48スマートニンジャ
「おはようございます。お嬢様・・・いえ、御当主様」
差し込む朝陽を背に、銀のトレイを捧げた執事長、長門善十郎がうやうやしく頭を下げる。 その動作は、一分の隙もないほどに洗練されていた。彼の正体は、我が涼宮家に江戸の世から仕え続けてきた本物の「忍者」だ。末裔などという生易しいものではない。お父様から当主の座を譲られた際、一族に伝わる秘匿事項の一つとして明かされた、歴史の生証人でもある。
「気にしないで。私にとっては、いつまでも善十郎は善十郎よ。変わらない方が嬉しいわ」
「・・・恐縮に存じます」
私は彼が運んできた朝食に手を付けながら、ふと、思考の海に沈んだ。
『事実は小説より奇なり』とはよく言ったものだが、それを地で行くのが1995年に公開された「ヴェノナ文書」だろう。1940年代、ソ連がアメリカ国内で張り巡らせた諜報活動の記録。それが半世紀もの間秘匿されたのは、自国の解読技術が露見するのを恐れたからに他ならない。
1930年代、米陸軍通信情報局はソ連の暗号解読に成功した。傍受された電文が物語っていたのは、単なるスパイ映画のような話ではなかった。 ホワイトハウスの要職、財務次官補、国務省高官・・・。大統領の喉元にまで、共産主義の棘は突き刺さっていたのだ。マンハッタン計画、そして日本を開戦へと追い詰めたハル・ノート。それら歴史の奔流の裏には、ソ連の工作員たちの影があった。
日本においても、ゾルゲという怪物がいた。ドイツ特派員という皮を被り、近衛文麿の側近・尾崎秀実を通じて、日本の「北進(ソ連攻撃)」がないことを確信させた。その情報は、モスクワ防衛のためにシベリアの精鋭部隊を投入させるという、戦局を覆す最高の結果をもたらした。
情報とは、時に一個師団の戦力すら凌駕する。 ならば——我が日本もまた、新たな時代の「機関」を整えるべきではないか。
私は食事を終え、ナプキンで口元を拭うと、静かに控える善十郎へ視線を向けた。
「善十郎。あなたたちの処遇を決めましたわ」
「・・・ご随意のままに」
深く頭を下げる彼の背中には、どこか運命を諦めたような寂寥感が漂っていた。 彼らに「忍び」を辞めさせる。それが私の決断だ。既に茜はくノ一から足を洗っているが、今も百人近い長門一族が、涼宮の「裏の刃」として影に潜んでいる。
「・・・もう、時代が違うのよ。忍者なんていう時代錯誤な役割、今の私には必要ないわ」
「はい・・・仰る通りでございます。茜も、普通の人間に戻りたいと申しておりました。あまりに危険極まりない任務が続くゆえ、せめて最後は、普通の女性として生きたいと・・・」
・・・ちょっと待ちなさい。今、危険って言った?
「善十郎、私の周囲ってそんなに危ないの?」
「い、いえ! お嬢様自体が、その、存在として危ういと言いますか、あわわわ!」
この執事長、何を口走っているのかしら。私のことを「やべーヤツ」扱いするなんて、後でじっくり教育が必要ね。
「・・・コホン。今の発言は不問に付します。ですが、明日をもって貴方たちの『忍者』としての任は解きますわ」
「承知いたしました。お嬢様・・・して、我ら一族、いつまでにこの屋敷を去ればよろしいでしょうか?」
「誰が屋敷を去れと言ったかしら。あなたは涼宮の執事長でしょう?」
「左様ですが、他の者たちは・・・。彼らは今も、涼宮への忠義のために・・・」
「わかっているわ。これまでよく尽くしてくれた。けれど、忍者の仕事は非合法。万が一発覚すれば、涼宮の、いえ、日本の不祥事になります」
善十郎は苦渋を滲ませ、深く首を垂れた。長年培ってきた技能を否定される痛み。だが、私はその先を見せなければならない。
「蒼一郎兄様から相談を受けていたの。優秀な『間諜』の教導員が足りない、とね」
「お嬢様・・・?」
「そうよ。貴方たち一族には、陸軍『中野予備校』の教導官になってもらうわ。もちろん、今のままでは合格点はあげられないけれど」
「はっ! 我ら一族、国のためならば命など惜しくはありません! いかなる試練でも受けて立つ所存!」
「・・・だから言っているでしょう、貴方たちは『涼宮一族』なのよ。我が身内を死にに行くような任務に送るわけがないでしょう?」
私は椅子から立ち上がり、窓の外の庭を見据えた。
「貴方たちが目指す道は、インテリジェンス——。時代が求めているのは、武力ではなく頭脳よ。そう、『スマート・ニンジャ』! 貴方たちは、情報の覇者になるのよ!」
善十郎は俯き、肩を微かに震わせていた。誇り高き忍びとして生きてきた男が、現代という壁に当たり、ようやく見つけた新たな光。
「お嬢様・・・」
「別に、感謝なんてしなくていいのよ。だって・・・ねぇ?」
「・・・相変わらず、ネーミングセンスが超絶ダサいですな」
「うるっさいわね!」
いいところだったのに! 茜の祖父だけあって、余計な一言が多いのは血筋かしら。
「貴方たち一族は、以後、軍属として働いてもらいます。ただし、直接のスパイ活動は厳禁。涼宮の血を引く者に、これ以上暗い裏道を歩ませるわけにはいかないの。茜と同じように、次代では表の涼宮財閥を支える一翼を担ってもらうわ」
「お嬢様・・・!」
今度こそ、彼の瞳には涙が滲んでいた。昨日一晩かけて、寝る間も惜しんで考え抜いた言葉。少しは響いたようね。
「それにね、私が『未来の知識』を授けてあげる。貴方たちの人心掌握術や情報の整理能力は超一流。けれど、現代の壁は『暗号』という数学の要塞でしょう?」
「はっ・・・。恥ずかしながら、我らのような忍の端くれには、暗号解読など夢のまた夢・・・」
「いいえ、善十郎。暗号解読は数学者の領分。けれど、貴方たちだからこそ、簡単に解読できる方法があるのよ」
驚愕に目を見開く善十郎に、私は不敵に微笑んで見せた。
「暗号文を作る時、必ずタイプライターを使うわ。熟練の貴方たちなら、その『打鍵音』だけで、何を打っているか判別できるはずよ。違うかしら?」
「・・・!?」
「それだけじゃない。敵の暗号機には必ず『鍵』がある。その符号を、貴方たちの技術でこっそり『バグ』を仕込んだ偽物にすり替えたら? 解析の規則性をこちらでコントロールできるわ。そして——私が開発した『デジタル・コンピュータ』と組み合わせれば、どうなると思う?」
「・・・あ、あああ・・・っ!」
ようやく理解したらしい。 旧態依然とした忍びの技に、未来の技術を掛け合わせる。 情報の海を支配する、最強のインテリジェンス・スパイ。 その誕生の瞬間だった。
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