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29 偽物の少女の復讐

その日の夜、俺は極秘でマリオット辺境伯の王都の屋敷を訪れた。

先触れは出していたものの、出迎えたマリオット辺境伯は俺を見て少し驚く。


「殿下っ、供の者を付けずにお一人で来られたのですか?!」

「護衛はいるよ。……隠れているけどね」


それはともかく、と俺は本題を切り出した。


「ジェニー嬢はどうしている?」

「大人しくしております。能力を使わないように目隠しと手を拘束している為、介助は必要ですが、従順ですよ」

「そうか」


マリオット辺境伯はそう説明しながら、俺を屋敷の地下へと案内する。

地下室特有の冷たく湿っぽい空気に包まれた牢獄ではなく、温度や湿度は勿論、調度品、家具一式まで整えられている客室のような場所だった。


それでも、椅子に座ったジェニー嬢の背後には2人の侍女ーーそれも只の侍女ではなさそうな者が監視するかのように控えていたが。


「さて、久しぶりと言うべきかな?」


口調こそは穏やかだが、硬い声でそう問いかけると、目の前のジェニー嬢は誰が目の前にいるのか分かったらしく、ビクリと肩を竦める。

だが、それに構わず俺は問うた。


「時間が惜しいから本題に入る。私達を操ろうとしたのは誰の命令だ?第一妾妃か?」

「お父様です。第一妾妃様は関係ありません」


この件について、ジェニー嬢は動揺する事なく言い切る。

だが、こちらもそう易々と引き下がる訳にはいかない。左耳のピアスに触れて、気持ちを落ち着かせる。


「お前だけであんなに多くの者が魅了に掛かる訳がない。お前の他に術者が居るのは明白だ。それでなくても自国の王族に魅了を掛けるなんて国家反逆罪で死刑だぞ。全て洗いざらい話すなら、罪を軽くするのも考慮出来る。これは取引だ。お前だってまだ若いだろう?」


本当だったらジェニー嬢は俺よりも1つだけ年上の筈だ。まだこの先は長い。

命が惜しければ助けを乞うかもしれない。


そう、命を捨てるだけの覚悟がない限り。


「いいえ。全てはお父様が原因です。私がここに居て、この場で囚われている全てはお父様が原因なんです」

「……全ての責はペティエット男爵にあるとまだ言うのか?」


やはり一筋縄ではいかないらしい。

苦々しい思いのまま、聞き返すとジェニー嬢は静かに頷く。


瞳は隠れているが、口元や頬、態度から見てもかなり落ち着いていて、どんな状況になっても取り乱さないように訓練されていそうだと判断した。


「……取り敢えず、ペティエット男爵を捕らえなければな」


身柄を拘束してはいるが、まだ明確な罪状が定まらないので公にはしていない。

だが、ジェニー嬢が王太子である俺を害そうとしたのは事実なので、この供述で発表する事は出来る。


小声でそう溢すと、ジェニー嬢が顔色を変えて身をこちらに乗り出してきた。

口元が緩み、頬が紅潮している。まるでずっと欲しかった玩具をやっと買ってもらった子供のように、はしゃぐ。


「ええ。全てはお父様が悪いのです。お父様がこの世からいなくなればいいのです。いえ、むしろ、この世にいた事自体が間違いなのです」


嬉々としてそう語るジェニー嬢は間違いなく、異様だった。

呆気にとられて固まる俺達をよそに、ジェニー嬢は矢継ぎ早に話す。


「あの男が全て悪いのです。あの男は存在しちゃいけない。いえ、存在すら家系から真っ黒に塗り潰して、葬り去って欲しいのです。国家反逆罪は死刑ですよね。それにお家はお取り潰し。最高だわ……」


うっとりとするジェニー嬢を見てから、マリオット辺境伯にどういう事かと目配せするが、マリオット辺境伯は訳が分からないと言ったように肩を竦める。

俺も訳が分からない。どうしてそこまでペティエット男爵に拘るのか。


血を分けた実の父親の筈だ。


勿論、ジェニー嬢もペティエット男爵もこの件に関してはただではすまないが、俺は出来れば裏の繋がりをどうしても明かしたかった。


「……ペティエット男爵は置いておいて、お前も死罪なんだぞ。それでいいのか?お前の裏の繋がりを吐けば、命だけは助けてやれるかもしれないんだぞ」


俺の持ちかけにジェニー嬢は微笑んで、緩く首を横に振った。


「いいえ。全てはお父様が悪いのです」


甘言が全く通じない。

馬鹿の一つ覚えのように、ずっと父親のみを悪者にする。

俺は溜め息をついてジェニー嬢に、いや、ジェニー嬢の振りをした少女に一歩踏み込んだ。


「その桃色の瞳。お前はバイゼン皇国の者だろう。既にお前の身元は割れている。確かにペティエット男爵の血を引いているが、お前はペティエット男爵夫人の子供であるジェニー嬢じゃない。ペティエット男爵の元愛人の子供だ」


少女はそのまま静かに聞いていた。

しかし、身体の前で一纏めに拘束されている手は握り締められていて、指先が白くなっていた。

それが彼女の怒りを表しているようで、自分の告げている事は的確に彼女の弱味を引きずり出していると確信する。


「男爵夫人と結婚する前、ペティエット男爵には愛人がいた。バイゼン人の」

「……っ」


わざとゆっくりと話して、彼女に聞かせる。

本当は、敵に情けなど与えてやるつもりはない。

更に彼女の指先が色をなくしたけれど、俺は構う事なく告げた。


「母国に帰ってから、借金を背負って娼婦に落ちたそうだね。お前の母親。ペティエット男爵の性格を考慮すれば、手切れ金は十分貰っていただろうに」


そう言った瞬間、派手な音を立てて少女が座っていた椅子が後ろに倒れる。

侍女2人が咄嗟に少女を羽交い締めにするが、少女の顔は俺のいる方向だけに向いていた。


「お母様を、お母様を馬鹿にしないでっ!」


悲鳴混じりに叫ぶ少女は暫しの間暴れていたが、やがて冷静さを取り戻し、自嘲気味に微笑む。


「王太子としてぬくぬくと育った貴方は知らないでしょうね……!女……それも他国の人間の血を引いた子供を連れた女なんて、バイゼン皇国では雇ってくれる所なんてないのよ。男社会だもの。だから、お母様は娼婦になるしかなかった」


別にぬくぬくと育ってはいないのだが、お金に困った事がないのは事実だ。お金の無い事に喘いだ人々からなら、そう見えるのかもしれない。


「手切れ金は?かなりの額をもらったのではないのか?」

「そんなの私の養育費に使ってしまったに決まってるじゃない。だって、お母様はお父様に私とお母様を必ず迎えに行くと、男爵家に迎え入れると言われてそれを待ってたのよ!」


貴族の礼儀作法は一朝一夕で身につくようなものではない。それに、その礼儀作法を身に付ける為に雇わなければならない教師の授業料は高額だ。


普通の平民の生活ならば、手切れ金だけで一生慎ましく過ごせたのかもしれない。


だけど、ペティエット男爵はこの少女と母親を迎え入れると言った。それは、この少女を男爵家の一員と認めるのを意味する。


結婚と正妻との跡継ぎが出来るまで、一時的に身の回りを綺麗にしたという事か。それともそれは、穏便に厄介払いする為の嘘だったのか。

少女の母親は、男爵が少女と母親を引き取ると信じて少女の為に貴族の教育をさせていたに違いない。


妾の娘でもきちんとした教育を受け、男爵家の一員だと認められていれば、そこそこ良い嫁ぎ先は見つかるからだ。


だが、現実は正妻との間に女児が1人産まれただけ。

跡継ぎが中々出来なかった為、迎えが伸びたのだろうか。愛人と連絡を取れなかった事もあり得る。そして、その間に愛人が死んだのは調べ上げたので、知っている。


あくまで俺の推測だ。でも、ペティエット男爵の性格からして可能性は高い。

だとしたら、小さな不幸が少しずつ積み重なって、こんな結末を迎えたのかもしれない。


でも、きっかけや目的が何であれ、この少女が俺達を害したのは間違いない。

少女の感情を揺さぶりながら、俺はわざと神経を逆撫でする。


「それでも、その言葉を信じてしまったのが間違いだったのだろうな。手切れ金を渡して縁を切るのが普通だぞ」

「ええ、そうよ。あんな男に縋ってしまったからいけなかったのよ。だから、私はあの男を殺さなきゃいけないの」


それが常識であるかのように話したのを聞いて、俺は唐突に悟った。

この少女は聡明だった。俺の評価をゆっくりゆっくり削っていくような狡猾ささえ、持ち合わせていた。


多分彼女は狂ってる。


実の父親を殺す事しか執着していない。全ての悪の根源が実の父親だと思っている。

それもただ殺したいだけじゃない。


私怨からその人を殺すというのはそれなりに聞く話しだが、これはそれよりももっと深く感じた。

ペティエット男爵は、元々は権力に執着のない穏やかな人柄だったという。

それならば、ジェニー嬢が操っている可能性は高い。


今まで先祖代々守ってきた地位も、名誉も、誇りも、全て地に落とし、自分の知らない所で自分が罪をどんどん重ねていく。

正気に戻った時、自分がやった事を知った時はきっと取り返しのつかない事になっていて、絶望する筈だ。


もしこれがジェニー嬢の考えた復讐ならば、相手が貴族なら1番効果的で、1番最悪なシナリオではなかろうか。


「聞き方を変えよう。お前の復讐を手伝っているのは誰だ?」

「神様です。神様が私にあの男を絶望させる機会をくれたの……」


頭痛がした。全く話が通じない。

こめかみを揉み解しながら、後はマリオット辺境伯に頼んだ。






◇◆◇◆◇◆







「……だ、そうだが。ペティエット男爵?」


ジェニー嬢が拘束されている部屋の隣。そこには、初老の男性が両側を騎士に挟まれて、項垂れていた。

こちらは隣に捕らえていた貴人を監視する為に作られた部屋なのだろう。隣の部屋の声が分かるのは勿論、様子を見るための覗き穴がいくつかある。


「殿下……」

「娘の助命嘆願なんて聞けないからな。勿論貴方もだ」

「……分かっております。ですが、せめて楽に逝かせてやって下さい。どんなに恨まれても、子供を愛しているのです」


力なく答える男爵は、一気に老け込んだかのようだった。


「娘を男爵家に迎えるつもりでした。しかし、行方知れずでずっと探していたのです。……見つかる少し前まで、母親の住んでいた娼館で母娘共々ボロ雑巾のようにこき使われていたと、娘を保護してくれた馴染みの商人が教えてくれました。それから、娘を引き取ってから不思議な感覚に襲われるようになったのです」

「不思議な感覚?」

「自分が、自分でないような。ふとした時に正気に返って、自分は今まで何をやっていたか分からなくなったり、自分が何を考えているのか分からなくなる感覚です」


それが、魅了の効果だ。

相手の思考を鈍らせ、自分の意のままに操る能力。


「殿下……娘が大変申し訳ないことをしました。この命を以てしてでも、謝っても謝りきれません」

「……そうだな」

「あの子には、アスターには、可哀想な事をしました。死んだジェニーの名前を名乗らせて、私に復讐をする事を糧にさせた」


そこまで言うと男爵は深々と息をついて、今にも泣きそうな表情で俺を見上げて微笑んだ。


「殿下。つまらない男の告白を聞いていただき、ありがとうございます」

「ああ」


すれ違ってしまった親子の溝は深いし、もうこれ以上修復も何も出来ないだろう。

だけど、俺はこの手で彼らを裁かなければならない。同情なんてしていられないし、何より俺達を追い込んだ彼らを流石に許すなんて到底出来そうもなかった。

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