5 同盟国の王子様
「失礼します」
外務大臣を務める二十代半ばの爽やかな青年、メーラー侯爵に連れられて現れたのは、やんちゃそうな十代半ばの少年だった。
メーラー侯爵はその少年に席を勧めると、静かに退出する。それを確認した少年は、ゆっくりと俺の姿を瞳に映した。
プラチナブロンドの髪と紫色の瞳。王妃様とエリザベス嬢と同じその色彩は、リーゼンバイス人の特徴だ。
「やっほ!元気してたか?アルフレッド」
「ああ。フリードも変わらずだね。まあ、1か月しか経ってないから当然か」
気安く俺に話し掛けてきたのは、フリードリヒ・リーゼンバイス。隣国リーゼンバイス王国王太子の地位にいる、俺の従兄弟であり、友人でもある。
同じ王太子という立場もあってか、普段から時々手紙を交わす位仲は良い。
しかし、俺達の“友人”という関係は、お互いの立場と国交関係の上に成り立つもの。言い換えると、立場や国交関係のどちらかが悪くなれば、すぐに壊れてしまう程の脆い関係だった。
「……聞いたぜ。お前の婚約者、お前の手で処刑したって?」
「そうだね」
エリザベス・フィレイゼル公爵令嬢が処刑されてから、早3週間。
隣国リーゼンバイスには、もっと早く情報が伝わっただろう。処刑された人物は、リーゼンバイス王国筆頭公爵家縁の者でもあるのだから。
公には勅命の下、王太子である俺とマリオット辺境伯が死刑を執行したと発表されている。別に間違いはないので、俺は迷わず肯定した。
俺の反応にフリードは不機嫌な顔をして、眉を寄せる。俺はゆっくりと淹れられた紅茶に口を付けてから、切り出した。
「リーゼンバイス王国は此度の件で荒れているのだろうね」
それも当たり前だ。
友好関係を保つ為に、リーゼンバイス王国王妹であった王妃様と筆頭公爵家の令嬢は、此方に嫁いできた。
その代わり、此方のベルンハルト王国も同じ身分の二人の女性を向こうに嫁がせている。
向こうの国王は俺の叔母上である王姉殿下を王妃に据え、大事にしている。寵姫がいるにも関わらず、だ。実際、フリードは叔母上の子。俺の血の繋がった従兄弟でもある。
それに比べ、ベルンハルト王国はどうだろうか。
第一妾妃ばかりを可愛がるばかりか、嫁いできた王妃様を祖国へ返し、蔑ろにしている。
これだけでもリーゼンバイス王国は腹を立てている筈である。
まだマトモに扱われていたであろう筆頭公爵家の令嬢は、娘のエリザベスを産んだ後に身体を崩し、儚くなった。
リーゼンバイス王国の血を引く姫君。理由は何であれ、その貴重な存在を処刑したのだ。
リーゼンバイス王国はベルンハルト王国との友好関係を大事にし、嫁いだ令嬢達も幸せに暮らしていると聞く。しかし、ベルンハルト王国ではそんな事はない。
どれだけベルンハルト王国は、リーゼンバイスを馬鹿にするのか、とリーゼンバイス王国民は愛国心故に、怒り狂っているに違いない。
事態は制裁と称した、戦争の一歩手前である。
そこで食い止められているのは、リーゼンバイスに帰ったままの王妃様がリーゼンバイス国王陛下に掛け合ってもらっているお陰だ。
それに、一応処刑された公爵令嬢は罪を犯した事になっているから、リーゼンバイスは強気には出れない。
「だから、フリード。お前が来たという訳だ」
一時的な気休めにしかならないが、王太子が自らベルンハルトに抗議しに行ったとして、自国民の反発を押さえる為だろう。
わざわざ説明しなくとも、フリードは俺の考えている事を理解したらしい。
深々と溜め息をついた後、疑惑の目を僕に向けた。
「そこまで見通してんのに、何でそんな愚行を犯したんだ?」
「勅命、だからだよ」
「つまり逆らえなかったって事かよ……」
苦々しげに舌打ちしたフリードは、作法も何もかも無視して、荒々しく紅茶を一気に飲み干す。
その動作だけで、彼が苛立っているのが伝わってきた。
王政を敷いている俺の王国では、国王の勅命は貴族議会の4分の3以上の意見と同格。貴族議会よりも国王が圧倒的に強い。
エリザベス・フィレイゼル公爵令嬢の処刑を止めるには、貴族議会の4分の3以上の反対意見が必要だったが、集まったのは半数弱。
恐らく王太子の婚約者の座が空くという目先の魅力に釣られ、不穏分子は完全に排除しようと考えたのか、多勢につられた者が多かったのか。
どちらにせよ、デメリットが多すぎるのを理解せず、エリザベス嬢の処刑に賛成した愚か者が予想以上に居ただけだ。
「お前はどうだったんだよ?」
「勿論反対したに決まってるよ」
フリードは人の心の機微に聡い。
一挙一動をも見逃さない観察眼には、正直舌を巻く。俺も鋭い方だが、フリードには敵わない。
だから、下手な誤魔化しが効かない彼には、嘘偽り無い本音を話すのが一番効果的だ。
マイペースに紅茶を飲む俺に、フリードはそうじゃなくて、と話を続けた。
「お前、エリザベス嬢の事愛称で呼ぶ位仲良かったんじゃねえのか?」
「そうだね。夫婦になるのだから、仲は良いに越したことはないからね」
ティーカップを受け皿に置いて一息ついた俺を、フリードは真剣な面差しで見据えた。
「悲しくねえの?婚約者を殺して」
好きで人を殺した訳じゃない。
フリードの言い方に反論したくなったけれど、殺した事実は変わらない。
これからもずっと、俺はその咎を背負って生きていくのだろう。
責め続けられる覚悟だってした筈だ。
けれども、不意に揺らいでしまう。
無意識に左耳を触る。左耳に付いている“お守り”が、俺に力を与えてくれる気がした。
「悲しくない訳がないよ。これでも落ち込んでる」
俺の返事に満足したらしいフリードは、テーブルの上に並べられていた色とりどりの菓子に手を伸ばす。
「まあ、お前が落ち込んでるのは本当らしいなあ。婚約者の喪に服してるようだし」
次々と口に菓子を入れていく合間に、フリードは俺の左耳をついと指差した。
「リーゼンバイスでは喪に服す時、死者の瞳の色の装飾品を身に付ける」
俺の左耳に付いているのは、雫型に加工されたアメジストのピアス。
確かにエリザベス嬢の瞳の色と同じだ。
俺の無言を肯定と受け取ったのか、フリードは調子良く語り続ける。
「リーゼンバイスに留学してた時、ちゃんと婚約者と手紙のやり取りしてたもんな」
「そう……だったね」
でも、俺が書いた手紙は1通も届かなかった。
そして、彼女からの手紙も届かなかった。
裏切り者がいたせいで。
「まあ、エリザベス嬢の件もあるが、本題は俺がベルンハルトに3ヶ月間留学する話だな」
「聞いてるよ。いきなりだね」
アンクからの情報で知っていた。まあ、リーゼンバイス王国から人が来ること自体は、予想していたけど。
きっと、今ベルンハルト王国に攻め入るべきか否かの調査をしてこいと、フリードはリーゼンバイス国王に命令されたのだろう。
俺の友人という立場のフリードだったら、俺に取り入って内情を探りやすいだろうと考えての事に違いない。
「まあ、な」
案の定、歯切れの悪い返事を返したフリードを見て、俺は思う。
確かにフリードの立場や人の機微に鋭いといった能力だけを考えると、リーゼンバイス国王の人選は頷ける。
だが、一つだけリーゼンバイス国王は失敗を犯したと言って良いだろう。
フリードは俺より駆け引きは上手くない。
要は、フリードに対して嘘さえ付かなければ良いのだ。ある程度本当の事を話せば彼を騙せる。
俺が無言を貫いたリーゼンバイスの風習――喪に服す時は、死者の瞳の色の装飾品を身に付ける。
俺は、この風習を知らなかった。
だけどフリードは勝手に、俺が喪に服していると解釈してくれた。
我がベルンハルトの死者の弔いは、死者と最も思い出深いものを身に付けたり、目につく所に飾ったりする方法をとる。
わざわざ文化の違いを指摘してやる義理はないし、掘り返して波風立たせるつもりもない。俺にとって都合の良い方に捉えてくれたのだから、万々歳だ。
左耳のアメジストに触れる。
完璧な人選ミスを犯してくれたリーゼンバイス国王には、感謝しないとね。
「ああ!!言い忘れるとこだった!」
「何?」
ハッと、深刻な声を上げたフリードに対して、俺は無意識に身構えた。
「俺、恋した!!」
「…………へえ、そうなんだ。オメデトウ」
「ちょ、棒読み?!一応初恋なんだぜ?!」
婚約者亡くしたばかりの王太子にこんな事言えるのは、地位的、性格的にフリードだけだろう。
ああ、でも、リーゼンバイスでは恋の障害を排除したと思われているのかもしれない。
本当、リーゼンバイス国王には、感謝しないとね。
次は側近達のお話です。




