糞味噌
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王となったアデルがまず行ったことは、新たに王都の名を決めることだった。
三兄弟相談の上、前世の記憶にある日本の首都である東京から、王都の名をトキオと定めた。
「関門の名は中華、王都の名は日本…………そして俺たちの名は西洋風と、何だかまとまりが無いな」
「いいじゃないか。元々、俺たちはそれらのいいとこ取りをして、天下を目指すのだから」
朝、井戸から汲んだばかりの、凍るような冷たい水で顔を洗っているアデルとカイン。
そこに三男のトーヤの姿は無い。
トーヤはここ数日、二人よりも早起きして、自身の研究所…………離れの小屋である物の製造を進めていた。
研究所と言う名の小屋を持つのは、何もトーヤだけではない。
次男であるカインも、研究所にて新たな蒸留装置の開発と研究に勤しんでいた。
この地で行われていた蒸留に手を加えたアランビック蒸留器により、より効率的に蒸留が行われるようになり、純度の高いエタノールを取出し、それを消毒液とした。
また、その研究の副産物として、ワインを作る際の絞りカスを醗酵、蒸留したグラッパが作られ、ワイン、ハニーに続く第三の土地の名酒として期待されていた。
このカインの成功に続けと言わんばかりに、トーヤも自身の研究に熱を入れていたのだ。
トーヤが研究している物とは一体何か?
それは三兄弟に、いや、三兄弟の記憶にある日本人に馴染みの深い物であった。
「出来た! 出来たぞー!」
アデルとカインが顔を洗い終え、未だ冷たい井戸水をタオルで拭きとっていると、トーヤが子供の頭ほど大きさの壺を掲げながら、二人の元へと駆けて来る。
「お、おお!」
「遂に出来たか!」
アデルとカインは、トーヤが掲げている壺の中身が何であるかを知っている。
二人も大喜びでトーヤへと駆けよる。
「早く、早く蓋を開けろよ」
カインの催促に、トーヤは、まぁ、慌てなさんなと勿体つけてから、壺の蓋を開けた。
壺の中には、茶褐色の物体が入っており、それからは醗酵食品特有のツンとした匂いが漂っている。
「お先!」
カインはその茶褐色の物体を指先で掬うと、躊躇いなく口の中へと指を躍らせる。
「どれどれ、匂いはそれらしいが、味は?」
カインに遅れじと、アデルも人差し指で掬い、指をしゃぶった。
「どう? 今度こそ、完成でしょ?」
トーヤは既に味見を済ませており、トーヤ自身は満点とは行かずとも、今回は成功だと疑っていなかった。
「おお、思っていたのと少し違うが、ちゃんと出来てる」
「うん、これは紛れもなく味噌だ。やったな、トーヤ!」
トーヤが研究開発していた物、それはヒヨコ豆から作る味噌であった。
三兄弟は、早速味噌壺を持って厨房へと駆けこんだ。
そしてこのネヴィルでの冬野菜の代名詞である蕪を見つけると、水で洗い泥を落とし、適当に切ったそれに味噌をたっぷりと乗せて生のまま齧りついたのだった。
「う、美味い! 確かに記憶の中の味噌より味は変だが、それでも十分美味い!」
「味が変なのはヒヨコ豆だからだろう。それとも麹のせいだろうか?」
「何にしても成功だろ? これは間違いなく味噌だ! 誰が何と言おうと!」
わかったわかったと、蕪を喰らいつくした二人がトーヤを宥めていると、どたどたと大きな音を立てながら、鬼の形相をしたジェラルドが厨房へと駆けこんで来た。
三兄弟は始め、厨房に入り、蕪を無断で拝借したことを怒られるかと思ったが、ジェラルドはアデルの首根っこを捉えると、無理やり口の中に太い指をねじ込ませてくるではないか。
「アデル! 乱心したか! いくら腹が減ったとはいえ、糞を喰らうとは何事か! お前たちも、直ぐに喉に指を入れ、食べた糞を吐き戻せ!」
実は、三兄弟が蕪に味噌をつけて食べているのを、家人が目撃し、味噌を糞だと思い、これは一大事であるとジェラルドへと急ぎ報告したのであった。
ジェラルドの老人とは思えぬ剛力で口を無理やり開けさせられ、喉奥に指を深く突っ込まれ、えずいているアデルを見て、慌ててカインとトーヤが止めに入った。
「お爺様、お爺様、勘違いです!」
「そう、そう、これは糞ではなく、味噌です、味噌!」
トーヤが慌てて味噌壺の蓋を開けて見せるも、初めて味噌を見たジェラルドには、糞にしか見えない。
結局、アデルはジェラルドの手によって、食べた蕪と味噌を全て吐き戻すこととなった。
ーーー
「これが食い物か?」
事の次第がわかり、ようやく落ち着きを取り戻したジェラルドは、味噌壺からスプーンで掬われた味噌を見て、嫌悪感を露わにし、眉間に皺を寄せながら片手で鼻を摘まんだ。
一大事であると、急遽呼び出しを受け、急ぎ駆けつけた叔父のギルバート、母方の祖父であるロスコもまた、味噌を見て険しい表情を浮かべている。
「食べ物ですよ、ほら!」
そう言ってトーヤが指で掬って舐めて見せる。
大人たちは、あっ! という声を上げ、表情をより一層険しくした。
「何度も言いますが、これは味噌と言いまして…………文献によると、ある程度保存が利く調味料です」
これまでの三兄弟のアイデアの数々は、古来の文献からの引用や応用といったことにしてある。
前世の記憶がどうのこうのというのは、いくらこの世界が迷信深いとはいえ、正気を疑われてしまうに違いない。
「調味料だと? 儂にはどう見ても糞にしか見えぬ…………」
ジェラルドは未だ鼻を摘まんだまま。
ロスコもまた、ジェラルドに倣い、鼻を摘まみだした。
いつもは三兄弟に好意的なギルバートも、この味噌にだけは否定的な態度を示している。
「美味しいから! 元はヒヨコ豆だし!」
長年研究し、苦労を重ねて来たトーヤは、味噌を糞と間違えられ、もう涙目である。
そんなトーヤをアデルとカインは憐れむとともに、味噌の調味料としての可能性と、栄養源としての有用性を説いていく。
「この味噌を湯に溶いた味噌汁は、現在ネヴィル王国で広く食されている豆腐とも相性が良く、また二日酔いの際には、その二日酔いを軽減する効果もあります」
二日酔いは、いつの時代でも大人たちを悩ませている。
それに効くとあれば、見方が変わるかと思ったが、どうにも大人たちの反応は悪い。
「食料でもあり、薬だと申すか…………いやしかし、糞は糞であろう…………」
アデルはもう一度蕪を用意し、それに味噌を乗せ配ると、自ら一番に味噌の付いた蕪を頬張った。
その時の大人たちの表情といえば、眉間にこれ以上となく皺を寄せ、唇を噛み締めるという、何とも言えぬ顔で、一言も発せずにただアデルが食べ終わるのを、息を止めながら見守っているという有様であった。
三兄弟たちに散々、試しに食べるようせっつかれてやっと、大人たちは味噌を軽く舐めて見た。
「これが糞の味か…………」
「まさか、この歳になって糞を喰らうことになるとはの…………」
「糞ではありません! 味噌です!」
大事に育てて来た味噌を糞呼ばわりされる度に、トーヤは顔を真っ赤にして訂正する。
その内にトーヤも我慢できなくなって来たのか、目に大粒の涙を浮かべ始めてしまう。
トーヤの苦労はアデルもカインも知るところである。
トーヤの味噌に対する情熱、そしてそれを否定される悲しみと怒りは、ネヴィル王国第二代国王であるアデルを突き動かすに十分であった。
「トーヤ、味噌の量産体勢は整っているか?」
トーヤは涙を目に浮かべたまま、アデルに向き直ると、そのまま頷いた。
「ならばよし。ネヴィル王国第二代国王として命じる。この味噌を王国軍の糧食とし、常備せよ!」
アデルの命令を受けたトーヤは、涙を袖で払い、
「はい、仰せのままに!」
と、笑顔で頷いた。
カインもまた、アデルとトーヤに向かって親指を立てている。
驚いたのは、大人たちである。
「こ、これ、アデル! 王命を何と心得る。そのようなことで、軽々しく王命を発するでない」
ジェラルドの制止を、アデルは頑として受け付けない。
これがアデルが王として振るった、初の強権であった。
「この味噌の価値は、お爺様たちには今はわからないかも知れません。ですがこの味噌は、絶対にネヴィル王国のためとなる物です。どうか、どうか今だけは、私たち三人の我儘を許し、それに付き合って頂きたい」
そう言ってアデルが頭を下げると、それに続いてカインとトーヤも同じく頭を下げた。
孫可愛さ、甥可愛さというのもある。結局、先ずは自由にやらせてみて、国民の反応を見てみようということになった。
味噌が大々的に生産され始め、先ずは王国軍へと配給された。
結果、評価は散々であった。まず、見た目が悪いという声が多い。
そして醗酵食品特有の癖に慣れるには、まだまだ時間が必要でもあった。
しかし、ある部隊ではこの味噌は、神の調味料として持て囃されるようになる。
それは、このネヴィル王国の山岳地を駆け巡り、守護する山岳猟兵たちであった。
山岳猟兵たちは、普段狩りをしてその獣を喰らうことが多く、その獣の種類によっては、いくら下処理を丁寧に施しても、その獣臭さに悩まされることが多々あったが、味噌にはその獣臭さを弱める力があると知るや、一気に人気に火が点いたのである。
三兄弟が山岳猟兵たちに教えた味噌煮込み料理が、その家族へと伝わり、やがてネヴィル王国全体へと広がって行くのだが、それにはまだ半年以上の月日が必要であった。
現実ではまだまだ寒さが続きますが、物語の中ではそろそろ春となり、いよいよ戦争が始まります。




