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0 これが全ての始まりだった

本編開始前のお話。

幼い頃から疑問に思っていた事がある。

自分はいつまでこれを続けなければならないのかという疑問が。


別にこの世界に産まれてきた事に後悔はしていないし、この生き方以外におれが生きてる想像が出来なかった。

ただ、自分の終わりを考える時、漠然とした不安が胸を占める事だけは事実だった。


同世代に比べたら、だいぶ早熟だったと思う。

どこか達観していて、小憎たらしい餓鬼だという事は自分でも分かっていた。


「リンク?何やってる?」

「アンク兄さん。……ちょっと考え事」


おれと同じ色彩を持つ長兄が無表情でおれを見下ろす。

慣れないと分からないが、長兄は少しだけ顔を険しくさせた。


「気になる事でもあったか?」

「いや、何もない。ちょっとボーってしてた」


おれの言葉に呆れたように溜め息をついた長兄は、厳しくおれを注意した。


「まだ10歳の子供だからって甘えるな。この世界はふとした事で命を取られる。初任務だからって浮かれるなよ」

「分かってる」


眼下で呑気に焚き火を囲んで、飲んでどんちゃん騒ぎをしている盗賊共を見る。

あいつらがこれから死ぬっていう事が、何処か遠い出来事のように感じた。


おれの初任務は、長兄と一緒に偵察。

離れた場所から敵の人数と動向を仲間に伝えるだけ。


つまらないな、と膝を立てて頬杖をついた。



肥大した盗賊団は、人数の割にはあまりにもあっけなく全滅させられた。

大して有名な盗賊団でもなかったけど、少しずつ被害報告が増えてきていた。完全に大きくなる前に、騎士団ではなくおれ達が駆り出されたのだろう。


すぐ近くで命のやり取りをしている仲間と盗賊達を見て、おれは特に何も思わなかった。

ただ、斬られて打ち捨てられていく身体が、遺体がこの先どんな結末を迎えるのかが無性に気になった。


そこにもう人格などは存在していない。意識もない。

だけど、この先自分が死んで、眼下に倒れている盗賊達と同じようになった時、おれはどう思うのか。


きっと誰も悲しまない。

きっと誰もおれの事を思い出さない。


当たり前の、事だった。

存在しない筈のおれ達の宿命だった。


だけど、針のように鋭く胸に刺さったまま、毒のように寂しさがジワリと広がった。




◇◆◇◆◇◆




その日もまた、簡単な任務を終えて家に帰る途中だった。


王城にいる長兄に達成報告して、気が緩んでいた。


勿論人の気配がないか警戒して、天井裏や物陰を伝ってこっそり移動する。

後宮で一番大きな部屋に住む第一妾妃様の庭を通りかかった時、第一妾妃様の部屋におれと変わらない位の少女が入っていくのが見えた。


最初は第一王子に当てがわれた婚約者かと思ったが、髪色が薄茶色だったので違うと分かった。


親戚だろうか?

護衛兵を2人も連れていたので、それなりの身分の人間なのだろうか?


有名な人物が訪問するとなると、確実に暗部には情報が入る。

でも、おれはこの事を知らなかった。


だから、何かあったら長兄に報告しようと思い、おれは第一妾妃様の部屋の天井裏へと音もなく滑り込んだのだった。






「あら、いらっしゃい。久しぶりね、アスター」


豊かで艶やかな金髪を1つに束ね、第一妾妃様は優雅に微笑んで少女を迎える。


「お久しぶりです」


ペコリと小さくお辞儀をした少女は、生意気なようにも達観したようにも見える瞳で第一妾妃様を真っ向から見据えた。


「私の目的を叶えてくれると聞きました」

「ええ、貴女の力を貸してくれたらね」

「何でもします。お母様を捨てたアイツに復讐がしたいんです」


まだ幼い顔に憎悪を滲ませた少女を、おれは冷めた目で観察する。

時々こんな子供はいる。


今でこそだいぶ治安は良くなったが、昔スラム街があった周辺は今も安全とは言い難い。

行政の目が届きにくい、そこの路地裏でこっそり生きている孤児に少女と同じ顔をしていた奴がいた。


大抵こういった復讐をしたがる人の行く末は、ろくなものじゃないと長兄が言っていた。


おれが見た孤児は復讐を遂げる事なく、すぐに返り討ちにされて死んでいった。

勿論おれ達はただ見ているだけ(・・・・・・・・)


この見るからに貴族であろう少女も、似たような道を辿るのだろう。


それより、第一妾妃様だ。

一体何をしようというのか。


「そうね、貴女が動き出すのは6年後。もう少し時間が欲しい所だけれど、私の寿命が保たないと思うの。それまでに王妃から息子を取り返して、準備を整えておくわ。皇帝陛下を失望させる訳にはいかないの。分かってるわね?」

「はい」

「ああそうだわ。貴女の能力、どの位か教えてくれないかしら?」

「はい。……えっと、どうすれば?」


困惑したような表情をみせる少女に、第一妾妃様は酷く蠱惑的な微笑みを浮かべる。

紅く引かれた口紅から目が離せなかった。


「ちょうど可愛い子鼠が入り込んでいるようだから、その子を使いましょうか」


咄嗟に言葉の意味が理解出来なくて、おれは思わず固まる。


それが致命的となった。


いや、第一妾妃様の部屋の天井裏に忍び込んだおれに、逃げ場は残されていなかったのかもしれない。


おれと同じような黒づくめの男2人がどこからか現れる。

慌てて逃げようと短剣を取り出し、投げる所で腕を強い力で掴まれた。


大人の男にギリギリと片腕を締め上げられ、思わず短剣を取り落とす。

その瞬間、鳩尾に衝撃が走った。


「かは……っ」


意識が飛びそうになったが、慌てて堪える。

だけど身体は言う事を聞いてくれなくて、おれは膝から崩れ落ちた。


抵抗する間もなく鮮やかにあっさり拘束されたおれは、強制的に天井裏から引きずり降ろされる。


「……っ」


縄で縛られた上に乱雑に床に放り投げられて、受け身も取れずに身体を床に打ち付けた。

生理的な涙が滲んで視界がぼやける。


辛うじて上げた視界に映ったのは、びっくりして目を見開く少女と魅惑的に微笑む第一妾妃様。


「アスター、この可愛い子鼠で貴女の能力がどれ位か教えて?」


手に持っていた扇子でおれを指した第一妾妃様に少女は分かりました、と頷く。


一歩、また一歩と進んでくる少女を見て、おれは覚悟を決めた。


今からこの少女に何されるのか分からない。


迷わず舌を噛み切ろうとする。

しかし、それを察したらしい黒づくめの男に布のようなものを詰め込まれた。


思わず男を睨み付けるが、燃えるような真っ赤な瞳で冷たく見下ろされただけだ。


その間に少女はおれのすぐ側まで来ていて、少女はゆっくりとおれの顔を覗き込むようにしてしゃがむ。

そして、そっと手をおれの頬に這わせた。


毛先だけカールした薄茶色の髪を揺らし、桃色の瞳で少女はおれと真っ向から視線を合わせる。


これから何をされるのか分からない。


死ぬのは別に怖くない。だっておれ達は、常に死と隣り合わせだから。


おれの瞳から逸らすことなく、ジッと少女が見つめてくる。

何を考えているのか分からない。死より辛い目に遭わされるのかもしれない。


その事に対して不安は感じなかった。


「おびえないの?」


幼い声が不気味な程その場に静かに響く。

おれはその問いには答えずに、少女の珍しい桃色の瞳を睨んだ。


「酷い事されるかもしれないのに」


怯えるまでもない。

今まで仕事で何度も何度も拷問される奴らを見てきた。

明日は我が身に降りかかる事かもしれないと思いながら。


「殺されるかもしれないのに」


おれが寿命を全う出来る可能性は低いだろう。

どこかで殺されるかもしれない確率はかなり高い。


死は怖くない。

覚悟はとうの昔に決めていた。


ただ、その先がーー。


「みつけた」


少女がそう呟いた時、近くにいる男2人と第一妾妃様の気配が急激に遠のいていった。

感じるのは、少女の強烈な存在感だけ。


この感覚は、知っている。


少し前に暗部に入った軽薄そうな奴が使っていた。

まだ一回だけしか体験した事なくて、徐々に慣れさせて耐性を付けるという話だった。


これは、珍しい能力だった筈だ。


なんで、なんで、ここにもいるんだ?


「ごめんなさい。でも、私は」


少女の指先は、微かに震えていた。

でも声はしっかりとしていて、自分自身に言い聞かせているようだった。


「私は、私とお母様を捨てたお父様に復讐がしたい」


その言葉がおれの耳に届いた瞬間、世界が少女とおれを残して段々崩れていく。


世界に2人だけ。

おれと、彼女しかいない。


少女は甘美な声で、囁いた。


「ねぇ、貴方はどうして心を隠してるの?」

「……それは、いらないから」

「どうして?」

「……仕事に必要ないから」

「貴方は何故仕事をしなければならないの?」


何故敵と戦わなければならない、なんて、決まってる。


「第一王子を守る為だよ……」

「その為に貴方は心を殺してるの?」

「……そう」


少女はとてもとても、痛ましげな声でおれを慰めた。


「そんなの間違ってるわ。貴方だってちゃんと心のある1人の人間なんだから」

「1人の……人間」

「そうよ。貴方が心を殺す必要なんてないの。そんな事を強制するなんて、第一王子様は悪い人なのね」


第一王子とは直接会った事はない。

ただ、おれが一方的に知ってて姿を見た事あるってだけ。


「悪い……人?」

「そうよ。だって、貴方は苦しんでいるのでしょう?」


少女の桃色の瞳にじっと見つめられて、おれはゆるゆると頷いた。


一度見た事がある第一王子は、義理の母親である王妃様と婚約者の令嬢と幸せそうに笑っていた。

話した事はない。どんな人なのかも、書類でしか読んだ事がない。


長兄はそのうち関わる事になるだろうと教えてくれた。


だけど、思うんだ。


第一王子さえ、いなければって。こんな王族を守る仕事なんてなければって。


おれは自分が死んだあとの事なんて、考えなくても済むのに。


おれがいなくなっても、おれの事を思い出してくれる人がいるかもしれないのに。


「そう……だな」


いつの間にか口に入れられていた布も、おれを拘束していた縄も、なくなっていた。


そうだよ。なんで、おれは、ずっと自分が死ぬイメージをいつかの盗賊達に重ね合わせて思っていたんだろう?

おれは、意思のある1人の人間なのに。

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