57柳条湖事件1928その2
一九二八年、六月。 「相変わらず、兄様の仕事の早いこと」 私は手元に集まった満鉄爆破事件の資料をパラパラと捲り、独りごちた。
「やはり、犯人は河本大佐なのですね?」
「指示を出したのは関東軍司令官、村岡長太郎中将。実行犯はその配下だ」
皇居へと向かう涼宮の専用車。その隣席で、蒼一郎兄様が苦々しく答えた。 歴史とは、よほどこの人選がお気に入りと見える。だが、物語の結末まで同じだと思ったら大間違いですわ。
「おや。あれは首相の車じゃないか?」
兄様が窓の外を指差した。陸軍省前で立ち往生する一台の高級車。
「・・・陸軍から恫喝された直後、といったところでしょう。ちょうどいいですわ。教育を施すには抜群のタイミングですこと」
「ちょうど車も故障しているようだ。私が話をつけてこよう。首相閣下もお急ぎだろうからね」
兄様は存外に意地悪な笑みを浮かべて車を降りた。先日私に散々やり込められた不満を、首相にぶつけて解消するおつもりかしら。数分後、兄様が満足げに戻ってきた。
「話はついたよ。首相は涼宮の車への同乗を希望された。陛下を待たせるわけにはいかないからな」
「では兄様、ここでお別れですわ」
「・・・随分だな。最近、私の扱いが酷くないか?」
「私には愛する旦那様、一樹がおりますもの」
「昔とは真逆の立場だな。・・・いや、自分で招いた事態か。つくづく一樹が羨ましいよ」
兄様は自嘲気味に笑って去り、入れ替わりで田中儀一首相が車内へと滑り込んできた。
「失礼する。涼宮閣下、同乗の許可をいただき感謝いたす」
「こちらこそ。よろしくお願いいたしますわ、田中首相」
首相の顔色は、幽霊のように蒼白だった。淑女を前にして、なんとも失礼な表情ですこと。先日の上奏で河本大佐の軍法会議を開くと陛下に約束しておきながら、今さっき陸軍の身内からもみ消せと脅され、板挟みになっているのでしょう。 ・・・全く、同情の余地もございませんわ。
「首相。奉天の新聞特派員が撮影した真実ですわ。ご覧になります?」
私が差し出した一枚の写真。それを見た瞬間、首相の指先が目に見えて震えた。そこには柳条湖付近の線路上で、工作に勤しむ日本軍の軍服を着た男たちの姿が、残酷なほど鮮明に写し出されていた。
「首相。火のない所に煙は立たず、事実に蓋はできませんわ。今や奉天には我が国の駐在員も、米国をはじめとする各国の特派員も大勢おりますの。真実は、隠すほどに腐臭を放ちますわよ」
「・・・鷹尾伯爵。貴女は何が言いたい。偶然を装い、私に何を吹き込むつもりか?」
「ええ、その通りですわ。私は、貴方の味方が誰で、ご主人様が誰なのかを、再教育して差し上げたいのです」
「それは言わずもがな、陛下お一人だ!」
「その陛下を、今まさに裏切ろうとなさっているのに?」
首相は絶句した。拳を握りしめ、屈辱と怒りに震えている。彼は迷っているのだ。陛下への忠義と、自身の支持母体である陸軍のメンツとの間で。だが、このままおとぼけ上奏を繰り返せば、待っているのは陛下の信頼失墜と、政党政治の死である。
「迷いはお捨てなさい。これが発覚すれば、貴方は国民すべてを敵に回すことになりますわ。陛下、臣民、そして陸軍。貴方は誰のための首相ですの? 陛下は、我が子のように臣民を愛していらっしゃる。ならば、首相もまた臣民のためにあるべきではありませんこと?」
「わ、私は・・・」
「すべては首相のご判断に任せますわ。もし、貴方が国民を味方に選ぶのであれば、我が涼宮は貴方の、いえ、国民のために働くことを誓いましょう」
皇居で車を降りる田中首相の背中には、先ほどまでの迷いはなかった。そこにあるのは、覚悟を固めた一人の政治家の姿だった。
――その後、歴史は劇的な展開を見せた。田中首相は陛下に対し、河本大佐を軍法会議にかけると明言。激昂した陸軍大臣・白川義則らが首相を糾弾したが、その様子は茜に手配させた涼宮の新製品ポータブル録音機によって、すべて記録されていた。
その日、日本最初のテレビジョン放送が開始された。日本放送協会(NHK)が、世界を驚愕させるスクープを放った。
「・・・では、田中首相と陸軍幹部の緊迫したやり取りをお聞きください」
スピーカーから流れる、陸軍の醜悪な恫喝の声。
『爆破が日本の仕業だと認めれば、それは即ち、陛下が統帥される帝国陸軍が謀略の徒だと認めることになります。それは陛下を辱める不敬に当たるとは思いませぬか?』
『陸軍が閣下を支持しなくなれば、貴方の内閣は明日にも崩壊します。野党に政権を渡し、軟弱な外交に日本を委ねるおつもりか?』
『ここで軍を売れば、貴公は陸軍の面汚しとして歴史に刻まれる。軍人としての名誉も、元大将の称号も、すべて泥にまみれる。死んでから英霊たちに合わせる顔がありますかな?』
それに対する、田中首相の裂帛の気合。
『国のためなら嘘をついても良いと仰るのか? そんなもの愛国でも何でもない! 私にただの保身に拘る臆病者に徹しろと言われるのか!』
録音の最後は、陸軍大臣の『命があると思うなよ』という卑劣な捨て台詞で締めくくられた。
翌日、日本史上空前の光景が広がった。陸軍省前を埋め尽くす怒れる群衆。警察さえも、その熱気に圧倒され、動くことすらできなかった。激怒された陛下は、陸軍大臣を呼び出し罷免。
号外には軍部の謀略が余さず記された。
治安維持法に縛られない、大正デモクラシーの真の開花。それは、テレビジョン放送によるスクープという楔が打ち込まれ、日本の民主主義が初めて自らの手で勝ち取った、輝かしい勝利の記録となったのである。
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