暗雲が立ち込める軍議
軍議を終えたアデルは、自室に戻ると直ぐに近臣たちを集め、事情を説明した。
「なるほど、そうなると春を待ってから使いを出すというのは、遅すぎますな……」
部屋にいるのは捕虜返還により戻って来たネヴィル家筆頭家老であったダグラスと、同期の家老であるグスタフ、そして外務大臣のトラヴィス、近衛騎士であるブルーノとゲンツ、アデルを含めて六人であった。
「今は一月の下旬に入ったところ。明日にでも使いを出せば、二月の頭にはエフトに……中旬過ぎにはネヴィルに着くことが出来ましょう」
グスタフの意見にアデルは首を横に振る。
「危険だ。年が明け新春とはいえ、まだまだ雪深い。雪の山道を行くのは……」
「何を柔いことを仰られますか! ここは臣にお命じ下され、命に変えましても必ずや任を果たして見せましょうぞ!」
そう言ってダグラスは両手の手のひらで、机を叩きつつ立ちあがった。
「しかし、ダグラス……お前はやっとのことで解放されて戻って来たばかり。そんな危険な任務に……」
「あはははは、そのようなお気遣いは無用に御座る。このダグラス、あの戦いにてすでに命は失ったものと心得ておりますれば……さぁ、今すぐにでも御命じ下され!」
アデルはダグラスに気圧されつつも、首を縦には振らない。
そんなアデルに業を煮やしたダグラスは、同僚のグスタフの口添えを求めた。
「……陛下、おそれながら申し上げます。ここはダグラスを行かせるべきでありましょう。雪に閉ざされているとはいえ、ノルトとエフトとの間で、まったく交易が行わなれないということはありますまい。エフトの商人たちに金を握らせ、道案内させれば安全とまでは言えませぬが、行けるのではありますまいか?」
「陛下、このトラヴィスも同じ意見で御座います。我が国は試されております。同盟という名を借りた口ばかりの従属か、あるいは肩を並べ苦楽を共にする間柄となるか…………そのためには次なる戦で、小なりとも功を立てねばなりませぬ。出遅れてはそれも叶わぬかと…………ダグラス卿を行かせたくないとお考えでしたら、臣に御命じ下さい」
「…………わかった」
三人の重臣に押され、アデルは不承不承頷いた。
話し合いの結果、やはりダグラスが行くこととなった。
「雪が融け、軍が通れるようになったらば、火急かつ速やかに派兵可能である最大兵力を送るようにと伝えよ。そう言えば二千人は来るだろう。それと途中エフト王国に立ち寄り、スイル王に会ってこう伝えよ。前々の計画通り、春に貴国もノルトと同盟し晴れて三国同盟が成立するわけだが、この際にまとまった数の兵を伴って来られよと。同盟締結後すぐにノルトの防衛に力を貸せば、ノルトの貴国に対する心証も良くなり、結果として以後の発言力も増すだろうと」
「はっ、必ずやお伝えいたします」
ダグラスの供に兵を十人ばかし付けてやる。
その十人は皆、ダグラスと同じく虜囚となっていた者たちであり、ダグラスが危険を冒して本国へ戻ると知ると、進んで供を申し出た者たちであった。
アデルはトラヴィスらと経路の確認や防寒に不備はないかなど、入念に準備を進め彼らを送り出した。
送り出す際にも王都リルストレイムの外まで自ら見送りに出た。
「無理はするな。人命優先で行動せよ」
「お任せあれ! 陛下は我らが越えます山のように悠然と構えながら、春をお待ち下され。必ずや陛下の元に一軍を連れて参りましょうぞ」
まるでアデルの心中を表しているかのように、鉛色の重苦しい空の下、君臣は別れを告げた。
「我々も動くぞ。グスタフ、兵を使って買い物に行ってくれ」
「はっ、して何をご用意すれば?」
「馬車だ。このリルストレイム、いや近郊中から馬車を集めよ。金は幾らかかっても構わん。買っても、借りてもいいから兎に角たくさん、一台でも多く集めよ」
「はっ、承知致しました! しかし、馬車など集めて何をなさるつもりで?」
グスタフの疑問に対し、アデルは口許に不敵な笑みを浮かべた。
「機動力の確保さ。やるとなったら徹底的にだ。いの一番に援軍に駆け付けて、我が国の存在をアピールしないとな」
羽柴秀吉は俗に云う中国大返しの際に、重い装備などを船を用いて海上輸送して兵の負担を和らげることで、行軍速度を上げたという。
アデルはこれをもとにして、船を馬車に置き換えて行軍速度を上げようと目論んでいた。
将兵共に身軽になって駆け、味方の進軍による渋滞に巻き込まれる事無く、戦場で一番に姿を見せる事で、戦地で行われるであろう軍議においての発言力を確保するのが目的である。
「我が国は小国であるがゆえに、味方からも舐められるだろうからな。損な役回りを引き受けさせられないためにも恩を売り、ある程度の幅を利かせられるようにはしておかないと…………」
アデルはシルヴァルドらと連日、迎撃計画を練った。
概案として、アデルの希望もありネヴィル王国軍が到着次第、援軍の第一陣として送り出されることが決定した。
「くれぐれも無理はせぬように。出来れば膠着状態にして時間を稼いで欲しい。エフト王国と同盟締結をしたらすぐに、余自らが第二陣を率いて向かう」
「わかりました。それで、想定される敵兵力は?」
「集積されつつある兵糧などから見積もって、およそではあるが一万五千から三万程度だと思われる」
「それらを率いる将は?」
「今のところ不明だ。規模からいって、愚王自ら率いるということは無いだろうな」
「愚王が率いて来るならば、どんなに楽なことか。まぁ先の戦で懲りているでしょうから、まず間違いなく出てこないでしょうね。それで、こちらの兵力は?」
アデルの問いに、宰相ブラムが広げられた地図の上に大小様々な駒を置いていく。
「まず、敵の主目標であるティガブル城。この城にはブレナン伯爵が詰めております。兵力は三千といったところでしょうか。この城が陥落しますと、この辺り一帯の支配権を奪われかねません。非常に重要な城であるといえましょう。この城を守るためにはここ、城の南に広がるラドニア平原に布陣するしかありませぬ。周辺の貴族たち全ての兵力を合わせても一万弱。極めて不利であると言えましょう」
「城兵と合わせても一万三千。敵の推定戦力のそれも最低限で見積もった兵数よりも少ないのか…………いっそのこと、城を囲ませてしまった方が良いのでは? その上で背後で蠢動して城攻めに集中させず時を稼ぎ、援軍と合流したのちに改めて決戦するというのは?」
アデルの献策は至極もっともであるとシルヴァルドは認めるものの、それは多分無理でだろうと面白くなさそうに鼻を鳴らした。
「城外の戦力を纏めるのはおそらくホフマイヤー伯であろう?」
「そうなりますな。だとすれば、あの古風で頭の固い老人は柔軟な策を取れますまい。こちらとしては、愚かにも援軍が来る前に敵の挑発に乗り、一戦交えぬよう祈るばかりですな」
そう言うブラムの声も表情も硬かった。
「なのでアデル殿……貴殿にお願いする。戦場に到着したらホフマイヤーめに軽挙妄動させぬよう、貴殿の力をもって掣肘して頂きたいのだ」
このシルヴァルドの要請に対し、アデルは露骨に顔を顰めた。
「話を聞けばそのホフマイヤー伯爵とやら、格式などを重んじる御仁であるとお見受けします。であれば、新興である我が国のことなど歯牙にもかけないのでは?」
「おそらくは貴殿の言う通り、ホフマイヤーめは貴殿を軽んじるであろうな。しかし彼の者は兎も角、その率いる兵力を失うと、数の上で厳しい戦いになるやも知れぬ」
アデルは一つ大きな溜息をつくと、出来るだけ善処してみます、とだけ答えた。




