オリーブ石鹸と白磁
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三兄弟の方針は定まった。
早速親族と一部の重臣を集めての会議を行う。
あまり広いとも言えぬ会議室。これは、ネヴィル王国を建国してから直ぐに建築が開始された建物の一つである。
王都トキオの中心部に建てられた、城を持たぬこの王国における行政の中心部であり、言うなればこの国の心臓ともいえる建物であった。
この建物を三兄弟は、単に都庁と呼んでいる。
この都庁は木造を主としつつ、コンクリートも一部用いられており、この国では珍しい三階建ての建物である。
都庁の最上階である三階の窓からは王都がほぼ一望でき、遠くにはこの盆地を取り囲む雄大な山々の姿が見える。
この会議室に三兄弟の他に集まったのは、先代の王である祖父のジェラルド、そしてネヴィル王国大将軍の地位にあるギルバート。
重臣からは、経済産業大臣に任命された母方の祖父であるロスコ、外務大臣に任命されたトラヴィス、そして尚書令として抜擢されたスイルの三名が集められた。
現在、ネヴィル王国は幼いとはいえアデルが親政を行っているので、宰相は置いてはいない。
この三名の異例の抜擢に旧臣たちは驚いたが、反発は無かった。
彼ら旧臣たちは、自分たちが政治を苦手としていることは承知していたし、アデルが彼ら旧臣たちを武官として要職に抜擢したことも大きい。
逆に大臣や尚書令に抜擢された三人の方が、器ではないとして辞退しようとするのを、アデルは必死になって止めねばならなかった。
とはいえ、この人事は様々な問題点があるにせよ、現在のネヴィル王国ではベストに近いと言えるだろう。
老齢とはいえ、叩き上げの商人であったロスコは経済に明るく、また二十代になったばかりで若すぎるとはいえ、トラヴィスは現在のネヴィル王国唯一の外交相手であるエフト族の話すエフト語を話し、読み書きが出来る。
トラヴィスと同じように、異例の若さで王の秘書官ともいえる尚書令に任命されたスイルは、教養があり数字に明るい。
この会議における進行役を務める三弟のトーヤが、ノルトの使者を受け入れることを明言し、その対応の概略を語った。
「なるほど、なるほど。確かに我が国とノルトではガドモア同様、国力が違いすぎる。国を挙げての総力戦となれば、我が国に希望の一かけらもないわけじゃな」
ジェラルドは大きく溜息をつきながら、白く伸ばしている顎鬚を指で扱いた。
現実を受け止めれば受け止めるほど、前途は暗く、霞んでいく。
「考えは理解した。つまりは、ネヴィルは小なりとも強兵の国。そしてノルトとは大きく文化が違い、征服されたとしても、容易に治める事が難しいと相手に思わせれば良いわけだな」
三兄弟の叔父であり、数少ない王族かつ重臣中の重臣であるギルバートは、国主としては若すぎる甥の才覚に惚れぬいている。
今回もこの三兄弟の知恵の冴えに、さぞかし期待している事だろう。
「でしたらこういうのはどうでしょうか…………使者を我が国の境にて迎え、直接ここに向かうのではなく、大きく迂回する事になりますが、訓練場や学校、養鶏場や卵を配給しているところを見せるというのは?」
この面子の中において末席に座るスイルが意見を述べると、アデルは大きく頷いてその考えに同意を示した。
「エフト族が仲介するということは、彼らの中でもそれなりの者が来るのでしょう。彼らも厚遇し、我々とエフト族との繋がりの強さを、ノルトの使者に見せつけるということも必要かと思いますが」
外務大臣であるトラヴィスの言葉にもアデルは頷いた。
エフト族とは政略結婚の約束を交わしているとはいえ、正式に通婚しているわけではない。
ノルトと国境を直に接しているエフト族は、借りのあるネヴィル王国と、軍事的な圧を感じているノルトとの間で、今は大きく揺れている事だろう。
それを少しでもこちら側に繋ぎとめておくためにも、これは必要な事だといえる。
「交渉がどうであれ、使者にはお土産を持たせねばなりますまい。これも慎重に選ばねばなりませんぞ。まず、金銀や宝石の類はおやめください。ノルトの王は英邁であると聞き及んでありますが、その家臣たちまでそうとは限りますまい。金銀財宝の類に心惑わされ、欲をかき立てられた家臣たちに押し切られ、我が国を征服しようとしてくるかもしれませんぞ」
ロスコの言はもっともである。賢い王の家臣たも、皆賢いとは思えないのだ。
ノルトは王政の封建社会国家ではあるが、絶対王政かどうか、王の権力がどれほどのものなのかはまだよくわかっていない以上、少しでも不安のある要素を取り除いて交渉にあたるべきだろう。
「では、何が良いと思いますか?」
このアデルの問いに、ロスコは元商人らしく目を細めて見せた。
「そうですな…………石鹸がよいかと…………」
「「「石鹸?」」」
三兄弟はロスコの提示した意外な物に驚きを隠せない。
「石鹸なんて、そんな巷にありふれた物がどうして?」
「はっはっは、やはりご存じありませなんだか。我が国で用いられている石鹸は、何から作られているかご存じですかな?」
「何からって…………オリーブ油からでしょ?」
「その通りで御座います。実はこのオリーブ石鹸、南部でしか流通してはおりません。何故なら、北部では冬の厳しさにオリーブが堪えられないのです。なので、北部では獣脂石鹸が用いられていることが多いのです」
「何だ、やっぱりノルトにも石鹸あるじゃん」
「まだよくお分かりになられていないようですな。無理も御座いませんな。この地ではオリーブ石鹸が一般的ですから…………実は香りの良いオリーブ石鹸とは違い、獣脂石鹸は臭いのです。獣の匂いがどうしても残ってしまいまして…………主に御婦人方がこの匂いを酷く嫌っておりまして、オリーブ石鹸は高く売れるのですよ」
「えっ、でも祖父ちゃん商会でオリーブ石鹸を扱って無かったじゃん」
カインの疑問に、ロスコはクスリと笑いながらその理由を説明する。
「それは当然で御座いましょう。当時の商取引はガドモア王国内が主で御座いました。オリーブは南部で盛んに育てられております」
「あっ、そうか…………ガドモア王国南部でもオリーブは普通に獲れるからか。でも、ノルトでは育たない。それにノルトとガドモアは戦争中、商取引も大々的には行えない。つまり、オリーブ石鹸が今のノルトでは気軽に手に入らない高級品ということか」
正解とロスコは微笑みながら頷いた。
「いい選択だ。重要な戦略物資というわけでもないし、かといって金銀財宝ほど人の欲を刺激もしない。もっとも、御婦人方にとっては、それに匹敵するかもしれないが、男たちにとってみれば、石鹸を奪うために命を懸けるのは馬鹿馬鹿しいと思うだろうな」
「それだけじゃないぞ、流石は祖父ちゃんだぜ。この先の商取引の主力商品の売り込みにもなるわけだ。早速オリーブの増産も視野に入れないと」
「我が国で用いられている石鹸は主に三つ。一つは当然オリーブ石鹸。もう一つは、猟師たちによって一部用いられている獣脂石鹸。最後の一つは、天麩羅に用いた廃油を用いて作られた廃油石鹸。天麩羅に用いられる油は、オリーブ油なので廃油石鹸もそこまで臭くはない。これも安価で庶民用に輸出出来るかも知れないな」
三兄弟にとって石鹸は全くの盲点であった。
だが、これは仕方のないことだったかも知れない。
何故なら、生まれた時より日常で使われており、この地方では極々当たり前に普及していた物が、高級品であるとは考えも無かったことである。
「塩はどうだろう? うちの赤塩は?」
カインの提案に対し、トーヤが即座に駄目だしをした。
「塩は駄目だよ! ノルトで岩塩が取れるかは知らないが、塩は生きるのに必要な重要な物資だし、安易に見せるべきじゃないと思う」
このトーヤの言葉にロスコも同意する。
「おそらくノルトは現在、塩を隣国のイースタルから輸入しているものと思われます。ノルトとイースタルは僅かではありますが、国境を接しておりますからな…………塩の取引は、ノルトと関係を築いた後からでも遅くはありますまい。他に商取引の有力な物品としては、生薬としての石膏や、この地で焼き上げている陶器などがよろしいかと思われます」
「陶器?」
「ええ、ノルトで用いられている陶器は、薄っすらと青み掛かっておりまして、我が国で用いられている陶器のように白くはないのです」
これにも三兄弟は驚いた。そして驚くと共に、直ぐにこの白磁が金の卵であることに気付いた。
薄っすら青み掛かっているということは、ノルトの陶器は青磁といったところか。
純白に近いネヴィルの白磁は、ノルトの人間にとって珍しく映ることだろう。
ちなみにガドモア王国で用いられている陶器の多くは、ネヴィルほど白くはなく、薄っすらとだが黄味掛かっている。
劇的な色の違いが無いため、ネヴィルがガドモア王国に属していた頃には、有力な商品とはならなかったのである。
「そういえばエフトでは食器の多くは木製だった。これは彼らが山中に住んでいるのと、半遊牧的な生活形態のため、陶器は移動の際に割れたり重くて邪魔だからだろうな。これに対してノルトは、ガドモア同様平地の農耕民族。移動する必要性がないので、食器類も多少重くても問題無いってわけか」
「面白いな。石鹸といい陶器といい、国を挙げてブランド化すれば、かなり有力な商品に化けそうだ。よし、預かり物とやらが何かはわからんが、返して貰ったとすればお礼をせねばなるまい。返礼の品は、陶器にするか」
その後は集まった面々で細部が煮詰められていく。
そして会議が終わろうとしたその最後に、国王であるアデルが皆を唖然とさせる爆弾発言を放った。
返礼の使者は余、自らが務めると。




