52マジェスティック
「それにしても、モルガンの財力とコネクションは凄まじいものだな」
豪華客船マジェスティック号の室内プール。貸し切りにされた贅沢な空間に、一樹の感嘆したような声が響いてる。 天井のドームから差し込む陽光が、波立つ水面を宝石のように煌めかせている。私は、ハワイのビーチで物議を醸した例のビキニに身を包み、プールサイドのデッキチェアでゆったりと手足を伸ばしていた。
「そうね。同盟成立の証に、ニューヨークからロンドンまでの航海・・・いえ、この『海の女王』での旅をプレゼントしてくださるのですもの。巨頭の度量は、私たちの想像を遥かに超えているわね」
予定していた日本への帰路を急遽変更し、私たちは大西洋を渡る航路についていた。目的は、ロンドンで待つイギリス政府顧問、フレデリック・リース・ロス氏との会談だ。
「しかし鷹尾、リース・ロス氏が直々に会いたいと言ってくるとは・・・。一体、奴らは何を嗅ぎつけたんだ?」
「多分、我が涼宮財閥がポンドを大量に売り浴びせて、金に換えているという動きね。今のポンドは、チャーチルさんの強気な政策のせいで実力以上に高すぎるの。1930年代に入れば価値が下がるのは目に見えているわ。当然の防衛策でしょう?」
「・・・噂じゃなくて、本当にやってるんだな」
「あら、バレちゃった?」
私はサングラスを少しずらし、可笑しそうに旦那様を見上げた。一樹は呆れたように肩をすくめたが、その表情には隠しきれない懸念が混じっていた。
「彼はこうも言っていたぞ。『涼宮家には、どんな暗号も解ける未来の計算機があるのではないか』と。・・・鷹尾、ほどほどに・・・いや、少し何か対策をした方がいいんじゃないか?」
「そうね。善十郎の弟子たちに頼んで、適当な『偽の計算機』の設計図でも掴ませておきましょうか。・・・ところで一樹、さっきから顔が怖いわよ? ここには私たち以外、誰もいないのだから、もっとリラックスしたら?」
ラモント氏の権力で貸し切りにされたこのプールには、給仕一人すら立ち入らせていない。人目を気にせずこの格好ができるのは、この旅最大の贅沢かもしれない。
「リラックス、か。そんな恰好の鷹尾を前にして無理・・・いや、何でもない。それよりもう一つ気になったんだが、ラモントとの契約条件。万が一アメリカと戦争になったら、アメリカ国内の涼宮の資産は全部差し押さえられて、こちらが圧倒的に不利になるんじゃないか?」
「不利? 逆よ、一樹」
私は悪戯っぽく微笑んだ。
「もし、彼らが強引に資産を押さえようとするなら、レアメタルの採掘場も油田の製造装置も、一切スイッチが入らないようにするわ。そうね、二十一世紀最悪の発明——『パスワード』という概念でもプレゼントしようかしら? 正解を入力しない限り、機械はただの鉄屑になるの」
「・・・お前は、本当に悪辣だな」
「心外だわ。平和をお金で買う、さしずめ『平和の守護者』と言って欲しいわね」
「見かけだけなら『平和の女神』と言われても同意できるんだがな」
「あら。いつからそんなにお上手になったの?」
「・・・嫁が綺麗すぎると、切磋琢磨せんと焦るんだよ」
「うふふ、嬉しいわ」
思わず笑みがこぼれる。かつては冷徹なサイコパスの片鱗しか見せていなかった一樹も、今やどこに出しても恥ずかしくない一流の紳士だ。逆に、私の方が彼に相応しい女であらねばと、少しだけ胸をはろうと背伸びをしなければならない思いがする。
「・・・で、鷹尾。お前の中国戦略の真意も聞かせてくれ。俺は医者だから、政治の泥臭い話はさっぱりわからん」
一樹が真剣な眼差しで問いかけてきた。私はプールサイドに置かれた冷えたシャンパンを一口含み、頭の中の地図を広げた。
「今の中国は、北京の張作霖と南京の蔣介石・・・二つの勢力に分かれて拮抗しているわ。蔣介石の背後にはアメリカが、張作霖のバックには日本がいる。このまま日米に亀裂が入れば、中国は格好の代理戦争の舞台になってしまう」
「日本が資源を中国に依存しているなら、むしろアメリカはそこで戦争を起こさせた方が、日本を干上がらせるのに好都合なんじゃないか?」
「普通ならそうね。でも、アメリカに無くて、中国にあって、さらにそれが日本側の張作霖の勢力下にしかなかったら?」
一樹の目が鋭く光った。
「何・・・? アメリカに無いものだと。・・・まさか、レアメタルか」
「当たり。タングステンよ。1930年代後半、近代兵器を作るのにこれ無しでは語れない。そしてその最大の産地を、私たちがガッチリ押さえているとしたら? アメリカは、自国の勢力外にある不可欠な資源のために、わざわざ中国で火事を起こしたくはないはずよ」
経済的な交流を深め、互いに「失うもの」を大きくする。それが私の描く、戦争回避のシナリオ。
「・・・お前のことを、改めて尊敬するよ」
一樹が静かに、しかし熱を帯びた声で言った。私は彼の手をそっと握りしめ、優しく微笑み返す。
「あら、奇遇ね。私も、世界最高峰の執刀医で、私の言葉だけでペニシリンまで完成させてくれた旦那様のことを、世界で一番尊敬しているわよ」
大西洋を駆けるマジェスティックの機関音が、心地よい振動となって伝わってくる。 ロンドンまで、あと数日。 『平和の守護者』を自称する私と、その守護者たる天才医師の、密やかな、しかし世界を動かす航海は続いていく。
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