- さようなら
本編開始前のお話。
「馬鹿な人」
口先ではそう罵りながら、視界がぼやけていくのを感じた。
最期の最期、冷たくなってしまった貴方の事すら見る事は出来なかったし、側に寄り添うことも出来なかった。
ひんやりとする硬い石に彫られた文字を、ゆっくりと指先でなぞる。
ポツポツと墓石に落ちる雫が、跳ねては流れていった。
人々は私達の結婚を、不幸な結婚だと言った。
そして、私が可哀想だと哀れんだ。
まさか私が夫を想って悲しむなんて、誰も思わないだろう。
それでもあの人は、この未来を予想していたのかもしれない。
ーーもうずっと前から。
◇◆◇◆◇◆
「はじめまして。ベルンハルト王国王太子のロザーリオだ。君が将来僕のお嫁さんになる人だね。よろしく頼むよ」
貧弱そう。
それが彼に抱いた最初の印象だった。
これから一国を担っていくにしては、なんだかすごく気弱そうで、荒事には全く不向きな感じの中性的な顔立ちの美しい美青年だった。
でも、国同士の政略結婚だ。
結婚相手に文句なんて付けられないし、選ぶ事なんて出来ない。現に相手は美青年とはいえ年の離れた人だし。
「リーゼンバイス王国第一王女のジュリアと申します。よろしくお願いしますね。ロザーリオ様」
にっこりと微笑むと、彼はほんの少し顔を赤く染めてとても嬉しそうに微笑み返してくれた。
どこか、憑き物の落ちたような雰囲気で。
「ああ、よかった。なんだか君とは上手くやっていける気がするよ」
そう言ってくれた瞬間、私は漠然と思った。
ああ、私この人ときっと上手くやっていけるわ、と。
聞いていた通りの穏やかで心優しい人というのは合っていたようだ。国王としては頼りない気もするが、これから将来を共に歩んでいく夫なら、全然こちらの方が良い。
無意識のうちに張り詰めていた肩の力を抜いて、私はいつの間にか自然と微笑んでいた。
それからささやかな贈り物や手紙を交わした。そんな日々は、彼が私を思いやり、夫婦として歩み寄っていこうとする姿勢を感じられる大切なものだった。
不器用で色恋とはまた少しだけ違っていたのかもしれない。恋と呼ぶには穏やかで、それでもお互いを大切に思い合う姿勢は、友人なんかの枠には当てはまらなかった。
私達の間にあったのは芽吹こうとしている恋情で、その時はまだ親愛だったのだ。
ベルンハルト王国の国王でロザーリオ様の父親が早くに亡くなったと同時に、若くしてロザーリオ様は国王になる事になった。
それと同時に結婚も時期を早められ、私はまた大人になる一歩手前でベルンハルト王国に嫁ぐことになった。
嫁いできたリーゼンバイス王女に周囲はみんな優しく、ロザーリオ様もまだ若くして妻になった私に最大限の配慮をして下さった。
でも、まだ子供を産むことに危険の付きまとう幼い王妃なんて、他の人達が許さなかったのだ。
ベルンハルト王国には、先王がロザーリオ様とリーゼンバイス王国に嫁いだ王女しか子供はいなかった。
傍系の王族はいるが、そんなに血は近くはない。
まだ元気だったベルンハルト前国王が急に病で倒れ帰らぬ人となり、ロザーリオ様にも何かあった時のために周囲が跡継ぎを求めるのは当然のことと言えた。
最初はロザーリオ様も私がいると断っていた。それに、結婚をしたばかりで他の女には目を向けられないと。
まだ子供を産むには危険だと、ロザーリオ様は完全に女として見ていなかったが、それでも私はロザーリオ様が他の女を妻に迎えない事を浅ましくも嬉しく思っていたのである。
しかし、次第に増えていく声に耐えきれなくなったロザーリオ様はついに第一妾妃を迎えてしまう。輝くばかりの金髪に、ぱっちりとした大きな赤い瞳の女の私から見ても、美しい人だった。
ーーそれから先は、坂道を転がり落ちるようだった。
予想以上にロザーリオ様が第一妾妃に惚れ込んでしまったのである。
今までの私との関係が全てなかったかのように、彼は第一妾妃にのめり込んだ。そして、王妃である私に対しても、他の人に対しても、まるで人が変わったかのように冷たくなったのだ。
何度も何度も、彼と第一妾妃に何があったのかと問い掛けた。
ロザーリオ様は何も無いとの一点張り。
第一妾妃は妖艶な笑みを浮かべて、私に魅力がないからだと嘲笑った。真っ赤な瞳を好戦的に爛々と輝かせて。
そうしているうちに、私はロザーリオ様から構われることはなくなり、完全な日陰の道を歩むことになってしまったのである。
すぐにロザーリオ様の子供を妊娠した第一妾妃を恨んだ事は何度もあった。同じ女なのに、何故こうも違うのかって。
私を排除しようとしているロザーリオ様が許せなかった。ロザーリオ様の子供が出来ることを素直に喜べない自分にも、まだ子供な自分自身の身体にも苛立ちが募った。
子供が産まれてこなければいいとさえ、思ったのだ。
故郷へ滅多に帰ることの出来ない、自分自身の立場と心を守る為に。
そんな私の元に、布に包まれた赤ん坊を大事そうに抱えてロザーリオ様が現れるなんて思ってもみなかったのだ。
「いきなりですまない。無神経な事をしているとも分かっている。でも、この子は君が育ててくれないか」
「私が……?」
ロザーリオ様は産まれたばかりらしい小さな赤ん坊を私に見せる。その時にその子が薄らと瞼を開いた。
ロザーリオ様と同じ、透き通るような青。髪も薄らとしか生えてないが金色だ。
恐る恐る手を伸ばして受け取ると、見かけより重かったけれど、大人しく私の腕の中に収まってくれる。小さな命に何とも言えない愛おしさが湧いた。
「君とはじめて会った時からずっとね、君が大人になって僕の子供を抱く未来を想像していた」
ロザーリオ様の言葉に顔を上げる。彼は私と子供を見て、本当に幸せそうに微笑んでいた。
久しく見ていなかった、笑みだった。
「僕と、君の血を引く子供はどちらに似るんだろうってずっと考えてた。恋とかそういうのすっ飛ばして婚約したけれど、僕の子供を抱く君の事をきっと僕は愛おしいって思うんじゃないかって感じたんだ」
ゆっくり赤ん坊の頭を撫でるロザーリオ様は、とても穏やかで慈愛に満ちた瞳をしていた。
どこからどう見ても、赤ん坊の父親だった。
「実際は、想像以上だったよ。僕の自己満足かもしれないけれど、君が僕の子供を抱いてる姿を見て、僕は幸せを感じてる」
ロザーリオ様と会話するのも久しぶり過ぎて、呆気に取られてロザーリオ様を見つめていると、彼は赤ん坊から手を離して私の頬に触れた。
その青空のような瞳が翳る。
「最近、僕が僕で無くなるような感覚がある。おかしいよね。誰も信じてくれないんだ」
「ロザーリオ様……?」
「更に怖いのが、僕が僕で無くなる時間が段々増えているんだ」
ロザーリオ様が、ロザーリオ様でなくなる、その言葉の意味を理解するのは皮肉な事にだいぶ先の話だった。
「この子に名前を付けてくれないか?男の子だからかっこいい名前にしてあげて欲しい」
私が産んだわけでもないのに、名前なんて付けていいのだろうか?
そう困惑しながら、私は賢王と名高かった先王の名前を口にした。
「アルフレッドか。いいね。父上と同じで、立派な人になって欲しい」
ロザーリオ様は私に1つ頷くと、赤ん坊に語りかける。
「いいかい?アルフレッド。お母様の言うことをちゃんとよく聞いて元気に過ごすんだよ。お父様の事はそうだな……、最低な奴だったと思っててくれていい」
……おかしい。
思えば最初からおかしかったのだ。他の女に産ませた子供を別の女に育ててくれなんて酔狂な事、ロザーリオ様はする人だっただろうか?
「ロザーリオ様、どういう事か説明して下さいませんか?」
「ジュリア。今、王城はとても危険なんだ。誰も信じちゃいけない。勿論僕じゃない僕の事もね」
「危険……?ロザーリオ様ではないロザーリオ様?それはどういう……?」
「僕が僕じゃなくなる事についての説明は出来ないかな。僕もよく分かっていないし、病気なのかもしれないしね。僕自身は宮廷医に見せても身体に異常はないんだって。ただ……、1つ確実なのは第一妾妃を盲信する者が多すぎるという事かな。僕じゃない僕も彼女の信者なんだって」
ふふっと、自虐的に微笑んだロザーリオ様は、第一妾妃を迎える前に見た時よりも、随分と老けて見えた。
「王城の敷地内だけれど、離宮を整えた。王家が抱える暗部も付けさせる。だから、君はアルフレッドを守ってくれ」
「え……そんな、ロザーリオ様っ」
「ごめんね、ジュリア。君の事が嫌いで遠ざける訳じゃない。だけど、僕達は常に最悪の場合を想定して動かなければならない。ここがおかしくなった以上、君も、アルフレッドもすぐに逃げられる所に置いておかなければならない」
「そんな……!異常があるのであれば、私も調べます……!」
その言葉にロザーリオ様が静かに首を振った。そうして、穏やかに私の頬を撫でて、言い聞かせるように告げた。
「アルフレッドがいるんだ。それに何より僕が君に何をするか分からない。だから……、ここから離れてほしい」
「ロザーリオ……さ、ま……。どうして……」
分かっていた。第一妾妃が来た辺りから。
ただ、初めてロザーリオ様と会った時感じた事が間違いだったなんて認めたくなかっただけで。
離れてほしい、という言葉は形を持って、私の胸を確かに抉っていった。
鼻の奥がツンとしたけれど、必死で涙を流すのだけは我慢した。
こんな、こんな所で泣くなんて、まるで私が男に追いすがるような女になったみたいで嫌だった。
「君は……、君はずっと僕の事を国王としても夫としても最低だったと嫌っていてくれ」
目尻に溜まった雫をそっと拭ってくれた優しい指先とは裏腹に、彼は残酷な事を言う。
「それでも僕は、君に嫌われてしまっても………………いや、言うべきじゃないね」
あっさりと私から離れたロザーリオ様は、手で何やら合図したと同時に天井から黒い影が降ってきた。
「ジュリア。この者はアンクといって、暗部の人間だ。アンクの指示に従って、ここから離れてくれ。アンク、これからは赤ん坊がーーアルフレッドがお前の主だ。よろしく頼むよ」
「はっ」
まだ20代に見える普通の顔立ちの青年は、立ち去ろうとするロザーリオ様に向かって、無表情のまま一言だけ告げた。
「守れなくて、すみませんでした」
「いいよ。僕の心が弱かったのが一番の原因だ。お前が気に病むことじゃない」
風が吹いたら、吹き飛んでしまいそうな、そんな笑みを浮かべたロザーリオ様。
まるで、これが最後の別れかのように振る舞う彼の後ろ姿に私は思わず声をかけた。
「お待ちしております!貴方が離宮に迎えに来てくれるのを、ずっとずっと……!だから、必ず迎えに来て下さいませ」
びっくりした顔をして振り返った彼は、今にも泣きそうにくしゃりと笑って小さく頷いた。
ーーそれが、最後に見たロザーリオ様がロザーリオ様であった時の姿。
◇◆◇◆◇◆
「迎えに来てくれるっていう約束破ったこと、私怒ってるんですからね。ロザーリオ様」
誰もいない、墓地で1人彼の眠る場所に文句を言う。
気まずそうに謝る彼の姿が、なんだか容易に想像出来た。
ーー私、昔みたいにもう庇護されるべき子供ではなくなったんです。当たり前だわ。私達の子供がもう立派な一国の王になったんだもの。
「ロザーリオ様。私ちゃんと貴方に言われた通りにアルフレッドを育て上げましたよ」
ーーアンクにも全部聞きました。貴方が私達を遠ざけた理由を。
全部背負って国と共に1人で滅びようだなんて、本当に馬鹿な人。
アンクに初めて会った時は無表情に見えたけれど、今なら分かる。自責の念に駆られていたんだって。
ーー流石にロザーリオ様が言い淀んだ事、察せられないほど私鈍くはありませんのよ。
そして、私自身の気持ちも本当はとうに分かっていたのです。第一妾妃が妊娠した時から。
「愛しています、ロザーリオ様。もうずっと前から」
ーーだから、私が天国へ召される時は、必ず迎えに来て下さいませ。
あとがきは活動報告にて……。
ここまで読んで下さって、本当にありがとうございました!
登場人物(ざっくり紹介)
アルフレッド・ベルンハルト
ベルンハルト王国王太子。金髪碧眼。
完璧王太子と言われるだけあって文武両道。容姿も中性的でとても良い。身内からはヘタレだの言われているが、気弱なのは本人も自覚済み。とても良く弄られる。父親に似て自己犠牲精神が強い。
エリザベス・フィレイゼル
ベルンハルト王国フィレイゼル公爵令嬢。プラチナブロンドの髪に紫眼。
アルフレッドの拠り所。見た目は深窓の令嬢だが、男勝りで剣も魔法もとても得意。将来絶対アルフレッド尻に敷きそう。
アンク
ベルンハルト王国王族直属の暗部を束ねるリーダー。黒髪黒眼。
シリアスメーカーであり、シリアスブレイカー。
無表情に見えるが、地味に表情がある。見た目20代半ばだが、最終話でアルフレッドと同い年の子供がいると暴露したりなんかしてなんだかんだ存在感ある。
別に古代エジプトの生命という意味と繋がってる訳では無い。
セイドリック
ベルンハルト王国王族直属の暗部所属。
薄茶色の長い髪をした女誑し。女誑し込むのを仕事だと思っている。現在文官をしており、潜入捜査はお手の物。
メーラー侯爵
20代半ばの爽やか外務大臣。下の名前あったけど出す機会なかった。
先王陛下
ベルンハルト王国元王太子、国王。金髪碧眼。
気弱な感じだが、美青年。アルフレッドと性格はそっくり、見た目も似てる。
第一妾妃様の件がなければ、ジュリアさんに尻に敷かれてた未来もあったかもしれないというか尻に敷かれてそう。
名前はロミオをもじっただけ。本当は名前出てくる予定なかった。
王妃様(ジュリア・ベルンハルト、ジュリア・リーゼンバイス)
ベルンハルト王国王妃、リーゼンバイス元王女。プラチナブロンドの髪に紫眼。涙ボクロのある妖艶な人。
不幸な王妃様と世間では言われているが、本人は本人で息子であるアルフレッドやアンク、セバスチャンをからかったり何だかんだ楽しそうに日々を過ごしている。
名前はジュリエットもじっただけ。こちらも名前出てくる予定はなかった。
第一妾妃様
ベルンハルト王国第一妾妃。金髪赤眼。妖艶な美女。
ラスボスなのに名前決めてなかったなんて言えない。出す必要ないかなって……。強力な魅了持ちの間者で、バイゼン皇帝を主と仰ぐ。
ジェニー・ペティエット(アスター・ペティエット)
ベルンハルト王国ペティエット男爵令嬢。薄茶色の髪に桃色の瞳の愛らしい少女。
頭がとてもよく回るけれど、復讐に使った子。人を呪わば穴二つという意味をよく分かっていて、自分を犠牲にしても復讐を成し遂げた。
アスター(花言葉)
信じる恋、追憶
甘い夢(ピンク色のアスター)
から。
フリードリヒ・リーゼンバイス
リーゼンバイス王国王太子。プラチナブロンドの髪に紫眼。
嘘を見破るのが得意。元気で細かいことはあんまり気にしない性格。
リンク
ベルンハルト王国王族直属の暗部。アンクの弟。黒髪黒眼。
本編はじまる前に死んでた子。
幼い頃より自分が死んだ後、自分の事を誰かに覚えてもらいたいという執着心を持っていた。1人の人として、繋がりや絆を渇望した子という意味を込めた名前。
ユーゴ
ベルンハルト王国騎士団長の子供。
浅黒い肌に赤髪、切れ長の琥珀色の瞳を持つ。無口の朴念仁。
アルフレッド盲信者。エリザベスには得意の剣で負けてから、すごく苦手意識を持つ。
レンドル
ベルンハルト王国魔術師団長の子供。
藍色の大きな瞳にクリーム色のくせっ毛。
言動がちょっと子供っぽいけど、わざと。
ドイル
ベルンハルト王国王太子侍従。
紺色の髪に琥珀色の瞳。誰とでもすぐ打ち解けられる性格。
エリア・フィレイゼル
ベルンハルト王国フィレイゼル公爵子息。
金髪金眼の堅そうな性格の少年。中身は姉と父であるフィレイゼル公爵を平気で断罪できる冷徹さを持ち合わせている。
ハリス・バイゼン
バイゼン皇国第二皇子。
深緑色の髪に朱色の瞳。意地悪そうな(アルフレッド目線)黒縁眼鏡。
中々いい性格してるのは確か。
ユリアス・バイゼン
バイゼン皇国皇帝。黒に近い深緑色の髪。
ボス。




