獣星人
アーリンはずっと側にいてくれた。
俺が「腹、減ったな……」と言ったら、料理を作ってくれた。
焼き飯だった。
「ごめんね、タカシ。いっつも簡単なもので」
そう言いながら、かわいいエプロンを着け、ミアが作ってくれたあの焼き飯と同じものを作ってくれた。
「オオカミがいなくなれば、地上でしか作れない食材もまた入手出来るようになる。そうしたら、うまいものを作ってくれる?」
俺が聞くと、アーリンは一瞬困ったような顔をし、にっこり笑うと答えた。
「研究所の食堂であなたはミアの作ったカツ丼が好きだった」
「そう! あのカツ丼がまた食いたい!」
アーリンが分析を始めたようだ。俺の記憶の中にあるあのカツ丼の味を分析し、レシピを頭の中で組み立てた。
「オッケー、タカシ! 豚肉と卵さえ入手出来たらこっちのものよ」
「ありがとう! でも、この焼き飯も、立派にうまいぞ!」
あまりの頼もしさに、俺は笑顔が止まらなくなった。
食後にはアーリンがコーヒーを淹れてくれた。これも俺の記憶から学習したようで、ミアが淹れてくれるものと同じ味がした。
「みんなに君を紹介したい」
ベッドの上で、寄り添って横になりながら、アーリンにそう持ちかけた。広すぎたベッドが今は面積が足りないくらいだ。
「明日、一緒に研究所へ行ってくれないか?」
俺のかわいいアーリンをみんなに自慢したいという思いもあったし、研究員のみんなが彼女から学べることも多いだろうと思ったのだ。
しかしアーリンは即答した。
「わたしはあなただけとしかお話出来ないの」
「なぜ?」
「読み取る思考が目の前に多すぎると、頭が割れそうになっちゃうのです」
佐奈田3曹がアーリンの前に出ていった時のことを思い出した。
あの時、アーリンは苦しそうな表情を浮かべ、逃げるように空間に身を潜らせて、消えてしまったのだった。
なるほどあれは複数の思考を目の前にしてしまってバグりそうになっていたのか。
「じゃあ……ずっと俺の側にいてくれ」
「ふふっ……。オオカミは自由にしてあげるのですか?」
確かにそうだ。アーリンが俺とずっと一緒にいたら、この辺りのオオカミが野放しになってしまう。もちろん俺はそういう意味で言ったのではなかったが──
「オオカミは一体地上で何を探し回っているんだ? 君は知ってる?」
「O.O.Lです」
「オーオーエル? ……何、それ?」
「わたしのデータベースには名前しかありません。ゆえに詳しい内容については不明なの。ただそれは銀星人の弱点を攻撃するための物質であり、見つけさせてはいけません。獣星人は──」
そこまで喋って、アーリンが停止した。
口も表情もすべてが止まり、動かなくなった青い瞳を死んだように天井に向けている。
「アーリン……?」
動きが完全に固まってしまった。
「アーリン!?」
すると急にその瞳に光が戻り、くるんとこちらを向く。そして、言った。
「──わたしはアーリンなの?」
「そうだよ。……ああ、びっくりした。一体どうした……」
「ミアじゃなくて?」
言葉に詰まった。
俺は彼女に「愛してる」と言った。しかしそれはミアの代わりに、ミアのコピーとしてなのか。それともアーリン自身を愛し始めているのか、わからなかった。
今、この思考を彼女は読んでいることだろう。何か申し訳なくなって、俺は自分の気持ちはわからないまま、彼女のために断言した。
「君はアーリン……シルバー・アーリンだ。オオカミから僕ら地球人を守ってくれる、美しく鬼強い戦闘乙女。俺はそんなシルバー・アーリンを愛している」
そして優しくキスをした。銀色の長い髪を撫でた。服を脱がしたくなったが、生憎彼女は服を必要としないメカニカル・ボディーだった。
彼女にキスをすると唇がチクチクと痛む。もしかして彼女が動力としているのは銀ではなく、色は同じでまったく別ものの、水銀だろうか? それは確かに人体にとっての毒ではある。しかしちょっとやそっとの量では致死量には至らないはずだ。
何よりたとえ多量の水銀を摂取することになろうとも、俺はアーリンへのキスが止められなかった。
朝、目を覚ますと、アーリンはいなかった。
しかし俺は彼女のいたところに手を伸ばし、彼女の髪があったところのシーツを愛おしく撫でると、呟いた。
「一日も早く……オオカミを地球から追い出し、君と海を見に行くよ」
「大神さん!」
研究所の廊下を歩いていると、後ろから名前を呼ばれた。振り向いてみると、背の高い迷彩服姿の男が笑顔でこちらに手を振っていた。筋肉質で、俺の苦手なタイプの人懐っこさでグイグイと他人のパーソナルスペースに踏み込んで来る。佐奈田3曹だ。
「この間はどうも」
俺は立ち止まり、一礼をする。
「……こんなところでどうされたんですか?」
「アーリンに会わせてくださいよ!」
相変わらず敬礼も何もなしでグイグイ来る男だった。
「僕も彼女とお話したいなあっ!」
今日も正午にアーリンは俺のシェルターを訪ねて来るだろう。しまった……、その時間には帰っていられない。俺が帰宅している時間を彼女に伝えておけばよかった。まぁ、もちろんこの男をシェルターに招いてやるつもりはなかったが。
「シルバー・アーリンには他人の思念を読み取る機能が備わっています。だから複数の人間といっぺんに相対すると、読み取る思念が多くてバグってしまいます」
俺はほんとうのことを言って、諦めさせようとした。
「じゃ、僕をアーリンと二人きりにしてくださいよ!」
諦めなかった。それどころか火を点けてしまったようだ。
「……彼女とどんな話がしたいんですか?」
「ファンなんですよ、僕。ファン! 握手して、出来ればあっちこっち触ってみたいなあって、思ってるんです!」
絶対に会わせたくないなと思った。「アーリンは俺の嫁です」と言ってやりたかったが、それは言えなかった。
「オオカミに対抗する術を彼女から学びたいとかじゃないんですか?」
「そんなことは無理でしょう! ハッハッハ! そんな無駄な会話はする気がありませんよ!」
「あ……。そうだ」
俺はアーリンとの会話を思い出し、藁に縋る感じで佐奈田3曹に聞いてみた。
「O.O.Lという物質を……佐奈田さんは御存知ありませんか?」
「O.O.L? 何の略?」
佐奈田は頭に手をやり、思考を巡らせ、答えた。
「オールド・オフィス・レディーかな?」
聞いた自分がバカだったと思った。
「とりあえず……次にオオカミが来た時、アーリンがそれをやっつけた後、大神さんは引っ込んでてくださいよ。僕がアーリンとお話するんですから」
「はいわかりました」とだけ答えて、俺は佐奈田を置いて歩き出した。忙しいのだ。オオカミが探しているというO.O.Lとは何なのか、オオカミの光線を防ぐほどの超高純度の銀を作り出すにはどうすればいいか、調べることは山積みだ。
「ぐふっ……」
背後で不気味な笑い声のようなものが聞こえた。
振り返ると、佐奈田3曹が、口から白い泡を吐きながら、俺をまっすぐ見つめて笑っている。
「……どうしました?」
持病の発作でも起こしたのだろうかと心配しながら俺が聞くと、佐奈田は泡を吐きながら、彼のものとは違う、獣のような声で喋り出した。
「O.O.Lハ、何処ニアル?」
何が起こっているのかわからず、どう見ても意識を失っている佐奈田の顔を見ながら呆然とする俺に、そいつは言った。
「銀星人ヲ信ジルナ。銀星人ハ滅ボスベキ。宇宙ノ問題種。ベキ、ベキ……。O.O.Lノ在処ヲ教エロ」
「貴様……オオカミか!?」
俺は咄嗟に頭に浮かんだことを問うた。
瞬間移動したかと思うほどの速さで佐奈田がいつの間にか俺の目の前にいた。白目を剥きながらその逞しい腕で俺の自由を奪うと、詰問してくる。
「O.O.Lハ何処ダ」
そういえばオオカミをけしかけているのは『獣星人』というエイリアンだと聞いたのを思い出した。どうやら佐奈田は彼らに操られているようだと直感した。
恐怖はしたが、むしろこれはチャンスだと思った。わからないことは本人に直接聞くのが一番だ。
「知らない……というか、O.O.Lとは何かをまず知らない。……逆に聞いてもいいか? O.O.Lとは何だ? 何の略なんだ?」
「O.O.Lニ決マッテイルダロウ」
獣星人の口から出たとは思えないロマンチックな言葉に、俺は呆気にとられた。
シュパッと軽い音を立てて横の扉が開いた。そこは医務室だった。
気怠そうに髪をかき上げながら出てきたハルナさんが、俺たちに気づいて嬉しそうな声を上げた。
「あらっ! 佐奈田3曹ちゃんじゃないですか! どぉしたのっ? 奥さん元気?」
艶めかしい声でそう言いながら、佐奈田に背中から抱きついた。豊満なGカップの胸をグイグイと押しつける。気持ちいいのか佐奈田の表情がトロンと大人しい犬のようになった。
これを見逃す俺ではない。
「獣星人さん。理性的に会話をしましょう。私も銀星人には胡散臭いものを感じていました。O.O.Lを探すことに我々も手助け出来るかもしれません。どうですか? 別室で温かいミルクでも飲みながらお話しませんか?」
「ミ……、ミルク……ダト?」
佐奈田が口から糸引くヨダレを垂らした。
「ウ……、ウゥ……」
背中に感じているハルナさんの胸にも大人しくさせられているようだ。
俺は脱いだ白衣で佐奈田を素速く縛ると、所長のいる部屋へ向かって彼を歩かせ始めた。
『情で動くやつは三流』という、藪龍所長の言葉を何度も頭の中で繰り返した。
この獣星人はミアを殺したオオカミをけしかけたやつだ。しかも俺の嫌いなやつの体に入っている。
ぶっ殺してやりたい衝動を歯軋りで抑えながら、そいつを所長のいる部屋へ運んだ。




