黒狼王と蒼智王
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晩餐会が始まると、あっという間にトラヴィスの周囲に人だかりが出来た。
彼らは主に、ノルト王国南部の貴族たちであった。
他にも若干の王都周辺を治める貴族たちもいたが、その数は少なかった。
北と東西の貴族たちは、ネヴィル、エフトとの正式な交易が開始されても、直接潤う事は無い。
したがって、南部の貴族たちと違って焦って顔と名前を売り込む必要が無いのだ。
「我が領では羊を少々扱っておりましてな…………毛糸、フェルト、チーズ、どれもこれも上質で…………」
「良質な鉄鉱石を産出する鉱山を有しておりまして、鉄が御入り用であれば、いつでも声を掛けて下され」
貴族として尊大ぶってはいるが、やっていることは商人のように揉み手をしながらの商品の売り込みであった。
トラヴィスは、目まぐるしく入れ替わり立ち代わり話しかけて来る貴族たちの顔と名前と位階、そして有する産物などを覚えるのに必死であった。
そうこうしている内に時間は経ち、晩餐会の場があたたまりつつある頃、ノルト王国の国王であるシルヴァルドが王妃であるアウローラを伴って会場に現れた。
「国王陛下並びに、妃殿下、御入場!」
国王夫妻が会場に現れると、少々騒がしかった歓談の声は一瞬にして静まり、男性は一様に深々と腰を折り、貴婦人たちは両手でスカートの端を摘まみあげながら、頭を下げた。
それから僅かに遅れて、本日の晩餐会の主役であるアデルが姿を現した。
「ネヴィル王国第三代国王、アデル・ネヴィル陛下、御入場!」
居並ぶ紳士、淑女たちは再び頭を深く下げた。そして下げながらも、異国の少年王の姿を目に焼き付けた。
この時のアデルの姿はというと、髪形と銀のティアラこそ先のままだが、服装はというと、しっかりと着替えていた。
着替えた服は狼の毛皮の類は一切使われておらず、黒を基調とし、銀糸を編み込み飾り立てたものであった。
だが、いくら今着ている服に狼の毛皮が使われていなくとも、先の姿が与えたインパクトは相当だったらしく、来場した人々たちの口からは今着ている服の色も相まって、口々から黒狼王との声が漏れた。
今その声が、アデルの元へと届かなかったのは幸いだったかも知れない。
もしそのようなあだ名で呼ばれていると知ったのならば、アデルは顔を羞恥に染めて、その場からUターンして引き返したに違いないだろう。
後にノルト王国史に、この日の出来事はこう書かれている。
幾つもの山を越えし南方にある、ネヴィル王国の黒狼王、単身我が国に乗り込み、蒼智王と盟を誓い合うと。
蒼智王とは、シルヴァルドに付けられた尊称である。
この黒狼王というあだ名が、以降アデルの尊称となるのだが、これをアデルが知ったのはこの晩餐会の翌日のことであり、そのようなあだ名を付けられた当の本人はというと、耳の先まで真っ赤にしながら枕に顔を埋め、手足をジタバタさせて身悶えたという。
アデルは晩餐会の会場に入ると、首を動かさずに目だけを僅かに動かして辺りを見回した。
晩餐会は立食形式であった。
人々は片手にグラスを掲げ、そのすぐ傍にはそれぞれの家の使用人たちが控え、料理を載せた皿を恭しく掲げている様子が見受けられた。
行儀作法的に見ても、ノルト王国とガドモア王国との差は殆ど無いように見受けられた。
アデルは元ガドモア王国の男爵であり、爵位を受け継ぐ前から嫡男として一応のマナーを学んではいる。
だが、なにぶんネヴィル家はドが付く辺境の田舎貴族であり、教えられたマナーは古めかしく、洗練されているとは言い難いものであった。
(どうするか…………俺が掻く恥は、即ち国の恥となる。ああ、こんなことならば、もっとノルト王国の行儀作法について調べておくんだった…………)
アデルは腹を決めた。
少年らしい溌剌さで、キビキビとした動作で教えられたガドモア式の作法を披露する。
アデルはまず、シルヴァルドに会釈した。そして形式上の挨拶と共に、軽く二、三言葉を交わした。
シルヴァルドは傍らに控える妻をアデルに紹介した。
「我が妻である、アウローラだ」
紹介されたアウローラは微笑みながら会釈した。
「遠路はるばるようこそ我が国に。今宵は心ばかりのささやかな宴では御座いますが、お楽しみ頂ければ、幸いに存じます」
アデルは名乗り、会釈した後、アウローラの前に跪き麗句を添えながら、その手を取って甲に口づけをした。
アデルの見たところ、アウローラの年齢はシルヴァルドと同じ、もしくは若干上であると感じた。
栗色の長い髪を結い上げたアウローラからは、成熟した女性の色香が漂っており、それに当てられたアデルは無意識の内に頬を僅かに上気させた。
だが、その色香に翳りがあることに気付いたのは、それからしばらく後のことであった。
「ヒルデガルド姫殿下、御入場!」
国王夫妻と取るに足らない話をしていると、王妹ヒルデガルドが会場に姿を現した。
赤いドレスを纏い、絹色のレースのショールを肩に掛けた姿のヒルデガルドが現れると、人々の口から感歎の溜息が洩れた。
ヒルデガルドはまず国王夫妻の元へと赴き、夫妻に会釈し、形式通りの挨拶を済ませた後、賓客であるアデルへと向き直った。
向き直りつつ、ヒルデガルドは失礼を承知でアデルの顔をマジマジと見つめた。
ヒルデガルドとアデルは年こそ近いが、二人の身長には大きな隔たりがある。
アデルの方が、ヒルデガルドよりも頭一つ以上大きいのである。
したがって、ヒルデガルドはアデルを見上げるような形となる。
美しいプラチナブロンドの髪に、兄と同じ深く青い瞳。そしてこの国に降る雪のように白い肌。
紛うかたなき美少女に見つめられて、アデルは一瞬惚けてしまった。
ハッ、と意識を取り戻すのにどれくらいの時が流れたのだろうか?
実際には一、二秒程であったが、アデルに取ってみれば、それは数分にも感じらた。
ヒルデガルドが名乗り、会釈をする間もアデルはドギマギとし続けていた。
もっとも、アデルも貴族である。努めて表情には出さないよう冷静を装ってはいた。
そしてアデルも名乗り、形式通りに会釈を返し、アウローラの時と同じくヒルデガルドの前に跪き、その手を取った。
白いレースの手袋の手に触れると、僅かな震えが感じられた。
(怯えているのか? いや、いや、もしかして、もしかすると俺が震えているのか?)
ヒルデガルドが震えているのか、自分が震えているのか、もしくは互いに震えているのか……緊張のあまり震えているように見えただけなのかもわからないまま、麗句を添えて甲に軽く口づけをする。
アデルが口づけをした瞬間、ヒルデガルドの手が僅かに跳ねたような気がしたが、これも緊張による錯覚だろう。
シルヴァルドとアデル。
アデルとヒルデガルド。
出会うべくして出会った三人の運命が、まさに今、動き始めたのであった。
アデル「初めまして今晩は、お嬢さん。今宵は月が綺麗ですね!」
ヒルデガルド「あら、外をご覧なさいな。猛烈に吹雪いていますわよ」
アデル「…………」
ヒルデガルド「…………」
シルヴァルド(この二人、大丈夫だろうか?)




