58ロンドン軍縮条約
一九二九年九月。 初秋の風が運んできたのは、一人の巨星の訃報でした。
田中儀一首相、死去。享年六十五歳。 新聞がその死を悼む記事で埋め尽くされる中、私は静かに誌面を見つめていた。史実とは違い、柳条湖事件という関東軍の自作自演の暴走を食い止め、名誉を守り抜いた末の最期。それは彼にとって、せめてもの救いだったのかもしれない。
「・・・すまない、鷹尾」
隣で、旦那様である一樹が、絞り出すような声で呟いた。私は一樹に無理なお願いをしていまった。二十世紀後半にようやく確立されるカテーテル手術を、半世紀も前倒しで実現してほしいと。
「ううん、私の方こそ無理を言ってごめんね。・・・私が強欲すぎたのよ」
一人でも多くの命を救うことが、かつて母に命を救われた自分の責務だ――そう語る一樹にとって、治療の糸口が見えていながら届かなかった悔しさは、察するに余りある。
「一樹、ですが、田中首相の死に顔はとても穏やかだったと。・・・自分の判断に満足して天に召されたのだと思いますわ」
「・・・ああ。だが、俺が・・・」
これ以上、自分を責める言葉を吐かせたくなくて、私は一樹を強く抱きしめた。
にいは、泣いていた。医術の天才であっても、神様にはなれなかった。その悔しさを分かち合うように、私はただ、その背中に手を回し続けた。
さて、しんみりしてばかりもいられない。田中様の急逝を受け、次なる舵取りを任されたのは、憲政の神様こと犬養毅様。対話を重んじ、政党政治の理想を追う彼が、困り果てた様子で我が家を訪ねてきたのは、それから間もなくのことでした。
「首相、ロンドン軍縮会議の件ですわね?」
「・・・うむ。実に困っておるのだよ、涼宮伯爵嬢」
困っていると言う割には、どこか飄々としたその姿。流石は対話の達人ですわね。史実では、この会議が招いた統帥権干犯問題が、犬養自身の命を奪う五・一五事件の引き金となる。政党政治を軍事政権へと変質させてしまった、あの忌まわしき悲劇。
「まずは、ワシントン条約ほど厳しい内容にはならないと思いますわ」
「ほう? 何故そう断言できるのかな?」
「今の日本は、米英に対して圧倒的に経済が潤っています。あちらの金が尽きたからといって、こちらの成長を止める謂れはありませんわ。落日を迎えつつある英国の焦りに付き合う必要などないのです」
「・・・容姿端麗、頭脳明晰とは伺っておったが、正に才女じゃな」
あら。そんな風に褒められると、お鼻がピノキオのように伸びてしまいそうですわ。あ、あれは嘘をついた時でしたっけ?
「日本は後ろ指を指されるようなことはしておりません。堂々と対米七割を主張なさってください。・・・ですが、首相。あなたの杞憂は、涼宮の発案で造らせた大隅級強襲揚陸艦と松級駆逐艦が、制限に引っかかることでしょう?」
「その通りじゃ。せっかくの新造艦を廃棄せねばならぬなど、あまりに無体な・・・」
「あら? 別に必要がなければ、廃艦にして鉄ゴミとして溶かして、平和的なものにリサイクルしてしまえばよろしいのでは?」
「な・・・君が造れと言ったのではないか! 悔しくないのかね!?」
犬養様が目を丸くします。正直、私にとってはこれらも経済対策(公共事業)の一環。鉄のリサイクル率なんて百パーセントに近いですし、あまり執着はありませんの。
「ふふ、では逃げ道を教えて差し上げますわ。・・・あの船たち、実はプログラムという魔法を書き換えるだけで、出力を半分以下に調整できますの」
「・・・そんなことが可能なのか?」
史実を知る私は、最初からこの罠を仕込んでおいた。
ロンドン条約の制限対象は、主に二十ノット以上の軍艦。ならば、一時的に出力を下げて、最大速力を二十ノット以下に偽装してしまえばいい。
「米英には機関を更新して出力を下げたと言い張ればいいのです。松級はコーストガード(沿岸警備隊)へ、大隅級は軍籍を抜いて民間船籍のただの輸送船にしてしまえば、無制限枠で維持できますわ」
戸惑う犬養様ですが、中身は私が設計した電子制御の塊ですの。ボイラーの圧力、蒸気加減弁、ノズル・カットオフ制御・・・それらをちょちょいと弄れば、燃費効率を保ったまま、公式スペックを書き換えるなんて造作もないこと。
私が薔薇が開くような極上の微笑みを浮かべると、横から茜が呆れたように呟きました。
「お嬢様は、本当にせこいですから・・・」
「・・・茜。後で邸の裏庭に、肥料として埋めてあげるわ」
松級駆逐艦
基準排水量, 1,200 トン
全長, 100 m
最大幅, 9.35 m
ボイラー, ロ号艦本式重油専焼水管缶×2基 シフト配置
主機, 艦本式ギヤード・タービン×2基 シフト配置
出力, 42000 馬力
速力, 27.8 ノット(19.8ノット)
兵装, 五十口径三年式12.7cm単装速射砲×1基 九十一式20mm三銃身ガトリング砲×4基(電探内蔵式射撃管制装置x4) 九十一式 20mm単装機銃×8挺 九〇式3連装61cm 魚雷発射管×1基(電子制御射撃管制装置) 九十一式対潜弾投射機(対潜弾16個) 八一式投射機 2基、装填台 2基 爆雷36個 後日装備 対艦誘導弾連装x2基 V-BAT(無人偵察機)
レーダー, 22号電探対空
12号電探対水上
ソナー, 九一式水中聴音機 九一式探信儀×1組
大隅級強襲揚陸艦
基準排水量, 9,200 トン
全長, 152 m
最大幅, 19.5 m
飛行甲板, 全長127m・全幅21m
ボイラー, ロ号艦本式重油専焼水管缶×2基 シフト配置
主機, 艦本式ギヤード・タービン×2基 シフト配置
出力, 42,000 馬力
速力, 24.8 ノット (19.8ノット)
兵装, 九十一式20mm三銃身ガトリング砲×4基(電探内蔵式射撃管制装置x4)
レーダー, 22号電探対空
12号電探対水上
搭載機,
九○式戦闘機12機
V-BAT(無人偵察機)
搭載艇, 上陸用舟艇 (大発動艇 最大27隻)
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