銀の雷光
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撤退するガドモア王国軍は、前方からゆっくりと近付いてくる騎影を捉えた。
だがそれに驚き、慌てふためくことはなかった。
この時代の国境線はかなり曖昧ではあるが、それでもすでにここはガドモア王国内。
前方から来るのは友軍である。敵が来るとすれば、それは後ろからである。
敗軍の将であるバリス伯を始めとする将の顔は苦々しいものがあるが一方、兵たちはというと負けであろうと何であろうと、こうして無事に国に帰れたことで安心しきっており、その隊形も乱れがちとなっていた。
その弛緩した空気を敏感に肌で察したギルバートは、友軍のふりをして近付きつつ、ゆっくりと敵に気付かれぬように突撃隊形へと移行する。
「バルタレス、露払いを頼む」
「はっ、お任せあれ!」
ギルバートは先頭をネヴィル王国軍屈指の猛将に譲った。
ギルバートを始め多くの者が槍を用いているのに対して、バルタレスの得物は巨大な戦斧である。
この戦斧を時には片手で軽々と振り回す膂力は、まさにネヴィル王国一である。
この化け物じみた猛将が繰り出す一撃の前には、盾も兜も鎧もまったくの無意味である。
防具の上から叩き斬られるか、もしくは叩き潰されるかである。
「卿が二、三人叩き斬れば、敵兵はたちまち算を乱して逃げ惑うに違いない。その隙を突いて敵将の首を狙う。主将以外の首は要らぬ。討ち捨てい」
徐々に互いの距離が縮んでいく。
お互いの先頭の顔がはっきりと見える距離になってやっと、ギルバートは全軍突撃の号令を掛けた。
突如土埃りを上げながら突撃隊形で突っ込んで来る騎兵に、ガドモア王国軍はまったく対応出来ずにいる。
一体何が起こったのかと呆然と立ち尽くす敵兵に、無慈悲なバルタレスの一撃が下される。
兜ごと叩き割られた頭から、血煙が上がる。
それに遅れること数瞬、槍先に掛けられた敵兵が絶叫を上げながら息絶えていく。
バルタレスは片手で手綱を捌きつつ、もう片方の手のみで戦斧を右に左に振っていく。
轟音を生じながら振り下ろされる必殺の戦斧は、何が起こっているのかわからずに、その場で立ち尽くす敵兵を薙ぎ倒していった。
同士討ち? 味方がなぜ? 敵兵たちはわけもわからず、ただ恐怖から逃れようとする本能によって、武器を放り捨てて馬群から逃れようと逃げ惑う。
「見えた! あれは白馬将軍の旗だ!」
この当時の陣法において撤退戦では、敵の追撃を防ぐため後衛に最精鋭を置き、司令官である主将は前衛ないし中衛に置くのが定石であった。
アデルはバリス伯が撤退するにあたって、逆撃体勢を取りつつ退いたのを見て、定石通り後衛に最精鋭を置いていることを見抜いていた。
だとすれば、司令官であるバリス伯が居るのは中衛ないし、前衛である。
アデルはバリス伯が居るのは、前衛であると睨んでいた。
損害は大したことは無くとも、これまでに何度も煮え湯を飲まされ続けて来たバリス伯は、相当に用心深くなっているはず。
ならば最精鋭部隊を後衛に置いて、さらに用心を重ねて中衛ではなく前衛に自らを置いて、追撃して来た敵に当たるのではないかと考えたのだった。
このアデルの読みは、どんぴしゃりと当たった。
バリス伯は前衛にその身を置いていたのである。
虚をつかれたのは兵だけではない。主将であるバリス伯もまた、突然の攻撃に混乱していた。
「何だ? 一体何が起きている? まさか、北候が裏切ったのか?」
この時点でなお、バリス伯は自らに迫りくる敵の正体に気付いていない。
それもそのはず、何故ならばバリス伯の頭の中では、敵は北から……すなわち後ろから来るのだから……。
「白馬将軍ことバリス伯爵とお見受けするが、如何に?」
ギルバートが槍をしごきながら前に出た。
「下郎め! 北候の手の者か!」
前に出たギルバートを値踏みするように見ながら、バリスは周囲をちらりと見る。
すでに味方の兵の大半は敵騎兵によって蹂躙され、逃げ散っている。
供回りの騎士たちもそれぞれ敵に阻まれており、容易には近づけぬ有様であった。
背を見せて一目散に、後方に控える中衛まで逃げるか? それともこの場に踏みとどまり、駆けつけて来るであろう中衛を待つか?
選択肢は二つ。だが、バリスにとって選択肢はただ一つしかなかった。
ガドモア王国の大貴族としての矜持と、これまでに築き上げた武勲と名声が逃亡を拒否したのだ。
「我はネヴィル王国大将軍ギルバート! いざ、尋常に勝負!」
「ふん、青二才が生意気な! ネヴィル王国だと? 知らぬ名だ。だが、何にせよ我が槍の錆びにしてくれようぞ!」
ギルバートは三十を少し越えたあたり、初老のバリスから見れば青二才ではあるが、かつてノルト王国との戦いでは敵兵から、白豹と畏れられるほどの武辺者である。
対するバリスも、数々の戦場で自ら槍を振るってきた古強者の剛の者であった。
二十メートルほどの距離で相対した二人は、ほぼ同時に馬腹を蹴った。
すれ違いざま、ギルバートは槍を突き、バリスはそれを柄で払った。
一合目は小手調べ。だが、それだけで互いの実力が知れた。
熱気を伴う熱い汗を掻くギルバートに対して、バリスはねっとりとした油気のある冷たい汗を流していた。
たったの一合で、バリスはギルバートが恐るべき槍の使い手であると悟ったのだ。
「参る!」
「来い!」
馬首を翻した二人は、再び槍を構えて馬を駆った。
ギルバートは当然攻め。対するバリスは、防御の構え。
バリスはギルバートとまともに張り合っても敵わぬと見て、味方が駈けつけるまで防御に徹して時間を稼ぐ腹積もりであった。
「まさか先程の一撃が、俺の本気だと思ってはいまいな?」
「なに?」
二合目となるすれ違いざまにギルバートが放った突きは白昼の雷光の如く、バリスの槍を跳ねあげ銀の軌跡を描きながら、鎧と兜の隙間の喉首に吸い込まれていった。
そのまま首を半ばまで切り裂かれたバリスは、真っ赤な血を地面に撒き散らしながら落馬、絶命した。
ギルバートはバリスの死体に馬を寄せると、サッと飛び下りてその首を剣を抜いて落とした。
「敵将討ち取ったりーーーっ! 目的は達した。退きの喇叭を!」
味方の騎兵が喇叭を吹いている間に、ギルバートはバリスの首を鞍に結んだ。
降りた時と同じように、重力を無視するように颯爽と馬に飛び乗ったギルバートは、集まった味方を指揮する。
「殿はザウエル、左はグスタフ、右はシュルトが固めよ! ブルーノ、ゲンツ、二人とも生きてるな? 俺から離れるなよ。よし、では予定通り敵陣を左に抜けて撤退する。急げよ、敵の中衛がすぐそこまで迫っている」
矢継ぎ早に指示を出したギルバートは再び全軍の先頭に立った。
再び突撃隊形を取った連合軍追撃部隊は、今なお逃げ惑う敵兵を無視して左に突破、そのまま西へと去って行った。
ーーー
「暇だな……話し相手がいないというのは……あの二人、無事だろうか?」
ティガブル城の一室で、アデルは味方の帰還を待ち続けていた。
今回の待ち伏せ部隊には、アデルと数名の連絡のために残した騎兵以外の全ての騎兵を送り出している。
近衛であるも半人前のブルーノとゲンツすら送り出したところを見ると、いかにこの時のアデルが敵将の首を欲していたかが窺い知れるといえよう。
「どうしても歳のせいで嘗められるからな……今回の勝利に加えて名高き敵将の首の一つでも取れば、今後は何かとやりやすくなると思うんだが、どうかな?」
アデルは空に問いかける。当然返事は返ってこない。
はぁ、と大きな溜息をつく。
「ブレナン伯が本隊に伝令も送って、城の修復もやってくれるおかげで、何もやることがない……味方の勝利を祈ってただ待つというのは、辛いな……」
アデルを狂喜させる勝報が届いたのは、それから六日後のことであった。
更新出来ず、大変申し訳なく思っております。言い訳をすると、猛威を振るうコロナのせいで変に仕事が忙しく、先週休日が取れず書く時間が無くて…………。
次の日曜は休めそうなので、多分滞ることなく週一更新出来そうです。




