ノルトの土を踏む
「しばらくはこの地に留まり、本国との中継役をする。死ぬなよ…………アデル…………」
「そう簡単にくたばってたまるか! でも、万が一の場合には、頼むぞ!」
アデルとカインは、互いに肩にかけた手を名残惜しそうに解いた。
もしかすれば、これが今生の別れとなるかもしれないのだ。
それとカインはもう一つ懸念があった。
この兄であるアデルは、普段は長男であり三人のまとめ役でもあり、その責任感から言動や行動は抑えがちではあるがその反面、一度タガが外れるとどこまでも暴走しだすのだ。
今回はそういった場合に、まわりに抑え役となるカインもトーヤもいない。
やりすぎねばいいのだがと、カインは心配そうにその後ろ姿を見送った。
エフト族から人とヤクを借りたアデルは、カラコルを後にした。
エフト族からエフト王国へ。ネヴィルとエフトの間で秘密裏に行われている建国劇が今、ノルト王国に知られてしまうと、思わぬ掣肘を受けるかも知れない。
そのため、長居はせずに借りるものだけ借りて、さっさと同地を後にしたのだ。
「まぁ彼らにしてみれば、もう俺たちと完全に行動を共にするしかないのさ。西に新天地を求めるのにも失敗し、北にはノルト、南にはネヴィル、そして東には険しい山脈となれば、もうどうにも身動きは取れないだろうからな。そこでだ……」
我が国が行き詰った彼らに救いの手を差し伸べるのさ、とアデルは人の悪い笑みを浮かべた。
「それが、ネヴィルとノルトとの交易路の中継地点というわけですか。確かに、ネヴィルからノルトに行くにも、ノルトからネヴィルに来るにもエフト王国を通らねばなりませんが、よろしいのですか?」
同行する外務大臣のトラヴィスが、エフト王国を必要以上に肥えさせてしまうのではないかという、懸念を口にするとアデルは、
「構わないさ、今はね。それにそのくらいの好餌は与えないとね。明確に儲かり、それが彼の国のほぼ唯一の生き残りの道である限り、彼らは我々を援護し続けるだろう」
まったくをもって、十二歳の子供の考える策ではないなと、トラヴィスは溜息をついた。
「さてと、これから我々は商人にならねばならん。道中、ノルトの貴族たちのご機嫌を取りつつ、我が国の扱う商品の売り込みをせねばな」
「はて? 我らが商人とは、いったいどういうことでしょうか?」
部隊の実質的な指揮官であるグスタフは、アデルの言に首を傾げた。
「ずばりそのままの意味さ。我々はこれから道中通ったノルトの貴族に、礼代わりに土産……いや、試供品というべきかな? まぁ、荷の一部を与えていく。主に岩塩、石鹸、白磁といったものをだ」
「それらが、ネヴィルの主力な輸出品だと宣伝するのですか。なるほど、しかし岩塩はわかるとしても、石鹸と白磁ですか?」
「トラヴィス先生も、すっかりネヴィルの地に染まってしまいましたね。ノルト王国ではオリーブ石鹸は貴重品ですよ。ネヴィルじゃ、石鹸といったらオリーブ石鹸ですが、彼らは未だに、灰や動物の脂を用いている者たちも多いのですよ」
「しかし、岩塩と違い必需品とまではいかない石鹸は、主力商品となりえるのでしょうか?」
トラヴィスは確かに誠実で頭も良いが、商才の類はない。
その点、一代で露店商から商会を立ち上げた一大巨人、ロスキア商会の会長ロスコの孫のアデルの方が、よっぽど商才には恵まれているだろうと思われる。
「いつの時代でも、家と家を繋ぐのは女。そして奥で実権を握るのも女。石鹸と白磁を売り込むのは、貴族の妻女たちにですよ。彼女らはそらもう、良い香りのするオリーブ石鹸に飛びつくでしょうよ。そして一度オリーブ石鹸を使った後はもう、臭い獣脂石鹸には戻れない。それに純白の白磁もこの地では珍しい一品。珍品として、美術的価値をちょっとだけ煽ってやれば、それはもう、うひひひ」
忍び笑いを浮かべるアデルを見て、トラヴィスとグスタフは不安そうに互いの顔を見合わせた。
もしこの場にカインなりトーヤがいれば、まず間違いなくアデルがはっちゃける前兆であると警戒しただろう。
「エフト王国を発って三日。そろそろ国境ですな」
グスタフが山の先を見通すような遠い目つきをする。
「ノルト王国最南端の地を治めるのは、ユプト子爵家とのことです」
トラヴィスの言葉に頷きながら、アデルの頭の中はもうすでにノルト国王であるカール・シルヴァルドのこと一色に染まっていた。
「そのユプトとかいう輩のことは、問題無いだろう。彼としても、三国同盟が成立して南北の交易が始まれば、ノルトへの出入り口として、巨利を得ることが確約されるのだから。寧ろ喜んで我々に協力してくれるだろうよ」
アデルにとっての問題はそんなところにはなかった。
如何にして、対等かそれに近い形で盟約を結ぶのかという、それのみであった。
不平等な形で盟約を結び、搾取されるだけならば三国同盟はほとんど意味を成さないからだ。
「カール・シルヴァルド……いくら考えても、どう動くかまったく見当がつかん。こりゃ参ったな。本当に行き当たりばったりでやるしかなさそうだ」
だとしても、少しでも有利な立ち位置を得るために、交易路上に位置するノルトの貴族たちの関心を買っておくにこしたことはない。
ネヴィル王国歴二年十一の月、ネヴィル王国三代目国王であるアデルは、ついにノルト王国の土を踏んだのであった。
ーーー
ノルト王国最南端を治めるユプト子爵家は、北上する蛮族エフトに対する防衛の要である。
とはいっても、エフト族に今以上の北上の意志は無いと知れると、細々ながらも敵である彼らとの交易を密かに行うようになっていった。
したがって、ユプト子爵家とエフト族の仲はそれほど悪くは無い。
だが中央の目もあり、またノルト王国に属する商人たちをまず優遇せねばならぬ立場上、彼らエフト族に対しては、その心情はともかくとして厳しく当たらざるを得なかった。
そのためエフト族から見れば、ユプト子爵家は嫌われ者であった。
だが、そんなことはネヴィル王国、その国王であるアデルには関係ない。
先触れにより、ネヴィル王国軍の到着を知ったユプト子爵は、麾下の騎士団を国境に派遣し、アデルたちを出迎えた。
その騎士団に護られ、導かれるままにネヴィル王国軍は国境を越え、ユプト子爵領へと入った。
ユプト子爵が治めるクルザントの街の中央には、こじんまりとした城があった。
その城の城門の前で、アデルはユプト子爵の出迎えを受けた。
「遠路はるばる我が国へようこそ御出で下さいました。我ら一同、心よりアデル王陛下を歓迎致します」
「うむ、苦しゅうない。色々と世話を掛けるが、万事よろしく頼む」
国は違い、さらには大小の開きがあるとはいえ、一国の王と貴族。
ユプト子爵は片膝を着き、アデルは馬上のまま言葉を交わす。
そんなアデルを見て、ユプトは十二歳にしてはアデルの身体が大きいことに驚いていた。
(身体の大きさからいえば、十五と言われてもおかしくはない。それにこの落ち着き払った態度といい、小なりとはいえど、王は王というわけか……)
二言三言言葉を交わした後、ユプトは居城へとアデルを自ら案内した。
案内しつつ、ネヴィル王国軍の他に多数のエフト族がいることを知り驚いた。
「まさかこれほどまでに彼らエフトの者たちと、ネヴィル王国とが親密とは知りませんでした」
ユプトは早速、それも直接的にネヴィルとエフトの関係に探りを入れた。
それに対しアデルは隠す気も何も無く、ただ自然とエフトとの関係を告げた。
「まぁな。彼らエフトとは姻戚関係であるからな」
「は?」
ユプトの顔が初めて知る驚愕の事実に固まった。
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