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撒き餌を撒く

 

 ザウエルが戦場跡から味方の旗を持ち帰ると、アデルはルノア湖跡へと向かうネヴィル王国軍の将兵らに、鎧兜を脱ぐように命じた。

 鎧兜を脱いで落ちた防御力を補うべく、馬車を解体したり、森で拾った木を束ねたりして即席の盾を数多く作り兵たちに持たせた。

 準備が終わると直ぐにルノア湖跡へと向かった。ただし、向かったのはネヴィル王国軍のみである。

 グリムワルド、アムドガルの両名とシルヴァルド王から託されたノルト兵らは、まだアグの村の付近に留まっている。

 ルノア湖跡へと到着したアデルは、自ら泥土の中に素足で入っていった。


「うん、子供の俺でさえ踝まで沈むんだから、馬など入ろうものならば足を取られて転ぶか、身動き取れないに違いない」


 アデルはそのまま、ねちゃねちゃと足に絡む泥の感触を確かめると、撒き餌を撒けとギルバートに命じた。

 次いでアグの村のそばで待機するノルト王国軍に伝令を遣わせ、毎日五百人ずつこちらに向かわせるように命じた。

 命を受けたギルバートは、ティガブル城を囲むガドモア王国軍に向けて、偵騎を盛んに放った。

 それもわざと敵に見つかるようにである。

 予定通りほどなくしてこの偵騎はガドモア王国軍の哨戒網に引っ掛かった。

 そしてガドモア王国軍からも多数の偵騎が発せられると、すぐにアデル率いる連合軍遊撃部隊の存在が明るみとなった。


「なに? 敵が北に集結しているだと? して、数は? 何処の家の兵か?」


 偵騎の報告を受けた白馬将軍ことバリス伯爵は、若干の焦りの色を見せた。

 まさかこれほどまでに早く援軍が到着するとは、と。

 城攻めは決定打に欠け、一進一退の膠着状態。このままだらだらと無駄に時をかければ、駆けつけて来た援軍に後背を突かれることになりかねない。

 一旦攻囲を解くか? いや、攻撃の手を緩めれば、せっかく破壊した城壁も修復され、また一から攻撃をやりなおさねばならないだろう。

 決断に苦しむバリスの元に、別の偵騎が新たな情報をもたらした。


「北に集結する敵軍の正体は、先日我々が討ち破りし者たちにて御座います。敵軍が掲げる旗はどれも、先日の敵の家のもので御座いました」


 それを聞いたバリスは、今まで悩んでいた己を笑い飛ばすかのように大笑した。


「はっはっは、なんだ、つまりは敗残兵か。ならばそれほど恐れる必要はあるまいて。儂はてっきり、シルヴァルドの小僧めが来たのかと思ったわい」


 敵の正体がわかった以上、慌てる必要はない。クラーテ平原で対峙した敵軍の主力は、自慢の白鳳騎士団らによって壊滅させているのだから。


「閣下、ですがこう周りをうろつかれては目障りであります」


 本陣に詰める貴族の一人が意見する。その貴族の目は、自分にその敵の討伐と掃討をさせよと物語っている。この貴族の名はハビコム。爵位は男爵で、つい最近家督を継いだばかりの二十代後半の男である。


「ふむ。卿の意見はもっともである。しかしながら、ここで攻囲の手を緩めるわけにはいくまい」


 芳しくない城攻めのことを考えると、ここで多数の兵を残敵の寄せ集めごときに割くわけにはいかない。


「閣下、それならば某に考えが御座います。現在、城攻めに於いて閣下の白鳳騎士団他、騎兵たちが手持無沙汰であります。これらを基幹とするならば、攻囲している部隊から少数の兵を割くだけでよいのではないでしょうか?」


 確かに攻城戦に於いて騎兵の出番は著しく少ないといえる。はっきりいってしまえば、連れてきた白鳳騎士団を始めとする三千あまりの騎兵は、完全に遊兵となってしまっている。


「うむ。確かに卿の言には一理ある。よろしい、卿に我が麾下の白鳳騎士団と残りの騎兵を預ける。騎兵隊を率いるホーバス男爵が前衛、そして歩兵二千をハビコム男爵を後衛として、諦めの悪い敗残兵どもを今度こそ全員地獄へと送ってやるがよい」


「はっ、必ずやご期待に応えて見せましょう!」


「とは言っても、おそらくは閣下御自慢の白鳳騎士団の姿を見ただけで、敵は逃げ出しましょう。何せ白鳳騎士団の恐るべき力を一度その身にて味わっているのですからな」


 本陣に笑い声が満ちた。この時点で敵の正体を見破った者は皆無であり、誰もがただの敗残兵の寄せ集めだと信じて疑ってはいなかった。

 そこへまた新たな情報が飛び込んで来た。


「新たに五百名ほどの集団が、北に集まる敵軍に合流した模様!」


「これは厄介ですな。時間を置かずに早めに潰すべきでありましょう」


 手柄を焦っているのだろうか、騎兵隊を指揮する事になったホーバスは、今すぐに出陣命令をと目で訴えた。


「いや、逆に少し時間を与えて敵に集結させてやる時間を与えるべきでは? その方がまとめて始末出来ましょうぞ」


 こう進言するハビコムの考えはこうである。偵察による情報では現在北に集結する敵の数は二千に満たず。そこへ新たに五百が加わったとしても、このような小勢では騎兵隊の突撃だけでカタがついてしまう。

 それでは歩兵を率いることとなった自分は大した手柄を立てることが出来ない。


 二人の考えはどうあれ、決断を下すのは主将であるバリスである。

 バリスはしばらく二人の顔を見比べた後、決断した。


「ならば敵に一日の時間を与えて見る事とする。出陣は明日の朝、これでどうだ?」


 クラーテ平原の時とは比べものにならないほどの、何とも煮え切らない決断。

 やはりこのやや躓きつつある攻城戦が、バリス伯の勘を狂わせているのではないか、と両名は思わずにはいられなかった。



 ーーー



「陛下、五百名到着しました」


 その報告によろしいとアデルは頷きつつ、足元に跪こうとするギルバートを慌てて止めた。


「叔父上、最初の作戦通り前衛は我らネヴィル王国軍が務めます。この前衛で敵の騎兵を撃破、彼らノルト王国軍は残った敵の後衛部隊の歩兵に当たって貰いますのでよろしく。あと、ここでは跪かなくてよろしい。このとおり足元が悪いですからね。これも全軍に通達してください」


 戦う前に汚れていては、ここが泥深い湿地であると敵に気付かれてしまう恐れがある。

 敵を罠に嵌めるために、アデルは細心の注意を払っていた。


「陛下、煙幕の準備が整いました」


 枯れ木や枯草を集め終え、予定の場所に配置し終わったシュルツの報告。

 シュルツもまたアデルの足元に跪こうするが、ギルバートによって止められる。


「よろしい。シュルツ、卿はそのまま戦が始まるまで脇で待機せよ。敵の騎兵が配置した枯れ木を通過したら急ぎ火を点けるのだ。頼むぞ!」


「はっ、任せ下され!」


 次いでギルバートの元で偵察の手伝いをしていたバルタレスがやって来た。

 バルタレスは、アデルやギルバートと同じく鎧兜を脱ぎ捨てているにも関わらず、その巨体のために人よりも深く泥に足を取られるためか、一歩一歩、のっしのっしと近付いて来る。


「バルタレス、そのままでよい。立ったまま報告せよ」


「はっ、敵軍に動きがあった模様。陛下の読み通り、散らばっていた騎兵らが一か所に集結しつつあると」


「もう餌に食いついたのか。あんまりにもあっさりと引っかかってくれて、いささか拍子抜けした気分だ。まぁいいさ、上手く行っているのならばな……よし、グリムワルド、アムドガルの両名に伝達。すぐにこの地に集結するようにと」


「御意!」


 シュルツは来た時と同じく足取り軽やかに、バルタレスはまた猪のようにのっそりと御前を後にした。


「さて、賽は投げられた。もうすぐ陽が沈む。そうなると敵の攻撃は明日の朝以降かな?」


「夜襲の恐れは御座いませぬか?」


 こう言うギルバート自身、夜襲の可能性は極めて低いと考えている。

 何故なら、敵はこの地が湿地であることを知らないからこそ、地形的に圧倒的に不利な騎兵を主体として編成している。

 ということは、碌にこの周辺の地形の確認もしていないということである。

 地理不案内なまま敵に夜襲を掛けても闇に紛れて逃げられるだけであり、致命的な損害を与えることが出来ないことは、流石の敵も心得ていよう。


「一応念のために、夜襲に備えてはおこう。戦場では何が起こるかわからない。そうですよね? 叔父上」


「はっ、戦場は魔物とも申します。常に不測の事態に備えておくのが、武人の嗜みというもので御座いましょう」


 沈み始めたオレンジ色の太陽を見るアデル。

 明日のことを考えると今夜は眠れそうにない。

 不安や恐怖、期待と興奮。様々な感情が胸の内を駆け巡っている。

 それを察するかのように、ギルバートはアデルの横に並び肩に手を伸ばした。

 肩に添えられた手から、大丈夫だ。俺がいる。俺に任せろ、というギルバートの思いが伝わってくるような気がしたアデルは、間もなく沈みきる太陽に向かって深く頷いた。


 

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