、それによってかなり感化されている。
思考も柔軟で、今の自分の立場を客観的にとらえるだけの器量も備えていた。
なのでこの熱のこもらない歓声に対しても、笑顔を浮かべて民衆たちに手を振った。
そしていよいよアデルの番となった。
シルヴァルドやスイルと同じく、アデルはノルト王国が用意した凱旋用のオープントップの馬車に腰かけていた。
衣装はこの王都に足を踏み入れた時と同じく、黒を基調とした狼の毛皮を身に纏っている。
「熱い……もう五月だぞ……毛皮はやっぱり無理があるだろう……」
額に薄っすらと汗を掻きながら、アデルは眉間に皺を寄せた。
それを見て馬車に同乗するトラヴィスは、
「陛下、今しばらくの辛抱です。お召替えの準備も整っておりますゆえ……」
「なら、最初からその衣装で良かったんじゃないか?」
「いえ、民衆は黒狼王に声援を送っているのです。そんなことは、陛下ならばお分かりでしょうに……」
無論、アデルもそのことは承知している。そして異名というものは、箔を付けるにはかなり有効であることも。
「ここでまたその衣装を纏うことで、黒狼王の名を世に知らしめましょう。黒狼王、実に勇ましき響きではありませぬか。前王陛下の御異名であらせられる黒豹にも、まったく引けを取りません」
トラヴィスがいくら褒めても、アデルはむっつりと押し黙ったままであった。
アデルにとってみれば、実力も実績もまだまだな自分に、大層な異名など気恥ずかしくてたまらないのだ。
「あ、ほら、陛下! 若いご婦人方が手を振っておられますよ。笑顔で手でも振りかえしておあげなさい」
「いや、いい。何だか手を振りかえしたら、調子に乗って盛っていると言われそうだし」
そんなことはないでしょうと、トラヴィスは言うも、アデルは不機嫌そうに真正面を向いたまま。
しかしそんなアデルの視界の隅に、年端もいかぬ小さな少年少女たちが一生懸命に叫んで手を振っているが見えた。
凱旋式が始まってから初めてアデルの顔に笑みが浮かんだ。
アデルは身を翻して、子供たちに笑顔で手を振りかえす。
今、アデルはまさに時の人。何をやっても好意的に受け入れられる。
民衆たちは幼い子供たちに笑顔で手を振りかえすアデルを見て、より一層熱の入った歓声を浴びせた。
年頃の女性たちの黄色い声援に靡くことなく、しかしながら子供たちには限りなく優しい。
そんなアデルの姿が民衆たちの目には、孤高を貫きつつも弱き者には慈悲深い、それは自分たちが名付けた黒狼王の名に相応しい、異国の武威を誇る王者として映ったのだ。
遥か後方より、大気そのものを震わせるような巨大な歓声を聞いて、シルヴァルドは馬車に揺られながら一人、愉快そうに笑った。
スイルもまた、アデルには……あの三兄弟には敵わぬと、笑いながら頭振った。
話は少し変わるが、実はアデルの身に纏っている狼の毛皮の色は、厳密に言うと黒ではない。
色彩として正確に表すのであれば、黒ではなく極度に濃い紫色である。
これはネヴィル王国では黒色の染料が取れない、というよりもこの時代にはまだ真の意味での黒色の染料が見つかっていなかったのだ。
なのでアデルが身に纏っている狼の毛皮は、セイヨウムラサキの根から取った染料で何度も何度も根気よく染め続けて色濃く染めたものである。
そのためアデルはよく近臣たちに、この毛皮を身に纏う際にこう言ったという。
「これ、厳密に言えば紫色だよな。それじゃ、黒狼王じゃなくて紫狼王じゃないか。何だか恰好つかないなぁ……それに、何だか騙してるみたいでなぁ……」
その度に近臣たちは、遠目からならば黒く見えます、と言い宥めたという。
ちなみに赤狼公カインの纏う狼の毛皮は、セイヨウアカネから抽出した色素で染められている。
しかしながらこれも染料技術がまだまだ未発達なこともあり、赤というよりは赤黒いと言うのが正しいといった色となっている。
そして白狼公トーヤだが、白色の染料というものはそもそも存在せず、よって毛皮を白く染めることは出来ない。
なのでトーヤは毛皮なんて要らないと言ったのだが、トーヤによってすでに毛皮を身に纏わされていたアデルとカインがそれを許さなかった。
何とか白い狼の毛皮は無いものかと二人は探したが、白い狼の毛皮を見つけることは出来なかった。
表向きはトーヤ一人を仲間外れには出来ないと言って、二人は執拗なまでに白い毛皮を探し求めた。
そしてついに白い毛皮を見つけたのだが、それは狼の毛皮では無かった。
「これ、この毛皮……どう見ても熊じゃん! それも白熊だよ! これじゃ白狼じゃなくて、白熊だよ!」
トーヤは詐欺だ、と猛抗議するも、
「仕方ないじゃないか。白い狼なんて滅多にいないんだから。それにぱっと見ならわかりゃしないさ」
「そうそう。それにその毛皮、滅茶苦茶遠くから取り寄せて、滅茶苦茶値が張ったんだぞ。いやーでも安心した。これでお前も俺たちと一緒だ。ふふふ」
アデルとカインは強引に、白熊の毛皮をトーヤに着させた。
「よっ、白狼公! 似合ってるぜ!」
と、カインが無責任に囃し立てる。
「いっその事、白狼公から白熊公に改名するか?」
一方のアデルはといえば持ち前の生真面目さからか、とんでもない提案を投げ掛けて来る。
「やだよ! 何で一人だけ熊になんなきゃならないんだよ! ああ、どうしようこれ……もし誰かに突っ込まれたら、どう言えばいいんだ……」
最終的にトーヤはこれを受け入れた。そして生涯この毛皮を見る度に、これは狼の毛皮なのだと言い張ったという。




