30 未来を見据えて
「いよいよですね」
「ああ」
メーラー侯爵の声に、俺はゆっくりと微笑んで頷く。
重い衣装を身に纏い、俺は背筋を伸ばして一歩踏み出した。
この衣装を着て、王冠を被って、この場に立つのはずっと先の事だと思っていた。
未だにあまり実感は湧かないけれど、それでも俺はこの場所に立っている。
傍らにエリがいてくれたらと思うが、これも彼女が安全にここで暮らせるために必要だから。
俺は、真っ直ぐに前を向く。
そして、王城のバルコニーから俺は民衆へと姿を見せた。
刹那、怒号のような歓声が澄み渡る青空の下に響き渡る。
王都に住むほとんどの住民が詰め掛けてきているのだろう。見渡す限り人だらけの光景に少し驚いたが、俺はゆっくりと歓声に答える為に手を振り返す。
さらに湧いた歓声が俺を押し潰すかのように轟く。
俺は漸く、自分の肩に国民の命と生活が乗っている事を少しだけ実感できたのだった。
◇◆◇◆◇◆
ベルンハルト新国王の戴冠式は、近隣諸国の国王や重鎮達を招待して盛大に執り行った。
無事式は終わり、俺の頭の上には沢山の宝石で彩られた豪華な王冠が乗っている。
先代国王が暗殺された上に、まだ成人前の子供が次の国王である。
自国民には取り敢えず歓迎されたが、他国の重鎮達から見たら付け入られる隙ばかりだ。
戴冠式後の立食式の晩餐会では、始まってすぐに外国の大臣や国王からチクリチクリと嫌味を刺された。
これに穏やかに微笑んで倍返ししていかなければやってられない。
思わぬ反撃だったのか、すごすごと退散していく者ばかりであまり手応えが無いなとも思った。
挨拶も疎らになってきた頃、銀髪紫眼の俺と同じくらいの歳の少年が此方にやってくるのが視界に映る。
ペティエット男爵を捕らえた数日後に帰国したその人に、俺から久しぶりと声を掛けた。
「久しぶりだな、アルフレッド。なんか、やっぱりお前ってすげえよな。俺と同い年の奴が一国を背負うなんてさ。俺だったら出来ねえよ」
「ふふ、どうかな。内心震え上がっているかもよ?」
「嘘つけ」
散々悩んで、沢山努力して、身近な人達が死んでいって、大切な人の手を離して、そうして俺はここに立っている。
王城ではかなりの数の使用人の人員替えをした。
自分が狂った感覚を持ってしまったとすら分からない人もいた。
皆少なからず努力して、今までの地位を手に入れていたんだと思う。
何人もの使用人が病院通いや入院する事になった。
俺の側にいた側近達は生涯妻を娶らず子孫を残さないようにという条件を付けて、全員教会送りにした。
側近達はクーデターに加担していたとされ、ペティエット父娘と同じく死刑を求める声が大きかった。
だが、本人達が洗脳されていた事、側近達とアスター嬢が出会った場所である学園の教師らが助命を請うたのだ。
生徒の異変に気付けず、止められなかった自分達にも責はあると。せめて命だけは助けてくれと。
止められなかったのは俺も同じだった。
その後ろめたさもあって、俺は命だけでも助ける決断をした。
彼らは俺自身ではなく俺に理想の王太子像を当てはめていただけだった。
でも、俺に寄せてくれていた忠誠心は偽りではなかったと思うから。
多分もう2度と会えないだろう。
彼らが洗脳から解放されるかは分からない。でも、教会で平穏な生活を手に入れて欲しいとは思う。
自分で下した決断だったけど、もうあまり悲しいとは思わなかった。
彼らに期待していなかったのもあるだろうけれど、本当だったら俺の隣にいた筈の彼女が居なくなった時の喪失感と比べてしまったからだろう。
ここに至るまでの色んな事が脳裏を過ぎったが、それを隠しておどけて見せた俺にフリードは少し笑う。
それが少し苦いものに変わった。
「俺さ……好きな人いるって言ってたよな」
「ああ、そういえば言っていたね」
「留学から帰ってから、もう一度告白して、完全に振られてきた。まあ、駄目だって分かってたんだけどさ」
「……そっか」
気まずい、と視線を少し外した俺をフリードは真剣に見つめる。
少し痛みを堪えるように、彼の紫眼が揺れた。
「彼女が身に付けているピアスを大事そうに撫でたのを見た時、彼女の相手が分かって敵わねーなって思ったんだ。そして、彼女が誰なのかも。王命と世間を欺いてまで、1人の女を助けただなんて誰も思わねえよ。お前でもバレたらただじゃ済まない。女に狂ってると言われるのがオチだ」
俺はフリードの言葉には何も答えず、曖昧に微笑んだ。
俺に肯定も否定も求めていなかったんだろう。フリードはそんな俺を見て、軽く笑った。
「ま、事が全部終わったら会いに行ってこいよー。寂しそうにしてたからな。あんまり遅いと俺が掻っ攫っちまうかもな!」
「ははっ、それは困るな」
つられて俺も朗らかに笑う。
しばらく他愛のないやり取りをした後で、フリードが不意に不思議そうな顔でポツリと呟いた。
「そーいや何で俺、一時他の女に目移りしてたんだろ?」
「身近にいたからじゃないかい?」
「そう……か?うーん、そうかもなあ」
魅了に掛かっていた事は、公表出来ないしね。
フリードと別れて、また数人の招待客と会話した後、俺の前に黒に近い深緑色の髪を持つ壮年の男性が立った。
ーー来た、か。
他の招待客より一際豪華な装飾品を身に付け、人懐こい笑みを浮かべた男性は穏やかに切り出した。
「即位おめでとうございます、ベルンハルト国王。はじめまして、ですな。此度のお誘いありがとうございます。私はバイゼン皇国皇帝ユリアス・バイゼンと申します。以後お見知りおきを」
「これはこれは。はじめましてバイゼン皇帝。我が即位式にお越しいただきありがとうございます」
余裕たっぷりのバイゼン皇帝は、少し眉を下げて悲しそうな顔を作る。
そして、他の招待客と同じことを述べた。
「いやはや、先王陛下とお母上の事、お悔やみ申し上げます」
「わざわざありがとうございます」
心の底からやるせない気持ちが湧いてくる。
でも、ここで動揺したり、怒ったりしてはいけない。冷静にならないと。
バイゼン皇帝の瞳を見ながら、俺は冷静に返事をした。
「ところで、ベルンハルト国王はご結婚のご予定はおありで?」
「どうでしょう?まだ成人していませんし」
「ご予定がないなら、うちの娘なんかどうです?少し気が強いのが玉にきずですが、健康と教養は勿論、親の贔屓目が入ってしまいますが美しい娘ですよ」
たまにこういった事は言われる。
当たり前だ。エリは公では死んだ事になったままだから。
大抵こういったのはすぐに断るけれど、俺はにこりと笑って聞き返した。
「へえ、バイゼン皇帝と同じ燃えるような赤い眼をした娘さんですか?」
「ええ。赤眼はバイゼン人特有の瞳ですからね。ベルンハルト王国では珍しいでしょう?」
俺はその言葉に眼を数回瞬かせた後、少し首を横に傾ける。
そして、不思議そうに尋ねた。
「おや、おかしいですね。ベルンハルト王国で赤眼は珍しい筈なのに、私には見覚え……いえ、見慣れた感じがするのですが」
「そうなんですか?」
「ええ、そういえば常に身近にいたような気がします。……そうですね。血の繋がった家族……とか?」
ニッコリと微笑むと、バイゼン皇帝はほんの少しだけ目を見張った。
それでも一瞬だけで、バイゼン皇帝の事をよく見なければ分からないような変化。
「おや、そうなのですか。もしかしたらどこかでバイゼン皇国の血が入ってあるのかもしれませぬな」
「ええ、本当に。私の身にも流れているのかもしれませんね。貴方の国の血が」
「もしそうだとしたら、光栄ですな。我が国と仲良くして頂けると嬉しいですぞ」
「ええ、是非仲良くしましょう。隣国ですから」
ニコニコとお互いに微笑みあった後、バイゼン皇帝は次に挨拶に来ていた他国の使者に場所を譲った。
たった少しの邂逅だったけれど、バイゼン皇帝が腹に一物抱えてそうだと俺も思ったし、向こうも同じことを思ったのだろう。
舐められる訳にはいかない。
一国の未来を預かる王なのだから。
そして、バイゼン皇帝に対してどんなに腹が立っていても私情では動けない。
まあ、でも、ちょっとした嫌がらせ位は出来るよね。
侵略してこようとする位だ。逆に侵略されても文句は言えまい。
そこはメーラー侯爵達と話し合って、ちょっとずつバイゼン皇国の国力を削っていくことにしよう。ベルンハルト王国の未来の為に。
そうして俺はまた気を引き締めて、次から次へとやってくる招待客へと完璧な笑みを浮かべた。




