59世界恐慌
一九二九年、十月。 暗黒の木曜日と呼ばれたニューヨーク株式市場の大暴落は、瞬く間に世界を絶望の淵へと叩き落とした。
テレビのニュースが伝えるその惨状は、数字で見れば、より凄まじいものだった。二〇〇八年のリーマンショックでの世界GDP減少がわずか一%程度だったのに対し、この世界恐慌は三年間で十五%もの富を消滅させた。重工業化を成し遂げたばかりの日本にとって、最大の輸出相手であるアメリカの崩壊は、まさに破滅と同義だった。
私は即座に、高橋是清様と会談を持った。 更なる低金利政策と財政出動。そして、史実にはない農業調整法――いわゆる減反政策を提案した。仕事をしなくてもお金になる、という不思議な仕組みだが、生産過剰による米価暴落を防ぐには、これこそが合理的な手段となる。
「給付金も忘れてはなりませんわ。貯金に回るだけだと宣うのは、金持ちだけ。私のような氷河期世代・・・いえ、苦境にある国民には、この現金こそが明日の希望になるのです」
さらに、資金繰り支援や雇用調整助成金の拡充、輸出企業支援を合意。中小の企業の会社員を迅速に救う手段の確保こそが最重要ですわ。
絹の輸出が廃れたこの世界線では、茜の旦那様が開発したナイロンや合成繊維を使った商品などが新たな外貨獲得の柱となっている。
それ以外の財閥系重工業もこの政策の恩恵に預かるだろう。とにかく失業者の発生を再下限にする事が効率的な火消になる。とにかく、速度重視が肝ですの。
一方で、絹に依存していた北京の張作霖政権は、今頃顔を真っ青にしているはず。
「助けて差し上げましょう。日本を離れたくても、日本(資本)なしでは生きていけないことを、身をもって知っていただく絶好の機会ですわ」
私は、国際的な通貨の消防署――IMF(国際通貨基金)の設立までをも視野に入れていた。出資元は、涼宮が持て余している膨大なドルと金塊。準備は整った。私はアポイントメントに従い、永田町の首相官邸へと足を踏み入れた。
「よく来てくれた、涼宮伯爵嬢。貴女が来てくれると、不思議と安心する」
迎えてくれた犬養毅首相――木堂先生は、慈父のような笑みを浮かべられた。
「恐れ多いことですわ。私など、若輩の意見を述べることしかできませんのに」
「ほう? あの高橋大蔵大臣が真っ先に教えを乞うたお人が、左様なことを。この未曾有の不況、私にとっては一縷の望みを託せる唯一の御仁だ」
先生は軽やかに笑い、私を応接室へと通した。 運ばれてきたのは、琥珀色に透き通ったレモンティー。その爽やかな香りが、緊迫した空気をわずかに和らげる。
「して・・・どう手を打つべきか、ご教示いただけるかな?」
「犬養首相。それは経済的見地からではなく、政治的見地からの解決を、ということでよろしいかしら?」
「・・・いかにも。その通りだ」
私はティーカップを置き、静かに切り出した。
「これから世界には分断という病が蔓延します。ドル、ポンド、フラン、そして円。各国は植民地を囲い込み、他者を排除するブロック経済へと突き進むでしょう。・・・そして、その輪から漏れたドイツや日本が飢え、不満を募らせ、再びあの大戦の業火へと身を投じることになる」
「ド、ドイツが再び戦争へ・・・!?」
先生の目が驚愕に見開かれる。彼には、私が未来の記憶を『見て』いることが高橋先生から伝わっている。
「ならば、どうすればよいのだ。満州を持つ我が国はともかく、ドイツなどは破滅へ一直線ではないか」
「答えは一つ。そのブロック経済の鎖をぶち壊すのですわ」
つい荒い言葉が口を突いて出たが、私は構わず続けた。
「自由な貿易こそが平和への唯一の道。ブロック化など、自分さえ良ければいいという浅はかな利己主義に過ぎません。まずはアメリカとイギリス・・・この二つの巨人に、圧倒的に魅力的な需要を突きつけるのです」
「需要・・・? しかし、米英が簡単に首を縦に振るだろうか。恥ずかしながら、この犬養、英語もままならぬ俗人だ。彼らと対等に渡り合える自信が・・・」
「ご安心くださいな。言葉が通じなくとも、視覚で利益を分からせればよろしいの。・・・善十郎、例のものを」
私の合図で、控室から善十郎が重厚な木箱を運んできた。 中に入っているのは、我がスバルの電子技術開発部の技術を注ぎ込んで完成させた新製品――高輝度プロジェクター。
「チャーチル氏や、モルガンのラモント氏にも協力を仰ぎますわ。彼らだって、涼宮の投資が止まるのは困るはず。物理で殴っている自覚はありますけれど、背に腹は代えられませんわね」
私は、驚く首相を前に、不敵な笑みを浮かべた。
「先生。プレゼンの演出は、すべて我が涼宮家が担当いたします。そう、黒のTシャツにジーンズ一枚で登場して、あのスティーブ・ジョブズのような気の利いた演説をしていただきましょうか。満州・東ロシアの市場ビッグデータ・・・これを見せられて、首を振れる資本家や政治家はおりません。彼らはどこまでも強欲ですから。さあ、世界を驚かせる準備は、もうできておりますわ」
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