40虎ノ門事件
1923年(大正12年)12月27日。 空は晴れ渡っているというのに、私の心は冬の風よりも冷たく震えていた。 今日、この虎ノ門で、日本の運命を左右する銃声が響く。
「虎ノ門事件」――無政府主義者による皇太子(裕仁親王)暗殺未遂事件。 史実では、この事件が「治安維持法」という名の、言論と自由を縛り上げる鎖を生むことになる。軍国主義へと転がり落ちる日本の、これが決定的な分岐点。
阻止しなければならない。この暗殺を、そしてその先に待つ暗黒の時代を。
本来なら、軍のプロである蒼一郎兄様に任せるべき案件。けれど、一樹に止められた。「今の涼宮家には、女の君が当主であることに不満を持つ者が多い。蒼一郎君がこれ以上の手柄を立てれば、一族のパワーバランスが崩れ、また跡目争いが起きる」と。
・・・合理的な判断ですわ。でも、だからといって。
「お嬢様がわざわざここまで出向く必要はなかったのでは?」
「・・・茜。命懸けの指示を出しておいて、私だけ安全な場所で紅茶を飲んでいろなんて、そんなの無理に決まっているでしょう」
「お心がけは立派ですが、当主としては落第点ですわね」
「わかっているわよ、そんなこと!」
私は止血用の包帯やガーゼ、止血帯を忍ばせたバッグを強く握りしめた。 今回の計画は、私と茜だけの秘密。日時を偽って他の一族を遠ざけ、私たちは虎ノ門の交差点、西洋家具商「あめりか屋」の前に立っていた。
「・・・あいつね。間違いないわ」
人混みの中、不自然にうろつきながらステッキを握りしめている若い男。 難波大助。彼は裕福な家庭に育ちながら、社会の不条理に憤り、極端な思想に走ってしまった「純粋すぎるテロリスト」。
(・・・難波さん。あなたの怒りは理解できなくもない。けれど、テロは何も救わない。あなたが守ろうとした民衆は、あなたのせいで自由を奪われることになるのよ)
彼が絶望せずに済むような社会を私が作れていたら。そんな後悔が胸を刺す。
「茜、お願い」
「承知いたしました、お嬢様」
茜が男の背後へと回り込んだ、その時!
遠くから歓声が上がった。御料車――裕仁親王様を乗せた自動車が近づいてくる!
群衆の熱気が高まり、歴史の針が動こうとした瞬間。 「・・・え?」 茜がマークしていた男は、微動だにせず声援を送っているだけだった。
「しまった、別人!? 歴史の修正力なの!?」
私の背後から、別のステッキを持った男が、狂気を孕んだ目で飛び出してきた。 場所がずれている! 交差点をわずかに過ぎた地点。犯人はまさに銃を抜こうとして――。
「させないっ・・・!!」
気がつけば、私は走っていた。 涼宮家の当主だとか、身の安全だとか、そんなものは全部放り投げて。 私は男の腕を、全力で掴んだ。
「は、離せ! 言葉で解決しないならば、直接行動のみ! この腐った国を変えるんだ!」
「暴力で解決するものなんて、一つもありませんわ! あなたの行動を理解する人なんて、この世に一人だっていない!」
「この売国奴がぁっ!」
男に突き飛ばされ、頭を足蹴にされた。火花が散るような衝撃と痛み。 けれど、男が二度目の暴行を加えようとした瞬間、その体は不自然に折れ曲がり、地面に沈んだ。
「・・・お嬢様を足蹴にするような不届き者、この茜が地獄まで蹴り落としてさしあげますわ」
冷徹な声。茜が背後から男を完璧な羽交い締めにし、ステッキを取り上げていた。 騒ぎを聞きつけたお巡りさんたちが、ドタドタと駆け寄って来る。
私も何度かやられておりますが、ここから首を決められるとギブしない限り死にますわ。
「お巡り様。この不審な男は、私の護衛が取り押さえました。どうぞ、検分をお願いしますの」
私は乱れた髪を整え、精一杯の淑女の微笑みを浮かべた。
事件は未然に防がれた。 一発の銃声も響くことなく、男は拘束。私は「皇太子様の危機を救った功労者」として、後日、過分なまでの称賛を浴びることになった。
当然、史実のような内閣総辞職は起こりませんわ。 それどころか、殿下から直接お礼を言いたいとの仰せを賜り、私は内心「これでお近づきになれる!」とニマニマが止まりませんの。
(・・・これで、第一段階はクリア。でも、本当の戦いはこれからだわ)
その後起きる五・一五事件において、殿下から厳しく。
今の私がやるべきことは、こうした『極端なテロ』が起きないほどに経済を安定させ、人々の心に余裕を持たせること。 経済の父・高橋是清様を支え、飢饉を防ぐ。それが、治安維持法という鎖で縛られた未来を回避する、唯一の道です。
その後起きる五・一五事件において、殿下から厳しく首謀者を厳罰に処して頂く、さすれば後の将校たちへの見せしめとなり、二・二六事件の発生を抑止できるやもしれませんわ。
後の五・一五事件や二・二六事件を起した青年将校の多くは地方出身で、昭和恐慌による農村の極端な疲弊を目の当たりにし、強い危機感と現状打破の思いを抱いていた。
そして私が出来うる事は『貧しいから過激な思想に走る』のなら、涼宮の力でこの国を底上げし、誰もが明日を信じられる豊かな国にしてみせますわ。 警察権力による弾圧ではなく、経済による救済こそが、テロの連鎖を止める唯一の手段ですもの。
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