ノルトの使者がやって来た
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「やっと到着ですか。しかしまぁ、酷い物ですな。険しい山の中の一本道、これを敵と取り合うのは正に愚と言うべきでしょうな」
「うむ。もし仮にこの地を征すとするならば、道なき山野を獣のように駆け巡る、エフトの者たちの手を借りねば、どうすることも出来ぬだろう」
エフト族の案内人に連れられ、幾つもの山を越えてやっとのことでネヴィル王国への入り口へと辿り着いたノルト王国の使者たち。
正使であるユンゲルト伯爵と副使であるフェイタス男爵は、この厳しい道のりに辟易していた。
副使であるフェイタスの歳は四十そこそこでまだ体力的にも余裕はあるが、ユンゲルトは五十を越えており、険しい山道に体が悲鳴を上げていた。
「国王は僅か十二歳。国を興す前のネヴィル家は辺境の武辺。ここはいつも通り、私めが動きますので、閣下は適度に私めを窘めて頂きたく…………」
ノルト王国を発つ前から入念な準備と打ち合わせはしている。
これはあくまでも最終確認ともいうべきものであり、あえて口に出すことで、平常モードからのスイッチの切り替えを行ったと見てもよい。
「よかろう。戦場でならいざ知らず、武辺者のネヴィル家が、この手の交渉ごとに長けているとは思えぬ。男爵、そなたがあれこれと節操なく、目についたもの片っ端から物珍しげな風を装い問うがよい。儂はそれを適度に窘める」
節操なく質問を浴びせるフェイタス男爵は嫌われ役。それをユンゲルト伯爵が落ち着いた態度で嗜めることで、少しずつ相手の好意と信頼を得ていくという、極々初歩的な、子供だましともいえる手である。
これは二人の会話でも出た、ネヴィル家が武門の家柄であり、またこのような片田舎では、社交界などでの洗練された話術や交渉術などのスキルが、磨かれてはいないだろうという判断によるものであった。
このようなちょっとした擦れっ枯らしでも見抜けるような、単純な手にしたのは、あまり回りくどいやり方をしても、空回りに終わる可能性が高いと判断したためであった。
「武辺者というのは、戦場では鋭い嗅覚を持つが、平時のこういった交渉事を苦手とする者が多い…………国王は僅か十二歳だとすれば、我らが直接交渉するのは、初代国王で今は後見役となっているジェラルド、あるいは叔父であるギルバートのどちらかであろう」
ジェラルドは正に武功により家を興した武辺者。回りくどく、粘っこい交渉事が得意とは思えない。
「確か国王の叔父であるギルバートは、ネヴィルの白豹との異名を持つほどの武辺だとか。年は確か…………」
「二十七、八あたりだと聞いておる。何にしても若いわ」
ユンゲルトはほくそ笑んだ。釣られてフェイタスの口元にも微笑が浮かぶ。
ギルバートにしてもジェラルドと同じである。さらにジェラルドよりも年齢が遥かに若く、経験そのものが不足しており、ギルバートが交渉窓口となるのであれば、さらに事が簡単に進むかも知れない。
「迎えが参りました」
御者を務める騎士が、ノックの後に小窓を開け、ネヴィル王国の迎えが来た事を告げる。
「やれやれ、やっとこの狭い馬車から解放されるわい」
ユンゲルトは、長い時間座っていたために凝り固まった首筋や、肩に手を添え、溜息をつきながら揉みほぐした。
ユンゲルト伯爵もフェイタス男爵も歴としたノルト王国の貴族である。
今回搭乗してきた馬車は特別製で、貴族が乗るに相応しいだけの飾りなどが施されてはいるが、狭い山道を通るために車幅などが削られており、中は思った以上に狭く、息苦しささえ感じられる。
「帰りにまた乗る事を考えると、憂鬱ですな…………」
うんざりというジェスチャーをしながら、フェイタスは自分で馬車のドアを開けた。
草木が熱せられて放つ青臭さを孕む、新鮮な真夏の空気が車内へと一気に流れ込む。
咽るようなその香りに急き立てられるまでも無く、二人は馬車から降りた。
降りた二人は前方へと目を凝らすと、数騎の騎兵に護られた一台の馬車が近付いて来るのが見えた。
その馬車のサイズが、普通のサイズであることを知り、ユンゲルトとフェイタスは互いを見合って、ホッと溜息をついた。
「あれがネヴィルの国旗ですか…………三つ首の狼ねぇ…………何とも勇ましいことで…………」
先頭を走る騎兵が持つ旗を見たフェイタスが、ふんと鼻を鳴らした。
それをユンゲルトは周りに聞こえぬよう小さな声で窘める。
「これ、声が高い。もう車内ではないのだぞ。エフトの案内人も傍におる。発言に注意せい」
そうでしたと、フェイタスはユンゲルトに頭を下げた。
ユンゲルトはフェイタスの機転や頭の冴えには期待しているが、どうにもそそっかしい点があり、常にそれを危ぶんでいた。
もっとも、その点については経験を積み、年を重ねる事で解決するだろうとも思ってはいた。
やがて四頭立ての馬車が止まると、御者が御者台から飛び下り、馬車の後ろに積んである階段を用意する。
「あの旗印は、トーヤ・ネヴィル・ミルス公爵様のもので御座います」
馬車に備え付けられた小ぶりな旗を見たエフトの案内人が、二人にそっと近付き耳打ちする。
王弟であるトーヤは、公爵の位階を授けられ、ネヴィル王国にある数少ない村の一つであるミルス村を与えられ、ミルス公爵と呼ばれる身分となっていた。
ちなみに次弟カインはアーバン村を授かりアーバン公となり、また叔父のギルバートは先の敗戦の責を負うとして、以前より治めていた村を明け渡し、新現在のネヴィル王国の外縁部であり、新たに作られたムーア村へと移った。
これには三兄弟は何度も考え直すようにとギルバートを説得したが、頑として首を縦に振らぬため、やむを得ずギルバートをムーア公爵とした。
面白いことにネヴィル王国の貴族は、現時点でカイン、トーヤ、ギルバートのたったの三人のみである。
他は騎士たちが騎士爵を授かっているが、個人の土地は与えられてはいるものの、領民を従える、ところ曰く領地は一切授かってはいない。
この歪すぎる社会構造について、国民たちはある意味で期待をしていた。
ネヴィル王国がこれより後に勃興するとなれば、現在空白である爵位の数々を働き次第で手に入れられる可能性があるからだ。
それに新興であるネヴィル王国は、好む好まざるを得ず、実力主義を取るしかない。
実力があり、手柄を立てれば立身出世出来る。そこに人々は夢を抱いていたのである。
トーヤは少年らしい軽快さで馬車から降りた。
ユンゲルトとフェイタスは、馬車から降りた十二歳の少年を見て一瞬戸惑った。
慌ててユンゲルトがその場に跪くと、フェイタスも我に返りその後に続く。
(一体どういうことなのか? 子供を迎えに来させるとは…………いや、これは我らを試しているのではないか? 我らが子供と侮り、不遜の態度を見せるかどうかを見定めようとする腹積もりかも知れぬ。さっそく仕掛けて来たと見るべきかな……)
ユンゲルトは跪き、恭しく首を垂れながら、いきなり奇手を投じて来たネヴィル王国に強い警戒心を抱いた。
だが、これは深読みのし過ぎでもあった。
先も述べた通り、現在のネヴィル王国には貴族はこの場に居るトーヤ含めて、たったの三人しか居ないのである。
それに現在、外務大臣であるトラヴィスはカインと共にエフト族の元へと赴いており、今は留守にしている。
ギルバートは国家の軍事の長として今回の件といい、不測の事態に備えており多忙の身。
そのため、手の空いているトーヤが選ばれたに過ぎないのであった。
「ノルト王国の使者の方々、お初に御目に掛かる。わたくしは、トーヤ・ネヴィル・ミルスと申します。遠路はるばる我が国へようこそ! 我がネヴィル王国は、ノルト王国の使者であるあなた方を歓迎致します」
洗練されているとは言い難いが、少年らしいはきとした言葉づかい。
跪く前に見た姿はというと、多少裕福な商家の子息といった感じの少年。
果たして王弟本人なのだろうか? それに本当にその身形で公爵なのか? 自分たちは大いに侮られているのではないか? 数々の疑問を抱きつつ、ユンゲルトは返礼する。
「突然の来訪の無礼、平にご容赦頂きたく存じ上げます。また、貴国の入国の御許可を頂き、恐縮且つ光栄に御座います」
こうしてネヴィル王国とノルト王国との初の接触が、まだ上りきらない太陽の光が降り注ぐ、午前の晩夏の青空の下で行われたのであった。




