再会
同盟締結祝いの宴も宴もたけなわとなった頃には、アデルはいささかの疲れを見せていた。
すでに同じく子供であるヒルデガルドは退席している。
アデルと同じように病弱なシルヴァルドもまた、その顔に疲労の影が見え始めていた。
それを見た宰相ブラムが、宴の終わりを告げた。
ーーー
先に自室に戻ったヒルデガルドは、侍女たちの質問攻めにあっていた。
編んだ髪を解き、櫛を通す間ずっと、侍女たちはヒルデガルドに話しかけていた。
年頃の少女たちは、異国の少年王に大層興味を持っているようであった。
それはヒルデガルドも同様であった。ただしヒルデガルドがアデルに対して持った興味は、侍女たちのそれとは少しベクトルが異なっていた。
侍女たちの興味は、主にアデルの容姿に対してであったが、ヒルデガルドとしては容姿などよりもその行動や言動の方がよっぽど興味深かったのである。
「口が狼のように耳まで裂けているというのは本当ですか?」
侍女の馬鹿げた質問に対してもヒルデガルドは、笑って答えた。
「そんなわけないじゃない。普通よ、普通。わたくしたちと何も変わらないわ」
「お言葉を御交わしになられましたのでしょう? どのようなことを……」
「挨拶を交わしただけよ。ああ、でも……まるで学者のように博識であらせられたわ」
ヒルデガルドは侍女たちにアデルが話した内容を教えたが、それは特に彼女たちの興味を引く内容では無かったらしい。
キョトンとする侍女たちを見て、ヒルデガルドはおかしくなって吹き出してしまう。
「ネヴィルの王様って、もしかして食いしん坊さん?」
ある侍女が発したこの一言がいけなかった。
ヒルデガルドも侍女たちも、はしたないとは思いつつも腹がよじれるほどの大笑いをした。
ーーー
翌日、アデルは朝食を済ませた後に、懐かしい顔ぶれと再会を果たしていた。
それは長らく虜囚となっていたネヴィル家最古参の臣であるダグラスであった。
「お館様の御命を御救いすること叶わず、最早弁明の余地すら御座いませぬ。いかようにも御処罰くださいませ」
地に額を擦りつけるようにして平身低頭するダグラスに、アデルはそっと近づくと跪いてその手を取った。
「何を言う。詫びねばならぬのは私の方だ。長い間苦労を掛けた。本当にすまない。さぁ、立って…………春になったら一緒にネヴィルに帰ろう」
顔を上げたダグラスの目からは涙が止まらない。
ダグラスの手を取るアデルの目からも次々と涙が溢れ出す。
その姿を見ていた者たちは皆、声を上げてむせび泣いた。
「おめおめと生き恥を晒しおってからに…………」
正面きってそう悪態をつくのは、ダグラスと同じくネヴィル家最古参の臣の一人であるグスタフであった。
だがそう言いうグスタフの目は優しく、涙を滲ませていた。
「すまぬ。お主にも迷惑を掛けた。だが、我らがこうして生き恥を晒し続けてでも生にしがみついたには理由がある…………」
アデルに手を取られて立ち上がったダグラスは、そう言うと一度言葉を区切り、周囲を窺う素振りを見せた。
そのダグラスの姿を見たアデルは、袖で涙を拭うと素早く命令を下した。
「ブルーノは窓から外の様子を、ゲンツは扉の外へ……誰も近づけさせるな! グスタフとトラヴィス先生は傍へ」
アデルの命令を受けたブルーノとゲンツは弾かれたように行動を開始した。
カーテンを持ち上げ外の周囲を窺うブルーノ、そして扉の外を窺うゲンツの両名から大丈夫だと目で告げられたアデルは、ゲンツが扉の外に出てからダグラスに頷いて見せた。
「不肖、この臣めが生き恥を晒し続けましたのは、ひとえにお館様からの密命を帯びていたからであります」
「密命?」
「はっ、お館様は最後にこうお命じになられました。虜囚となろうとも生き残り、このノルト王国のことを調べ、伝えよと。その情報が必ずや若様、いえ、陛下の御役に立つであろうと……」
それを聞いたアデルの目がしらが再び熱を帯びる。
涙をこぼさんとして上を向き堪えるアデル。
「我らはクリスカ子爵家にて客分として迎え入れられました」
「クリスカ子爵家というと、父上を討ったカーライル・クリスカ子爵か?」
「はい、左様に御座います」
ダグラスの話では、カーライル・クリスカ男爵はダレンを討った功績により爵位を上げて子爵となった後、ダレンとの最後の約束を果たすべくダグラスをはじめ、すべての生き残ったネヴィルの者たちを客分として迎え入れた他、ダレンの遺体を収容し離れ離れとなった首と胴を縫い合わせ、同家の墓所の片隅に手厚く葬り墓を建てたという。
「クリスカ家に仕えぬかと誘われましたが、ただの一人として頷く者はおりませなんだ。しかし、それにカーライル卿は気分を害された様子も無く、それまでと同じように我らを虜囚ではなく客分として扱いくだされました」
客分といっても完全に自由だったわけではない。
聞く話によればそれは、緩い軟禁状態であったという。
そんな中でダグラスたちは結束し、少しでも多くの情報を得ようと知恵を絞り奮闘した。
ダグラスたちはネヴィルの男は受けた恩は返すし、タダで施しは受けぬとして、進んで労働を買って出た。
開墾や畑仕事など従事するダグラスたちには当然、監視が付けられたが逃げる素振りも見せずに仕事に精を出す姿を見て、次第にその監視の手は弛んでいった。
自分たちが消費する以上の農地を切り開いたダグラスたちは、カーライルと交渉し余剰作物を商人に売る許可を得た。
ここからが諜報活動の始まりである。
買付けに来る商人たちから、また警戒を解いたクリスカ家に仕える者たちから、少しずつ少しずつ情報を集めた。
「現在、このノルト王国は二つに割れております。現国王のシルヴァルド派と王の従兄であるスヴェルケル派の二つにです」
「……確かノルトは女性にも王位継承権があったな?」
アデルは周辺諸国の歴史にも詳しいトラヴィスに聞いた。
「はい、ノルト王国は北ゴルド王朝の流れを汲んでおりますので、女性にも王位継承権が御座います。ただしそれは現在では形骸化しているといっても過言では無いでしょうが……ちなみに南ゴルド王朝の流れを汲むガドモア、イースタルの両国では女性に王位継承権は御座いませぬ」
「形骸化しているとはいえ、制度の上では王の従兄であるスヴェルケルは、王妹であるヒルデガルド姫よりも継承権は下…………きな臭くなってきたな…………そのスヴェルケルという男はどのような男なのか?」
ダグラスは自身が知る限りのことを答えた。
「現国王であらせられまするシルヴァルド王に器量は劣るものの、それなりの支持を受けているからにして注意すべき人物かと思われます。人気取りのためか、かなり羽振りよく振る舞っているとか……」
「よし、そのスヴェルケルという男について、出来るだけ詳しく調べる事にしよう。他には?」
他にもどこの家とどこの家が仲が良いとか、悪いとか、何処の家にどれほどの借金があるとか、そういった情報はあったが、差し当たっていま現在重要と思われる情報は無いと思われた。
「どれもこれも取り立てて役に立たぬ情報ばかりで、誠に申し訳御座いませぬ」
平身低頭し謝罪しようとするダグラスをアデルは、その肩を抱えるようにして止めた。
「情報というのはいま現在役に立たなくても、後で役に立つこともままあるものだ。自由なき身の上で、よくぞこれほどまでの情報を集めてくれた。感謝するぞ。ダグラス、念のために言っておくが任務を果たしたからといって、父上の後を追おうなどとは思うなよ。これからもネヴィルに仕え、その知恵と経験を以って未熟な私を支えて欲しい」
「しばらくお目に掛けぬ内に、一回りも二回りも大きゅうなられましたな…………不肖、このダグラス、陛下のためならば老い先短い命、いつでも散らせる覚悟に御座いまする!」
「その覚悟や良し! だが、すぐに死なれては困る。死するならば、ネヴィル王国が栄え、その姿をしかと目に焼き付け、それを天上におわす父上への土産としてからだ」
ダレンと共に殿軍を務めたのはこのダグラスを合わせて二百名あまり。生き残ったのは半数に満たない八十名あまり。
その生き残り全員が、王となったアデルに忠誠を誓い、即現役復帰を願ったという。




