黒狼王の作戦
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アデル率いる連合軍遊撃部隊が作戦行動を開始したころ、ガドモア王国軍はというと堅城と名高いティガブル城を攻めあぐねていた。
白馬将軍ことバリス伯爵は騎兵を用いた速戦こそ得意であったが、じっくりと腰を据えての攻城戦を何よりもの苦手としていた。
これは本人の能力がというよりも、性格の問題であった。
バリス伯爵は短気であり、さらに悪いことに癇癪持ちだったのだ。
「ええい、このような小城をなぜ落とせぬ! 辺境侯の、オルレアンの奴の軍はなぜ来ない? とうに援軍要請の使者は到着しておろうに。なぜだ!」
オルレアンとは、ガドモア王国の四大辺境侯の一人、北侯ことオルレアン・ロードリンゲン北部辺境候のことである。
「奴が二万、いや、一万でも兵を出せばこのようなちっぽけな城など、とっくの昔に陥落せしめることが出来たのだ! この儂が野戦においてこの地の敵を粉砕した今が好機だというのにだ! 奴は戦機というものを知らぬのか」
だが、いくらバリス伯爵が吠えても援軍は来ない。
北侯の元にはバリス伯爵の言う通り、随分と前に援軍要請の使者は到着していた。
だが北侯は、きっぱりと援軍は出せないと断っていた。
使者も手ぶらでは戻れない。粘り強く援軍の必要性を説いたが、北候は頑として首を縦には振らなかった。
それどころか、
「つい先日のことだが、我が領に大規模な賊が現れましてな…………村を三つほど、壊滅させられました。二度とこのようなことが起こらぬよう、領内の街や村に兵を配しておるので身動きが取れぬのです」
と弁明した。
これを聞いた使者は怒りで唇を噛んだ。
憤怒の色に染まる使者の姿を見た北候は、フン、と鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
北候の領内の村々を壊滅させたのは、他ならぬバリス伯爵率いる侵攻軍である。彼らは進路上にある村々で強制徴発という名の略奪を働いたのだ。
ノルト王国討伐のためであるという大義名分を盾に、北候の領内で略奪を働いたバリス伯らは、まったく悪びれもせず、さも当たり前のように北候に援軍を要請した。
やったこともそうだが、その態度に我慢ならない北候はバリス伯爵からの度重なる援軍要請を蹴り続けていたのだ。
これ以上は埒があかないとして使者が去ると、北候は数名の部下を呼んだ。
「あの者を生かして帰すな。途中で事故にあわれたのか、それとも件の賊に襲われたのか、兎にも角にもここには誰も来なかった。と、いうことにせよ」
部下たちは兵を率いてバリス伯の遣わした使者を追った。
使者に追いつくと、侯爵閣下は援軍をお出しになるようですと言葉巧みに騙し、人目につかぬところで始末した。
一方、バリス伯爵率いるガドモア王国軍に攻め立てられているティガブル城では、守将であるブレナン伯爵は、城壁の上に自らの身を晒しながら将兵たちを励まし、時には自ら弓を放ち、槍を振って戦ってみせて士気の維持に心を砕いていた。
「残念なことだが、こうして敵がこの城を囲んでいるということは、ホフマイヤー伯らは破れたのだろう。しかし皆の者、案ずるな。この城はそう簡単には陥ちはせぬ。それに今頃は陛下が兵を集め、救援のために急ぎ王都を発っているに違いない。ひと月だ。ひと月耐えれば、陛下が敵を蹴散らしてくれるぞ!」
将兵らを励ましながら敵陣を見る。それにしても敵の攻めが鈍い。
これまでの敵は定石通りの一辺倒な力押しだけであり、この調子ならば確実にひと月は耐えられるだろう。
それともこれは、我々を油断させるための罠だろうか?
ブレナンは疑念を払うように首を横に振った。
罠であれ何であれ、自分はこの城を死ぬまで守るだけなのだと。
ーーー
「これは酷いな…………」
百の騎兵を率いたザウエルは、ホフマイヤー伯爵らが敗れたクラーテ平原に到着した。
クラーテ平原に到着する前から、風に乗って死臭が運ばれて来ていたが、いざ着いてみると鼻で息をする事が出来ないほどの酷い臭気に襲われる。
死後、野ざらしのままの遺体には鴉や小動物、蠅などの虫が集り、腐り始めている傷跡には無数の白い蛆が蠢いている。
無念の死を遂げたであろう味方の死者たちに、短い黙祷を捧げた後、ザウエルたちは遺棄されたままの味方の旗を手早く集めると、長居は無用と急ぎその場を後にした。
アグの村の近くでザウエルの帰還を待つアデルは、大将軍ギルバート、バルタレス、グリムワルド、アムドガルの四将と作戦の検討を重ねていた。
「しかし、本当に敵は乗って来るでしょうか?」
グリムワルドの疑問に、アデルは大丈夫だと自信ありげに頷いた。
「必ず乗って来る。敵はホフマイヤー伯爵らを破って調子に乗っているだろう。勝利に多大なる貢献をした騎兵たちは特に……だが、攻城戦となると騎兵たちの出番は殆どない。そこに一度完膚なきまでに討ち破った、弱弱しい敵が現れたとしたらどうだ?」
「なるほど、遊兵と化して手持無沙汰の騎兵らは、再び楽に功名を立てんとして我々に食いついて来るというわけだな」
「そうです。そして取る戦法もおそらくは前回と同じ、騎兵による突撃のあとに歩兵が続くというものでしょう。一度それで完勝しているのですから、わざわざ変えようなどは思わないはず。そこでこの湿地に誘い込み、馬の足を止めます。機動力を奪われ、身動きの取れない騎兵など恐れるに足らずというわけです」
「ですが敵も騎兵だけ送り出してくるとは限りますまい。敵の歩兵に対する策はおありなのでしょうか?」
「安心したまえアムドガル卿。騎兵が突進すれば、後続する歩兵との間に大きな隙間が出来る。この隙間を利用し、枯れ木や落ち葉を焼いて煙幕を焚くのだ。前方の視界を遮られた歩兵らは、進むのを躊躇うだろう。無理に進めば目と喉をやられる上に、下手をすれば同士討ちの可能性すら生じてしまう。この煙幕が晴れる前に騎兵を処理すれば、勝ったも同然。後は動揺して背を見せて逃げる敵を、ただただ斬り捨てるだけになろう」
四将の頭の中にもその光景がありありと浮かんで来る。
「もっとも、これは局地的な勝利に過ぎない。思っているほどには、敵軍にも大した損害を与えることは出来ないだろう。だがこの戦術的には大したことの無い小さな勝利が、戦略的には大きく響いて来るのだ。敵は選ばねばならない。我々を全軍を以ってして倒すか、それとも無視して城を攻め続けるか、それともまた兵力分散の愚を冒すか…………」
「敵が全軍を率いて向かって来れば我らは撤退し、敵をそのまま引き摺り回し、無視するのであれば後方から嫌がらせを仕掛ける。そして兵力を分散させて来たら、各個撃破するというわけだな」
「その通りです叔父上。ここでも我々の機動力がものをいいます。本気で逃げる我々を、敵は絶対に補足出来ないでしょう」
そこまで見越してこの編成を? とバルタレスが聞くとアデルは、
「進むも退くも速い方が便利でしょう?」
と笑った。
今回アデルが参考にしたのは、西暦1314年にスコットランド王国とイングランド王国との間に起きたバノックバーンの戦いである。
これは数で劣り、歩兵主体のスコットランド王国軍が、圧倒的な強さを誇るイングランド騎兵を湿地帯に誘き出してその機動力を奪い勝利した戦いである。
アデルはスコットランド軍と同じく、ガドモア王国の騎兵を湿地に誘い込み撃破するつもりであった。
また、突進する騎兵と後続する歩兵との間で煙幕を焚いて敵兵力を分断するのは、西暦1241年に起きたモンゴル帝国のヨーロッパ遠征軍と、ドイツとポーランドの連合軍との間で起きたレグニツァの戦いで、モンゴル軍が用いた戦法をそっくりそのまま流用したものである。
煙幕によって敵兵力の分断と足止めに成功したモンゴル軍は、まず騎兵を撃破し、のちに歩兵を撃破して見事な大勝利をおさめている。
「まぁ、やるだけやってみようか。駄目だったら、尻尾を巻いて逃げるふりをして、敵を引きずり回せばいいだけだしね」
そう余裕ぶっていても、やはり不安はある。
そんなときアデルはポケットをまさぐり、一枚のハンカチを取り出すのが癖になっていた。
そのハンカチに刺繍された小さな花。その歪な花びらを見ると、自然と笑みがこぼれ出す。
そして小さな薄雪草の花を見るだけで、無限に勇気が湧いて来る気もするのだった。
喘息の発作が治ったと思ったらまた出て来るんですよ。
鬱陶しいことこの上ないです。




