表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
涼宮鷹尾の歴史改変日誌~令和のアラサー女子、明治の時代に転生して無双する。電子の技術は最強です!~  作者: 島風


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

38/64

38第一次世界大戦後日談

1918年11月11日、ドイツと連合国は休戦協定を結び、第一次世界大戦は終結した。動員された軍人は7,000万人を超え、軍人・民間人合わせて約3,700万人もの尊い命が失われた。人類が経験したことのない総力戦は、信じられないほどの犠牲を払い、ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国、ロシア帝国の四つの帝国が崩壊するという歴史的な転換期をもたらした。


1919年6月28日に締結されたヴェルサイユ条約は、戦後体制の取り決めを定めた。ドイツには領土割譲、植民地放棄、巨額の賠償金支払い、そして空軍の禁止を含む軍備の大幅な制限という厳しい制裁が課せられ、国際連盟の設立も盛り込まれた。これにより「ヴェルサイユ体制」と呼ばれる新たな国際秩序が形成されたが、ドイツの深い恨みを買い、後の第二次世界大戦の遠因となることもまた、歴史が証明することになる。


翻って日本は、史実において中国山東省の旧ドイツ権益継承と、赤道以北の旧ドイツ領南洋諸島の「委任統治権」を得た。それに加え、日露戦争外債をドイツに引き受けさせるという外交的勝利をも収めていた。


当時の首相、原敬は元外交官らしい友和路線を貫き、対外的には穏健な態度を示した。特に中国に対しては配慮を忘れず、北京政府への支援も行っていた。シベリア出兵に関しても反対の立場を取るほどであった。内政においては「四大政綱」(交通機関整備、教育奨励、産業貿易振興、国防充実)を掲げ、対外債務が減少した分、国内投資が増加。史実よりも経済発展が加速した。この時点で、日本はようやく軽工業から重工業へと産業構造の転換を始めたばかりであり、史実に比べて過度な発展を遂げていたわけではなかった。


我がスバルは、大戦特需で莫大な富を築き上げただけでなく、ロマノフ王朝の埋蔵金を手に入れ、桁外れの金塊を所有していた。


しかし、私の悩みの種はシベリアのアナスタシア様だった。1919年、新生ロシアとして東帝政ロシア樹立を宣言。1920年には日米がこれを承認した。米国があっさりと承認したのは、彼らの根強い共産主義嫌いが主な原因だろう。日本については、東ロシアが赤軍、後のソビエト連邦との間の緩衝地帯となることを期待していた。欧州諸国は、同時に成立したソビエト連邦が対外債務を放棄したことで、承認しづらい状況にあったが、それ以前に極東の小国よりも目の前の大国との関係が重要であり、情勢の推移を見守るに留まっていた。


皇女様は私を姉のように慕ってくださり、先日、弟のアレクセイ様が尼港ニコラエフスクで保護され、正統継承者として即位したことに深く感謝されていた。彼を救出したのが私のお兄様であるという点も、皇女様にとっては大きなポイントだったようだ。私は皇女の金塊で大儲けしている身なのだが・・・あの澄んだ瞳で見つめられると・・・この事実は絶対に黙っておこうと心に誓った。


アレクセイ様は血友病を患っておられるが、一樹従兄にいが何とかしてくれるだろう。私と婚約したんだから、それくらいやって当然よね? と、皇女様にとっては良いことなのだが、私にとっては想定外の事態だった。いっそロシア全体を飲み込んでくれれば問題ないのだが、東ロシアの領土はオムスク州以東のみ。その原因は、大半の白軍が民衆の支持を得られなかったからだ。史実と異なり、旗印となる皇族が出現したため、各地で立ち上がった白軍の将軍たちの政治的見解は君主制支持へと統一されたものの、彼らの本音は自身の既得権益の保全にあり、民衆が求める農地の再分配に応じなかった。これに対し、赤軍は「平和、土地、パン」を約束し、実際に土地を農民に分け与える政策をとった。


私は皇女様に、赤軍と同様の条件を民衆に提示すべきだとご意見申し上げた。さらに、涼宮農業研究所で品種改良された小麦、ジャガイモ、大豆、大麦、そば粉、白菜の苗を提供する約束もした。1920年に入ると、茜の旦那様が塩化ビニルの開発に成功し、ビニールハウス栽培が普及したことで、東ロシアの農業収穫量は飛躍的に増大した。


とはいうものの、白軍将軍たちは食料の強制徴用や残虐な行為を行っていたため、今さら支持を得られるはずもなく、1919年には現地での赤軍との係争を断念。日米に守られ、ウラジオストクへと渡航した。オムスクのアレクサンドル・コルチャークをはじめ、クリミア半島のピョートル・ヴラーンゲリ、ペトログラード攻略を断念したニコライ・ニコラーエヴィチ・ユデーニチなどが集まったのは良かったが、総兵力百万もの軍勢の糧食を確保するため、皇女様は金塊を5トンから10トンに積み増し、日米から食料を輸入した。その後、兵士の半数を屯田兵とし、農地開拓に当たらせることで、農業の増進に尽力させた。


東ロシアの進撃ルートは、満州と国境を接するアムール州からウラジオストクを擁する沿海州、ハバロフスク州へと進んだ。その後、サハ共和国などが東ロシアへの恭順を表明し、さらにイルクーツク州、トムスク州、オムスク州、クラスノヤルスク地方なども続いた。おおむねシベリア鉄道のオムスク駅以東、シベリアの半分が東ロシアの領土となった。進撃が順調に進んだのは、東ロシアが民衆の支持を得ることに成功した点と、日米軍がシベリア鉄道の支配権を奪取したことで赤軍の移動や補給を停止させたため、容易に達成されたのだった。


史実では赤軍が1922年にウラジオストクを制圧して終結するはずだった内戦は、いまだに続いている。おかげで、第一次世界大戦で萎むはずだった景気は、日米において限定的ではあるものの、好調を維持した。新政府は運搬用の船舶を日米に大量発注し、食料や弾薬、あらゆる物資を輸入した。




総括


日本: 旧ドイツ領南洋諸島(マリアナ諸島<サイパンなど>、カロリン諸島<トラック>、マーシャル諸島<パラオ>)をドイツより割譲。日露戦争時の対外債務のドイツによる引き受け。




アメリカ: 金持ちであったため、特に何も要求しなかった。




東ロシア: ウラジオストクを首都とし、オムスク州以東を確実な領土とする。現在も内戦状態が継続中。




ロシア赤軍ボリシェヴィキ: 内戦中。ロシア、ウクライナ、ベラルーシ、ザカフカスによるソビエト連邦の成立は1922年まで待たれる。




1920年、日米両国は根拠の薄いシベリア出兵を停止し、内戦を東ロシアの内政問題として扱った。米国は最後までソ連を承認せず、日本も同様の姿勢を貫いた。

読んで頂きまして、ありがとうございます。

・面白かった!

・続きが読みたい! と思っていただけたら、

ブックマーク登録と、評価(【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】に)して応援していただけると嬉しいです。

評価は、作者の最大のモチベーションです。

なにとぞ応援よろしくお願いします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ