35ワシントン軍縮条約
1922年、世界は新たな秩序を模索していた。第一次世界大戦の硝煙がようやく晴れ、戦勝国たちは疲弊した国力を立て直すことに必死だった。そんな中、ワシントン軍縮条約が締結された。ロシアを除く英・米・仏は、軍拡競争の泥沼から抜け出し、国力の再生に舵を切りたかったのだ。我が日本もまた然り。国家予算の四割を軍事費に費やすという、尋常ならざる状況を打開したいと願っていた。
この条約は、米・英・日・仏・伊、いわゆる五大国の戦艦・空母の保有比率を「米英5:日3:仏伊1.67」と定めた。当時の日本にとって、この比率はあまりにも屈辱的で、特に最新鋭の戦艦を廃棄させられたことは、艦隊派の軍人たちにとっては、血の滲むような努力を無にされたかのような、感情的な怒りを生んだことだろう。
しかし、この一連の出来事に対し、私は敢えて介入しなかった。なぜなら、私が危惧するテロの類には直接関係がなく、むしろその内容を賞賛すべきだと考えていたからだ。
何しろ、最新の戦艦を廃棄する代わりに、アメリカに対してフィリピンやグアムの要塞化禁止が盛り込まれたのだ。これは、日本の安全保障上、極めて大きな成功と言えるだろう。
また、軍拡による経済の破綻は、当時の日本にとって避けられない運命のように思われた。そうなる前に歯止めをかけることは、未来を考えれば賢明な選択だった。そして何よりも、対米関係の安定は、国家存立の必須条件であった。アメリカに花を持たせ、勝ちに等しい敗北を選ぶ方が、遥かに優れた結果を招くと私は評価したのだ。
「脳筋」と揶揄されるような軍人たちは、ただひたすらに軍艦を揃えたがる。しかし、「八八艦隊」などという巨大な艦隊が作られたところで、その維持費だけで国家財政は破綻しかねない。
そんな無駄な金があるのなら、震災復興や内需拡大に注ぎ込み、国の根幹をなす国力の増強にこそ力を入れるべきだと、私は常々考えていた。
実は白状すると、この外交交渉を有利に進めるための最新技術が、我がスバルには既に存在していたのだ。
それは、デジタル暗号化通信。この交渉が英米に有利に進んだのは、日本の交信内容が彼らに筒抜けになっており、英米は日本が「最悪、比率六割でもいいか」という本音を把握した上で交渉に臨んでいたからだ。これでは、負けるに決まっている。
この軍縮条約締結において、唯一残念な点は、日本の国力増大に反応したアメリカが、英国に圧力をかけ、日英同盟を解消させたことだ。英国は第一次世界大戦で負った膨大な債務と、戦後の経済復興を考えれば、アメリカとの協調は不可欠だった。
その上、日英共通の目的であったロシアの南下政策阻止も、ロシア革命によって意味を失っていた。
東ロシアは日本の準同盟国であり、既にアメリカだけでなく、英国をはじめとする欧州勢にとって日本は脅威でしかなかったのだ。
ここに来て、アナスタシア様救出の時の懸念が現実となったわけだが……人として、彼女を放置することはできなかった。
過ぎたことは忘れ、未来に目を向けよう。その後、アメリカ主導で日・英・米・仏の四カ国による「四カ国条約」が結ばれたことで、日英同盟の代わりになると考えることもできる。要は、孤立しないこと。それが、我が国の生きる道だ。
さて、ここからが我がスバルと、標的艦「土佐」との関係だ。史実では、廃艦となるはずだった戦艦「土佐」は解体されることなく、標的艦として貴重な実験に供された。その結果、水中弾効果という驚くべき事実が判明したのだ。「手前に着弾した砲弾が、そのまま水中を直進。装甲のない船体下部(水線下)をぶち抜き、機関室で爆発して3,000トンもの浸水を発生させた」この事実は、当時の海軍に大きな衝撃を与えた。なぜなら、当時、手前に落ちた砲弾は失速するか、水面で跳ねると考えられており、水面下からの致命傷は想定外だったからだ。
これ以降の戦艦は、水中防御の対策も講じる必要に迫られることになる。これらの貴重な知見は、後の戦艦大和建造に活かされていくこととなる。
また、この実験結果は、魚雷の威力を容易に想像させるものでもあった。後の日本海軍が、戦艦の数的劣勢を巡洋艦や駆逐艦による夜戦で「漸減邀撃作戦」を展開するという発想に至るのも、この土佐の実験が少なからず影響しているだろう。
しかし、この世界線では、各国に秘匿された実験が、我がスバル社製の製品によって密かに行われたのだ。
史実では1925年2月9日、高知県の足摺岬沖(沖の島西方)にて自沈処分となったことになっている「土佐」だが、この世界線では異なる。
それは、「対艦ミサイル」の実験。高木大佐が開発したロケットはほぼ完成の域に達し、ICチップの開発に成功した我が社の集積回路による誘導システムを搭載した。ロケットは慣性誘導と中間誘導を経て、最終誘導はミサイル自身のアクティブホーミングによって行われる。実に100kmも離れた場所から、正確に標的へ着弾するという、脅威の結果が確認されたのだ。
竣工したばかりの軽巡洋艦「夕張」に搭載された四発のミサイルは、全て見事に命中。さらに、一三式艦上攻撃機十機から発射された十発のミサイルも、全て標的に着弾した。およそ十発のミサイルで戦艦を撃沈可能であるという、衝撃的な実証がなされたのだ。
この衝撃は、水中弾のそれよりも遥かに凄まじかった。戦艦という巨大な兵器が、小さな航空機や、駆逐艦と同程度のサイズの軽巡洋艦に撃沈される可能性があることを示唆したのだ。
この後、海軍内部では戦艦派と航空派とに分かれ、大論争が巻き起こるが、当然、航空派が優勢になる。
私もまた、論理的に考えれば、大和を建造するくらいなら、空母を建造する方が遥かに重要だと考えていた。
まさか、この時代に戦艦大和が建造されるなど、夢にも思わなかったのだから。
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