花より団子
こちらの方もこのまま続けて欲しいというご要望を数多く頂きました。
これほどまでにこの作品を愛してくださり、本当に感謝の言葉も御座いません。
なので、こちらも更新を再開したいと思います。
ちなみに、書き直しであるカルディナ戦記とは大筋は同じですが、細部を変える予定です。
一例を上げますと、主人公たちの父親の死に方などが変更となります。
難しく考えずに、カルディナ戦記の方はパラレルワールド的な感じで楽しんで頂ければと思っております。
アデルは緊張していた。この日この時が短い人生の中で、いや、前世も含めて一番の緊張であったかも知れない。
アデルは形式通りの挨拶をヒルデガルドに述べた後、一切口を開かずそのまま、脇に視線を逸らした。
またいつものように、心にもなくつまらない美辞麗句を浴びせられるのだろうと身構えていたヒルデガルドは、このアデルの行動に激しく心を揺さぶられた。
ヒルデガルドの目に映るアデルの横顔は、普段社交界で見慣れている柔弱な貴族のそれではなかったのだ。
アデルが普段気にしている目つきの悪さは、見方によっては鋭い眼光を宿しているとも受け取れる。
ヒルデガルドはアデルの身に纏っている狼の毛皮からくる先入観もあり、その横顔に精悍な野生を感じていた。
そんなアデルの容姿に心動かされながらも、一方では不満をも感じてはいた。
自分というものが目の前にありながらも、アデルは直ぐに興味を失ったかのように視線を逸らしたからだ。
そんなアデルの視線を追ってみると、その視線の先には、立食形式のパーティの為に用意されたテーブルたちと、その上に飾りつけられるように盛られた料理の数々があった。
(あの目、まるで獲物を狙う狼のよう…………でも、まだ子供ね。目の前にいるわたくしをほったらかしにして、料理を気にするなんて……まったく、淑女に対する礼儀というものがなっていないわ)
アデルは木石というわけではない。ましてや、このような場で進んで無礼を働く気は毛頭もない。
ただ単にこういう場で、それも年頃の女性に対してのありとあらゆる経験が、圧倒的に不足しているだけなのだ。
ヒルデガルドを目にして、何をどう喋ればいいのかもわからない。
ヒルデガルドの可憐さや美しさを褒め称えようとしても、この緊張の中で噛まずにすらすらと言葉が出て来るとは到底思えない。
ならば取る手はただ一つ。沈黙あるのみである。
沈黙は金、雄弁は銀と言うじゃないかと、それらしい言葉で誤魔化し、これは無礼かもしれないなと思いつつも、これ以上表情を探られないようにと視線を逸らしたのだった。
こうすればヒルデガルドもすぐに自分に興味を無くすか、あるいは腹を立ててどこぞへと去って行くのではないかと思っていたのだが、横目でちらりと見たところ、ヒルデガルドの視線は自分に向けられたままであった。
(一体全体、どういうことなんだ? なんで俺を見続けるんだ? そうか、わかったぞ! 異国人が珍しいんだな? いや、待てよ…………この衣装が珍しいのか? それともこの場にそぐわず浮いているからか? くそ~、トーヤの奴! 帰ったら覚えとけよ! いやいや、そんなことを考えているときではないぞアデル! どうすればいい? この後どう動けばいいんだ?)
そんな二人の微妙な停滞を打ち破ったのは、この国の王でありヒルデガルドの兄であるシルヴァルドであった。
「何か向こうに珍しい物でもおありか?」
アデルはその声にハッとしつつも、どこか救われた気分になった。
「いえ、我が国にはない誠に見事な料理の数々に驚いたのです」
まぁ、とヒルデガルドが声を上げた。
そんなヒルデガルドにアデルは向き直ってこう言い放った。
「私は一国の王ですが、年齢的にはまだ子供です。それも育ちざかりの…………つまり、花より団子ですよ」
「どういった意味かしら? よろしければ教えてくださいまし」
この国には無いであろう故事成語で煙に巻くつもりだったアデルは、目に見える程に狼狽えてしまった。
シルヴァルドの方は何となく意味を察したのか、くっく、と笑いを噛み殺している。
のっぴきならなくなったアデルは、もう嫌われても構うものかとヒルデガルドに意味を教えた。
「愛でるだけの花よりも、食べられる菓子の方が良いという意味ですよ…………」
ヒルデガルドは一瞬キョトンとした表情を浮かべると、次には口許を抑えてクスクスと笑い出した。
愛でるだけという花は自分のことなのだろう。だが何故か、腹は立たなかった。
アデルの容姿に似合った、実に真っ直ぐな言葉だったからかも知れないと、ヒルデガルドは思った。
「面白い言葉ですわね。でも、わたくしも同感ですわ」
今度はアデルが、えっ、と虚をつかれたような顔をする。
「お菓子と言えば…………ああ、あちらに…………アデル様は御口にされたことがおありかしら?」
ヒルデガルドは実に楽しそうにアデルの手を取ると、さぁ、こちらへとそのまま引っ張って行く。
「えっ、あっ、ちょ、ちょっと!」
アデルは戸惑いながらも、ヒルデガルドの手に引かれて行った。
そんな二人の姿を見た周囲の者たちは、一様に驚きを隠せなかった。
中でも一番驚いていたのは、ヒルデガルドの兄であるシルヴァルドであったかも知れない。
「こういった席で、あのように楽しげなヒルダを見たのは初めてだ……」
ーーー
「アデル様にお見せしたい物はこれですわ」
そう言ってヒルデガルドに連れて来られたアデルの目に入って来たのは、美しい装飾の施された銀のコンポート皿に盛られた白く無数の角がある白い粒々。
「その御様子ですと、御存じないようですわね。これは糖花と申す物で、花は花でも食べられる花ですわ」
アデルは震える手でそれを一つ摘まむと、口の中に放り込む。
そして丹念に舌の上でそれを転がし始めた。
それは舌の上にジワリと融け、口中にこれ以上ない甘味を広げていく。
「…………金平糖だ…………」
「こんぺいとう? まぁ、アデル様は糖花を御存じでいらしたのですね。残念ですわ、驚かせてあげようと思いましたのに…………」
思わぬところで金平糖に出会ったアデルの耳に、もうヒルデガルドの声は届かない。
「甘味があっさりしていて後を引かない……サトウキビ? いや、違うな…………記憶の中にあるヨーロッパにこの世界はよく似ている。とすれば、そうか! テンサイか!」
最初は糖花の甘味に驚いたのだと思ったが、その後もブツブツと独り言を呟き続けるアデルを見て、ヒルデガルドの表情も段々と曇りを帯びて来た。
その次の瞬間、アデルはヒルデガルドの華奢な両肩を掴んだ。
「この砂糖を我が国に売ってくれ!」
急に強い力で両肩を掴まれたヒルデガルドは、その身をビクリと震わせた。
「え、えぇ?」
「ノルト王国での砂糖の年間生産量はどの位なんだ?」
「そのようなことを急に言われても、わたくし、知りませんわ!」
困り果てたようなヒルデガルドの顔を見てアデルは、ハッと我を取り戻す。
「す、すまん…………金平糖を目にしてつい興奮してしまった…………」
肩から手を離し、アデルは深々と頭を下げた。
気まずい沈黙。それを和ますかのように、とある若い貴族が飲み物を差し出した。
が、それは表面上だけのものであり、ヒルデガルドに馴れ馴れしくするアデルに対して、明確な悪意が含まれていた。
なぜなら、ヒルデガルドに差し出された飲み物は蜂蜜水だったが、アデルに差し出されたのは葡萄酒だったのだ。
アデルは先程も自分で言ったようにまだ子供である。
酒を嗜む年齢には達していない。
アデルは銀杯の中で波打つ赤黒い液体を見て、差し出した貴族の意図を瞬時に見抜いた。
(酔わせて俺に恥をかかせるつもりか…………)
「おお、これはこれは……お気遣いに感謝する。どれどれ、ノルトの葡萄酒の味はどのようなものか…………」
アデルは杯を揺らし、鼻を近づけ香りを楽しむと躊躇う素振りも見せずに、ぐびりと杯を傾けた。
そして舌の上で転がすようにしてノルト産の葡萄酒の味を楽しむ。
飲み干した瞬間から、アデルの白い顔に朱が差しこみ始めた。
「なるほど、香りはそれほど豊かとは言えないが、旨味は強い。ということはノルトの水は軟水だな。それに苦みが強いのはマグネシウムが多いからであろう? 違うかな?」
悪意を以ってして葡萄酒を差し入れた若い貴族は、それを聞いてタジタジとなった。
パクパクと何かを言いかけては口を閉じる様を見てアデルは、その若い貴族が身に纏う派手な衣装から、金魚を連想した。
吹き出しそうになり、上気した頬が跳ね上がるのを我慢していると追いついたシルヴァルドが声を掛けて来た。
「どうやらその様子だと、アデル殿の食にたいする知識は相当のものだとお見受けするが……」
「食は文化そのものです。また、命を繋ぐに必要不可欠なもの。これを追求せずにいられましょうか? また、食は医なりとも申します」
「ほぅ、食事そのものが医術だと?」
シルヴァルドの双眼に強い興味の灯が宿ったのを見てとったアデルは、大胆不敵な笑みを浮かべた。




