アスレチックジム
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形式的な挨拶は終わり、トーヤはユンゲルトとフェイタスを促し、再び馬車へと乗り込む。
ゆっくりと進む馬車の中での、これまた形式的な歓談。
その歓談の中、副使であるフェイタスは気にも留めなかったが、正使であり王の目とも称されるユンゲルトはあることに気が付いた。
それは、馬車の揺れについてであった。
クッションが厚く敷かれた座席に伝わる震動が、妙に小さく感じられるのである。
トーヤとフェイタスが会話をしている間に、ユンゲルトはそっと視線を外へと逸らして見ると、そこには驚くべき光景があった。
丁度その時、馬車は丁字路に差し掛かっており、ユンゲルトは側面から合流するもう一本の道を視認する事が出来た。
(なんと、この道は石畳であったか。それならばこの揺れの小ささも納得がいく。しかし、ネヴィルは元男爵家…………まさか領内全ての道を整備しているわけはあるまい。とすると、この道が表街道であり、この周辺のみ道が整備されていると見るべきであろうな)
ユンゲルトのこの考えはネヴィル王国の規模から見て、至極妥当であったがこれは誤りであった。
が、これは仕方のないことである。道の整備は一大事業。それも石畳を敷くとあれば、労力、財政ともに多大な負担を強いる。
建国したばかりの小国であるネヴィルにとっては、主要街道の整備でさえ大いなる負担であっただろう。
ユンゲルトはこれを、自分たちが来ることを見越しての急普請をして無理をしたのではないかと思い、その小さな誇りを内心で嘲笑った。
しかしながら、これは何もノルトの使者が来るから急ぎ普請したものではない。
現在、ネヴィル王国内の主要街道は勿論、主なる道の全てが整備されていた。
それにユンゲルトは気が付かなかったが、この道は石畳ではなく、コンクリートであった。
このネヴィルの地にコンクリートが用いられるようになって、はや六年あまり。
コンクリートというものを重要視し、コンクリートに関する技術力を高めるために、ネヴィル家はコンクリート製の建築を推進してきた。
その一環として、領内の主要道をコンクリートで舗装したのであった。
これにより、雨天であっても馬車などが泥で嵌ることもなく、スムーズに移動が出来るようになった。
ただし硬いコンクリートのせいで、馬の蹄鉄の減りが早くなったという弊害もあったが、それを差し引きしても移動や輸送が円滑になった利の方が大きい。
やがて馬車はネヴィル王国外縁部の村、ギルバート公爵が治めるムーア村へと差し掛かった。
このムーア村は、現在のネヴィル王国の中でも一番勢いのある村である。
それを示す一例として、この村の外れには大規模な兵の訓練場があった。
無論、ただの訓練場などではない。三兄弟のアイデアの詰まった、従来の型に嵌らないその訓練場は、地獄の訓練場として恐れられていた。
丁度、前方から兵たちが隊列を組んで進んで来た。
それだけならば他国であっても何も珍しいことは無い。だが、このネヴィル王国兵たちは、肩に巨大な丸太を担いでいた。
普請のために丸太を運んでいるのだろうと思い、チラリと一瞥しただけで関心を失ったユンゲルトとフェイタスの二人を見て、トーヤが動いた。
「ああ、訓練中の兵とかち合ってしまいましたか。おい、前方の訓練中の兵たちに、道の脇へと退くように伝えよ」
トーヤは背後の小窓を開き御者へと伝えると、御者は周囲を守る騎士の一人にそれを伝え、命令を受けた騎士は馬腹を蹴り駈け出した。
「あれが訓練ですと? いやはや、山を幾つか超えたとはいえ、随分と変わったものですなぁ」
フェイタスの言葉には、軽い軽侮の質が含まれている。
ユンゲルトは黙ったままである。
「ええ、我が国の訓練法は、おそらく貴国とは大いに違ったものだと思われます」
「ほぅ、それはそれは…………どのように違うのか、是非にも拝見したいものですなぁ…………」
フェイタスの言葉から嘲りの色は消えない。
「それほどに興味がおありならば、軽く見て行かれますか? 丁度この道沿いに訓練場がありますので」
「是非に」
丸太を肩に担いで運ぶのが何の訓練になるというのか、どうせ他の訓練といっても大したことはあるまい。
そうフェイタスが思ったのも無理はない。
やがて馬車は再び進み出した。脇に逸れた兵たちはネヴィル王国式敬礼…………これは三兄弟が正式に取り入れた一般的な挙手の敬礼をする。
それにトーヤは、馬車の中から答礼を返した。
この敬礼の動作に、二人の使者は驚いた。
ノルト王国では普通はお辞儀、このように王侯貴族とすれ違う時などは、地に跪く。
が、このネヴィルでは立ったまま。それも相手に対し真っ直ぐ視線を向けている。
そして上位者であるトーヤが、ただの兵に対して答礼したのも驚きであった。
これがノルトであれば、無視するのが当たり前である。
敬礼する兵たちとすれ違う間、フェイタスは直ぐに興味を失ったのかトーヤと談笑し始めたが、ユンゲルトは敬礼を続ける兵たちを注意深く観察していた。
(兵たちの身体つきが全体的に大きい。我が国の兵よりも大柄で、体型もがっしりとしている。ネヴィルの強兵の秘密はこれであろうな。このような訓練方法で…………いや、まさかな…………)
科学的なトレーニング方法の確立はおろか、栄養学なども発達していない時代である。
確かにこのようにして筋肉を鍛えれば体に厚みは増すが、背の大きさは成長期に良質なたんぱく質と共に、栄養のバランスの取れた食事を満足に得られたかどうかでほぼ決まる。
その点では、ネヴィルの地は人口密度に対して自然の恵みが十分過ぎる程に溢れており、動物性たんぱく質だけでなく、豆類から植物性たんぱく質も得ており、飢饉にも襲われず人々は十分な食事を摂る事が出来ていた。
そのため自然と大柄で、筋肉の付きやすい体質となり、過酷な戦場に於いてもその資質を用いて大いに活躍する事が出来たのである。
「ここでしばし馬車を止めよ。左手に見えますのが、我が国の訓練場の一つであります」
まるでツアーバスのガイドだなと、トーヤは内心で笑った。
そう言われてユンゲルトとフェイタスが左を見ると、野原の中に何やら幾つもの建築物が建っている。
建築物といっても家屋などではない。それは丸太で組まれた壁であったり、平均台のようなものであったり、勾配の差が激しい坂であったり、縄梯子が掛けられた城壁を模したものであったりと様々であった。
「これが訓練場? あれは一体何をしているのですかな?」
フェイタスはもうあきれ果てたという顔を隠そうともしない。
それに比べ、ユンゲルトの顔つきに険しいものが現れ始めた。
天井から吊るされた綱を手繰りながら上り下りする兵。
延々と野原の外縁部を走り続けている兵。
ノルトの訓練場で見られるような、武器をとっての打ち合いや、騎士たちが馬を走らせ騎乗槍を繰り出すような場所も無ければ、弓を射る的も無い。
「ここは攻城専門の訓練場です。無論、他の場所に従来の……おそらくはノルト王国でもおなじみであろう訓練場もあります」
ここにきてやっと、フェイタスの顔色が変わった。
使者の二人はここに来てやっと、この国の異常性の一端に触れたのである。
「ほぅ、面白き訓練をなされておりますな…………攻城の訓練をなされるとは、貴国は近々どこかお攻めになられるのか?」
ユンゲルトの問いに、トーヤはゆっくりと笑いながら首を振った。
「いえ、当面は攻めるあてはありません。が、いつ何時、そのような事態が起こっても良いようにと、鍛錬を重ねておるまでであります。また、攻め方を知る者は、守り方をも熟知するとも言いましょう」
ネヴィル、侮りがたし、とユンゲルトが感じたのはこの時が最初であったかも知れない。
この国は、単なる蛮夷の類などでは決してない。明確な統一された意志の片鱗が窺い知れるとして、ユンゲルトの眉間に皺が寄った。
「ま、このような訓練を長々と見ても仕様がありませんな。おい、馬車を出してくれ」
トーヤが御者に命じると、馬車がゆるゆると進み出す。
だがユンゲルトの険しい視線は、訓練場が窓から見えなくなるまで馬車の外へと注がれ続けていた。




