3 壊れたままの日常
「アルフレッド、また寝てんの?起きろー」
軽い調子の声と共に、自分の体が揺すられる。
ゆっくり目を開けると、紺色の背中まである髪を一つに纏めた優男――俺の侍従であるドイルが目の前で苦笑していた。
いけない、執務の真っ最中だった。
積み重なっている書類の山が俺を憂鬱にさせる。
「疲れてるみたいだなー。珈琲でも飲むか?」
「ああ、頼む」
気の利く侍従の淹れる紅茶と珈琲は、とても美味しい。俺はこの味をそこそこ気に入っていた。
机上に転がっていたペンを取り、膨大な書類へと向き合う。
俺と侍従のやり取りを見ていたエリザベス嬢の異母姉弟であるエリアは、心配そうな顔をした。
「最近寝不足のようですが、ちゃんと寝ているんですか?」
「ああ。一応横になってはいるけど」
「けど?」
「その……夢を見るというか」
「夢、ですか……」
顔を曇らせたエリアに代わって、魔術師団長の嫡男、レンドルが核心をついた。
「アルフレッドが寝不足になったのって、エリザベス・フィレイゼル公爵令嬢の死刑が執行された辺りだよねぇ?死刑に立ち会ったんでしょ?トラウマになっちゃったの?」
エリザベス・フィレイゼル公爵令嬢は死んだ。殺人未遂という大罪を犯して。
トラウマ――では、ない。
夢は、昔に起きた現実。悪夢でもない。
俺はそっと、左耳に付けたピアスを触った。
「いや、違うよ」
「えぇー、本当に?大罪人の墓参りまでしているのに?祟られたんじゃないの?」
まあ、それだけじゃなくて、寝不足なのは単純に側近達が溜めている仕事のせいだ。
レンドルには明確に答えず、曖昧に笑った俺を見て、皆口々にエリザベス嬢を罵る。
曰く、雌狐だとか悪女だとか、顔だけの女とか、性格が最悪だとか。
俺の側近達の様子を見ていた一人の少女がふるふると肩を震わせて、涙目で懇願した。
薄茶色の毛先だけカールした髪に、この国では珍しい桃色の丸い瞳。庇護欲を掻き立てられると、社交界で有名な可憐なペティエット男爵令嬢――ジェニー嬢だ。
「お願い……あの人の話をしないで……」
ここ最近、側近達が執務室に連れて来る。
追い出せと言っても、彼らはジェニー嬢を擁護するものだから、重要機密書類を片付けられない。
自室に持ち帰って、やっているから寝不足が続いている。悪循環以外の何物でもない。
俺の四人の側近は、か弱い兎のように振る舞うジェニー嬢を慰める。
彼らは変わった。
ジェニー嬢が現れてから。
仕事を放り出す人達ではなかった筈だ。
「ほら、アルフレッドも何か言いなよー」
ドイルの呼び掛けに、俺は困った顔をジェニー嬢へ向けた。
「すまない。私が軽率だった。泣き止んでくれ」
「アルフレッド……。もうあの人の話を私の前でしない?」
「ああ」
俺が首を縦に振ると、ジェニー嬢はとても嬉しそうに微笑んだ。
エリザベス・フィレイゼル公爵令嬢が死んだ後、フィレイゼル公爵も禁じられた人身売買、違法薬物売買、密輸入等の罪で牢獄に入れられた。近々死刑が執行される予定である。
広場を引き回してから、牢獄で処刑されるという方法だ。
これが、一般的な死罪だ。
この王国の目の上のたんこぶだったフィレイゼル公爵を落とせたのは、喜ぶべき事だ。フィレイゼル公爵は犯してはならない罪を、犯しすぎた。だから、貴族として殺す事はしないらしい。
フィレイゼル公爵の罪を告発したのも、エリアだった。
実質お家取り潰し並の罪なのでフィレイゼル公爵という座を引き継ぐ事は出来ないが、国王陛下からの褒美として、エリアは侯爵の位を賜っていた。
フィレイゼル家の者なので、罰を与えなければならない。しかし、この一連の出来事の立役者だ。公爵から1つ位を下げた侯爵の位置を与える事を恩情と褒美としよう。彼は優秀な上に若いので、すぐに公爵になる事が出来るだろう。と、いう陛下の思惑である。
「ジェニーちゃーん!」
明るく、快活な声と共に王太子の執務室の扉を開けたのは、まだ二十代といっても差し支えない妖艶な見た目の、国王陛下の第一妾妃。俺の実の母親だ。
この王国にも王妃はいるが、国王陛下が第一妾妃だけを可愛がり、王妃を冷遇していた。だから、3年前――俺が12になる年に隣国へ帰ったきり、戻ってこない。
そのせいか、長年続いた隣国との友好関係にヒビが入っている。
他にも妃はいるが、後宮に押し込められている状態だ。
「母上、部屋を開ける前はノックするようにと、あれだけ……」
半ば呆れながら咎める俺に、衰えを知らない30代前半の実の母親は拗ねたように口を尖らせた。
「あら、いいじゃない。そんな堅苦しい事言わないでよ。王妃様から受けた教育ってそんなのばっかりじゃない。いい?家族ってのは、もっとお互い仲良く、信頼し合わないといけないのよ」
「ですが、ここは執務室です。時と場合を考えて下さい」
「はいはい。分かったわよ。……もう、可愛いげのない子に育っちゃって」
愚痴る母上に思わず目眩を覚えた。
俺は実の母親には育てられた事はない。母国に帰ってしまわれた王妃様に育てられた。
厳しかったが、王妃様がきちんと教育して下さったお陰で今の俺がいる。
12歳まで王妃様の元で過ごした俺は、未だに目の前の生みの母親も国王陛下である父親も、いまいち両親として認識出来ない。
それもその筈、第一妾妃と国王陛下は、毛嫌いしている王妃の元には一切訪れなかったからだ。
俺の忠告に対して反省の色を見せず、母上は顔を輝かせてジェニー嬢へと駆け寄る。そして、ジェニー嬢の両手を力強く掴んだ。淑女の振る舞いとしては、あってはならない事だ。
単純に疲れからか、それとも精神的にか、頭が痛い。
グリグリとこめかみを揉みほぐしながら、残っている書類に目を通す。
「ジェニーちゃんこっちにおいで。お茶会しましょ!あ、それと、今度の夜会で着るドレスも仕立てましょう?アルフレッドがエスコートするなら、うんと良いものじゃないとね!」
「そんな……。悪いですよ」
「良いのよ!陛下におねだりすればいいもの!陛下もジェニーちゃんを娘のように思っているから、大丈夫よ!」
「いえ……でも……」
「あ、分かった。アルフレッドからのプレゼントがいいって事ね?アルフレッド、ジェニーちゃんにプレゼントしなさいよ。察しない男は嫌われるわよ?」
矢継ぎ早に捲し立てる母上と狼狽えるジェニー嬢のやり取りが聞こえていたが、いきなり俺の名前が出てきて、俺は書類から顔を上げた。
この場にいる全ての者が一斉に俺を見る。
母上は面白おかしそうに、友人達は不満……だけれど何処か納得したように、ジェニー嬢は期待したような眼差しを俺に向けた。
「母上、それは……」
未婚の男が未婚の女性にドレスをプレゼントする――これが求婚を示すという事を母上は分かっているのだろうか?
思わず言葉を詰まらせた俺を見て、母上はヒラヒラと手を振った。
「分かってるわよ。王族は面倒なしきたりが多いってことは。私と陛下も愛し合ってたのに身分違いとあの女が邪魔して……。まあ、国に帰ったから良いけどっ」
“あの女”が王妃様の事を指しているのは、この場にいる全員が察しているだろう。
大体、国王陛下と王妃様は幼い頃からの婚約者である。後から出てきたのは、母上の方だ。そして、世継ぎの俺を生んだ事で王城内で権力を握り、王妃様を祖国へ返したのも第一妾妃だったりする。
「ジェニーちゃんとアルフレッドはそんな事にならないように、あの可愛いげのないエリザベスを陛下に頼んで追い出してあげたからね。愛は悪に打ち勝つのよ!」
力説する母上を呆気に取られて見ていたが、そういえば俺と同じく王妃様に教育されたエリザベス嬢を、母上は嫌っていたなと思い出した。
「もー、アルフレッド。あんまりジェニーちゃん放置してると俺達がさらっていくぞー」
「そうそう。僕達より、アルフレッドが一番ジェニーちゃんを幸せに出来るって思ったから、身を引いたのにぃ」
呆れたようなドイルと不満げなレンドル。それに加えて追い討ちを掛けてきたのは、普段滅多に話さないユーゴだった。
「……アルフレッドは、ジェニーの事大事に思っているんですか?」
浅黒い肌、燃えるような赤髪に切れ長の琥珀色の瞳。
強面だが整った顔立ちをしており、騎士団長嫡男故か鍛え抜かれた筋肉がバランス良く付いた、がっしりとした体つきをしている。
無口の朴念人。
彼が一番始めにジェニー嬢に落ちた。
友人が次々と自分の好きな人を好きになっていくのに、思うところはあった筈なのに平然としている。
俺に対する問い掛けに答えたのは、俺ではなかった。
「ユーゴ、当たり前じゃない。アルフレッドは奥手なのよ。仕方ないわ」
ユーゴの肩に手を置き、諭すように説明する母上にユーゴは納得した顔をして、頷く。
俺はそれを見届けてから、立ち上がり、気分転換に執務室の窓を開けた。
凍えるような冷たい風が吹き込んでくる。
雲一つ無い、快晴。
何処までも続く広大な青空を見上げて、不意に俺は泣きたくなった。
眼下に映る冬の城下町は、今日も平和そのもの。
気付いている者は少ない。
このベルンハルト王国が、急速に崩壊へ向かっている事に。
左手が無意識に左耳のピアスに触れる。
彼女が居なくなってから、よく触るようになってしまったな、と一人自嘲した。
シリアスばかり続いてしまっています。すみません⋯⋯。漸く話が動き出しました。
相変わらずiPhoneの操作、慣れません⋯⋯。特に三点リーダーの変換のバリエーションが多くて、違いが全く分かりません。他と違う表示になっていたら、教えて頂けると有難いです。
感想を折角下さったのに、誤って削除してしまった可能性が⋯⋯。本当に申し訳ないです⋯⋯!感想はとても更新意欲が湧くので、また頂けると嬉しいです壁|ω・`)




