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幼狼、吼える

 

 戦利品として、勝利の記念として保管されていたであろうネヴィル家に伝わる家宝の剣。

 これはカーライル・クリスカ男爵が、当時のネヴィル家当主であるダレン・ネヴィルを討ち取った際に、その奮闘ぶりに敬意を表して大切に保管していたのを、ノルト王国国王カール・シルヴァルドが、此度の会見の肝とすべく譲り受けたのであった。

 この話を持ち掛けられた時、カーライルは難色を示した。

 カーライルは生粋の武人である。そのため、優れた敵手であったダレンの剣を交渉に使うのを、武人としては認めたくない思いがあった。

 これに対しシルヴァルド王は、交渉のために用いるのではなく、単に遺品を遺児に返却するのだと言った。

 それならばと、カーライル男爵は快く王へと渡した。

 王はカーライルに謝意を示し、多額の金を送ろうとしたが、カーライルはこれを謝絶したという。

 それにしても戦利品である剣を、返還とはいったいどういうことなのだろうか。

 それはあくまでも建前というものであった。事実的には誰がどう見ても戦利品なのだが、だからといって戦利品であることを強調しては、徒に相手を刺激してしまう。

 それゆえに分捕ったのではなく、借りたという表現をし、借りていた物をお返しするという形にしたのであった。

 これはネヴィル王国の体面を出来るだけ傷つけずに、円滑に会見するためのシルヴァルド王の配慮というものであった。



 特別に謁見の間に入る事が許されたノルト王国の騎士の一人が、黒い布に包まれた剣を持って来た。

 だがそれを見たネヴィル側の人間、特にネヴィル家の人たちは怪訝な表情を浮かべた。

 何故なら、包まれている剣の大きさがおかしいのだ。

 ネヴィル家に伝わる剣は長剣ロングソードである。

 だが、包みの大きさは短剣ほどしかない。だがその疑問はすぐに解けた。

 騎士から包みを受け取ったユンゲルトが、包みを解くとそこには半ばから折れた剣が現れたのである。

 平時はネヴィル家の居間の壁に掛けられており、三兄弟もそれを見て育ってきている。

 見間違えることはない。見るも無残なそれは、確かにネヴィル家の宝剣であった。


「………………おお………………おおっ………………」


 声にならないとはまさにこのことだろう。

 アデルはゆっくりと立ち上がり、よろよろと折れた剣に吸い寄せられるように歩き出した。

 それを尚書令のジョアンが、アデルの身体を支えるような形で制止する。

 ネヴィル家の人間は折れた剣を前にして、誰も動くことが出来ない。

 外務大臣のトラヴィスが、ユンゲルトが恭しく差し出す剣を受け取り、玉座へとジョアンの手によって戻されたアデルへと渡した。

 剣を受け取ったアデルは、思わず目を背けそうになるも、意を決して手渡された剣を見つめた。

 剣は見れば見る程無残であった。ただ折れているだけにあらず、残っている剣身には鋸の刃のように無数の刃こぼれがあり、柄は黒く乾ききった血に染まっていた。

 その血がダレンの血であるのか、あるいは敵の返り血によるものなのかは定かでは無い。

 だがそんなことはアデルにとって、ネヴィル家の人たちにとってはどうでもいいことであった。

 ただその剣は、最後の瞬間までダレンが死力を尽くして戦い抜いたことを雄弁に語っていた。

 もはやアデルは堪える事が出来なかった。

 ぼろぼろと大粒の涙を流し、嗚咽する。

 泣いているのはアデルだけでは無かった。

 弟のトーヤもまた顔をくしゃくしゃにして泣いていた。


「…………兄上……………………」


 ギルバートの頬にも涙が伝わる。

 やはりあの時、自分が残るべきであったという思いが、ギルバートの悲しみを一層深くする。

 これも武家の定めと諦観していたジェラルドもまた、涙をこぼすまいと目頭を押さえながら上を向いている。

 この光景は流石に胸に来るものがあったのか、ユンゲルト、フェイタス共に目を瞑り黙ってネヴィル家の人間が落ち着くのを待った。

 未だあふれ続ける涙を袖で拭い、アデルは使者の二人に謝意を示した。


「役儀、ご苦労様であった。我が王家に伝わる宝剣を返してくれたことに感謝する。シルヴァルド王にも、よしなにお伝え頂きたい」


「ははっ、無事に剣をお返し出来て、我が王も、そして我が国に居られる()()()の方々もお喜びになられることでしょう」


 なに、とアデルの顔は泣き顔から一気に険のこもった表情へと変化した。

 しばしの沈黙。アデルの頭が目まぐるしく働き、一つの答えを導き出す。

 これは…………この茶番は撒き餌。客人…………つまり俘虜となった者がいる。

 次に相手が要求して来る事はただ一つ。返して欲しければ頭を下げに来いと言うのだろう。


(そこまでして、俺を自分の目の前に引き摺り出したいというのか!)


 アデルの両目が憤怒に染まる。今のアデルにとってみれば、死者と生者の両方を弄ばれたような気分である。


「……………………何人だ?……………」


 怒気を含んだ少年の声。

 それに対しユンゲルトは、ただ淡々とした口調で答えた。


「十数名おります」


「そうか…………」


 ふぅっ、とアデルは大きく息を吐いた。

 ユンゲルトとフェイタスの目にはそれは、自身を落ち着かせるためのものと見えた。

 が、違った。


「卿らの仕える王に伝えよ! 近いうちに余自ら挨拶に伺うと! 卿らの役儀はこれにて全て終わった。これよりのちは一刻も早く我が国を去り、卿らが仕える王に復命するがよい」


 若い狼は吼えた。

 この時点で、少なくともこの少年は犬ではないとユンゲルトは感じた。

 年若いとはいえ、果たして狼を陛下は飼い馴らすことが出来るだろうかとも。

 こうした形で会見は終わりを告げた。

 最終的には険悪に近い終わり方をしたにもかかわらず、ユンゲルトとフェイタスの両名は、礼物とは別に大量の土産を持たされネヴィル王国を後にした。

 その土産の中には、オリーブ石鹸などのノルト王国では高級品とされる物品も含まれており、フェイタスなどは来た時とはうって変わり、気を良くして帰国の途に就いた。



 ーーーー



 一方その頃のネヴィルでは、謁見の間にいた全員が会議室へと場所を移し、アデルの一見すると軽はずみに見える発言に頭を悩ませていた。

 そんな中、ギルバートとジェラルドの二人は、ダレンの死の現実を再び突き付けられたショックを引き摺っており、アデルを責める言葉にも精彩を欠いていた。

 ネヴィル家の人間の中で一人語気を荒くしているのは、三男のトーヤであった。


「アデル! ふざけるのもいい加減にしろ! 見え見えの挑発に引っかかって!」


 怒りによって鼻息を荒げているトーヤは、まるでアデルの胸倉を掴むかのように怒りに任せて間近に詰め寄っていた。

 だが、アデルはそれをまるで意に介さず、冷静に答えた。


「引っかかったのではないよ。そうだなぁ……いうなればそう、挑戦を受けたのさ。今回の相手の出方といい、国力差といい、行けば組み敷かれるのはまず間違いないだろう。だが、ただでは済まさない。俺を…………いや、俺たちを甘く見るとどうなるか、シルヴァルド王にわかってもらおうじゃないか…………」


 そう言ったアデルの眼差しは窓の外、遥か北に向いていた。


「だからといって何も国王陛下自ら行かれずとも、」


 そう言うトラヴィスの言葉を遮って、俺が行かなきゃ駄目なんだ、とアデルは言った。


「相手は…………シルヴァルド王は、俺に会いたいんだよ多分。その目的が、晒しものにするためなのか、それとも単に組み敷きたいだけなのかはわからない。だが、もし俺が行かなければ…………」


「ノルトは更なる圧をかけて来る?」


 そうだ、とトーヤに向かってアデルは頷いた。


「例えばだが、エフトに圧力を掛けて我が国との仲を裂くとか。現在、エフトは我が国唯一の交易相手だ。これを止められてしまうと、二進も三進もいかなくなってしまう」


「ですが、ですが、万が一ということも起こり得ます!」


「トラヴィス先生の言う通り。行けば万が一が起こるかもしれない。だが、その時はその時だ。カインが後を継ぐだけの話だ」


「陛下!」


「先生、先生…………ここが正念場の一つです。どうか僕を信じて下さい。シルヴァルド王は賢い。呼び出しておいてただ殺すような真似はしないでしょう。大丈夫ですよ」


「アデル、俺と代われ! 俺がアデルに成りすませばいい。三男である俺が、いや三男である俺に相応しい任務だ。万が一のことがあっても、それならば何も問題無い」


「駄目だトーヤ、お前は残れ」


「何で!」


 納得できないと、トーヤは両手でバンと机を叩いた。


「父上と一緒さ…………弟を身代りにするなんて出来っこないだろう? それに相手にもしバレたりしたら、大問題だ。それにな……………俺も興味が出て来たんだ…………シルヴァルド王にね…………是非に会ってみたいのさ…………」


 シルヴァルド王に対する憤りは今もなお胸の奥に燻り続けている。

 だがそれ以上に、強い興味を抱いているのをアデルはしかとその身に感じてもいた。







 

 

何か変な熱が出た。

頭痛が酷く、さらには身体が滅茶苦茶熱く、熱を測ったら三十九度もあった。

でも意識はクリア。明日も更新します。多分。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] アデルがノルトに向かうのは数話前にもう決定済みでしたよね? 何故今更トーヤとトラヴィスが反対を?
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