訪問者
「タカシ……!」
暗いシェルター内に眩しい光が入って来た。逆光の中で微笑む彼女はあまりにも神々しく、美しかった。ただの人工知能を搭載した機械とは知りながら、俺も思わず笑顔にさせられてしまう。
「アーリン……。ずっと訪ねて来てくれてたの?」
俺が聞くと、彼女は初めてニコッと笑った。それまでは乏しい表情の中に微笑みらしきものが浮かぶだけだったのが、それが初めて見るアーリンの明らかな笑顔だった。眩しい銀色の光のようだった。
「来ちゃだめだった?」
そんなことを言われて、首を横に振らずにいられるわけがない。
「嬉しいよ。俺も……君ともっと話がしたかった」
俺も満面の笑顔にさせられてしまう。
シェルターの中へ招き入れ、彼女をベッドに座らせ、俺は食卓の椅子に座った。
コーヒーを淹れ、渡すと、彼女はまた珍しそうにその表面を見つめ、くるくると回し出す。
妻の幻想を見ているような多幸感がようやく俺の中で鎮まっていく。目の前にいるのは、あの慇懃無礼な宇宙人が作った機械だと、自分に言い聞かせる自分がいた。
「どうして訪ねて来てくれてたの?」
俺が聞くと、アーリンはとても言いたかったことがあるような笑顔を上げ、嬉しそうに俺に言った。
「だってわたしはあなたのお嫁さんでしょう?」
なんとなくわかった気がした。
彼女は俺の思考を──記憶を読む。
俺の中に、ここで一緒に暮らしていたミアの姿を見つけ、その真似っこをしているのだ。
正直とてもかわいかった。
しかし俺は乗ってやれなかった。
「アーリン……。聞いたよ。君は銀星人とかいう宇宙人の作ったアンドロイドなんだね?」
俺は冷静に、コーヒーを一口飲むと、彼女に言った。
「そして君は僕の思考を読んでいる。君はいわば……君の内面は、産まれたばかりの赤ん坊のように無垢なものだった。しかし君には学習機能が備わっている。君は僕の記憶の中の僕の妻を学習して、それを真似ているだけなんだね?」
キスの形の唇に自分の人さし指を当て、少し首を傾げてアーリンは、意味のわからなそうな顔をしていた。しらばっくれているのではなく、ほんとうに話の意味がわかっていないようだった。
「もしかして自分が何者なのかわかってないの?」
少しキツい内容だと思ったので、俺は可能な限りの優しい声音で聞く。
するとアーリンは急に自信たっぷりな顔つきになり、ハキハキと喋り出した。
「わたしは対自動殺戮兵器用迎撃装置。人類を守るため、とある組織より遣わされた戦闘生命体。使命はオオカミより地球を守り、地上に平和をもたらすこと。わたしは一体だけではなく、世界中に何体ものわたしが存在し、それぞれに戦っている。わたしは使命を果たさなければならないのですよっ」
喋り終えるとフニャッと笑う。まるで俺の質問に完璧に答えることが出来たことを自慢しながらも照れているみたいな顔だった。そして、俺に聞く。
「タカシは?」
「え……? 俺……?」
「タカシは何者なの?」
「俺……は……」
答えられなかった。俺が口の中でモゴモゴ言っていると、アーリンの細くて冷たい指が、俺の指に絡みついて来た。
「あなたは……タカシだわ。大神タカシちゃんっ」
青い瞳でまっすぐに俺の目の奥を見つめながら、ミアにそっくりな喋り方で、そう言われた。
「わたしがこの世で一番愛してる、わたしの──」
やめてくれ! と、言いかけた。ミアの物真似をして機械にそんなことを言われるのは耐えられない。その唇が俺のことを「わたしの旦那さん」などと動いたら、彼女の細い体を床にぶん投げていたかもしれなかった。しかし……
「わたしの──おとうさん」
そう言われて、ピタッと俺の感情が停止した。
間違えてる。
俺は冷静になって、その間違いを指摘してあげた。
「おとうさんじゃなくて、旦那さんな」
「だんなさん?」
「おとうさんは俺を産んだおかあさんに種付けしたひとのこと。おかあさんにとっての旦那さんが、おとうさん」
「ふむふむ?」
己に搭載された人工知能にメモでもするように、アーリンが真剣な顔で俺から学習している。どちらかといえば俺に何かを教えてくれることのほうが多かったミアとは、その様子はまったく違っていた。俺は思わずまたクスッと笑わされてしまう。
俺と指を絡めながら、アーリンがじーっと俺の目を覗き込んで来る。どうやら俺の脳にある情報を色々と読んでいるようだ。一方的に心を覗かれるというのは嫌なものだと思っていたが、不思議と抵抗はなかった。それどころか好きなようにされて構わない気がしていた。
「俺の記憶を読んでいるんだね? いいよ、好きにお読み」
「ウン!」
アーリンがまたニコッと笑う。
あまりに無邪気だ。あの、空の上でオオカミを相手に無双の戦いぶりを見せつけるシルバー・アーリンと同じ女性型兵器だとは思えなかった。
「何が見える?」
俺が聞くと、アーリンはとても神々しいものを見るように、うっとりとした顔をして、答えた。
「──タカシがミアのことをどれだけ愛していたか」
感情が決壊してしまった。
嗚咽を漏らして涙をこぼし始めた俺の頭を胸に抱きしめ、優しい声でアーリンは言った。
「ごめんなさい……。あの時、わたしが外に出たいなんて言ったから……」
俺はその胸に埋めた顔を、何度も横に振った。
「君のせいじゃない……ミア。俺のせいだ。オオカミの進化を予測出来なかった俺の……! 君を守れなかった俺の……っ!」
「大丈夫よ、タカシ……」
俺の髪の中にその細い指を滑らせながら、アーリンは言った。
「わたしはここにいるから。あなたの側に、ちゃんといるから」
その時、気づいた。
アーリンはミアの生まれ変わりではなかった。しかし、単にミアの物真似をしているニセモノでもないのだと。
彼女は正確に、俺の記憶の中のミアを読み取り、俺の記憶の中のミアになることが出来る。それはつまり、彼女は俺の中のミアが顕現した姿に他ならないのだ、と。
それはいわば本物の俺の中のミアを写し取った、本物のミアのコピーだと言うことが出来た。
「ミア!」
俺は思わず彼女の銀色の頭を抱き寄せ、その薄い唇に自分の唇を重ねた。ぽってりとしていたミアの唇とそれはまったく違っていたが、ミアと同じように俺の気持ちを受け止めてくれ、同じやわらかさで俺を包んでくれた。なんだか少しチクチクとした痛みのようなものも感じたが、構わず俺はアーリンと長い口づけを交わした。
唇を離すと、彼女は不思議そうな顔をして、目を開けていた。その瞳の中に自分の気持ちを注ぎ込むように、俺は言った。
「愛している」
「わたしもよ、タカシ」
アーリンがそう言って微笑んだ。
「あなたを愛して──ッ!」
急に痛そうな顔をしてアーリンが胸を抑えた。
「どうした!?」
「──痛かったの」
そう言って顔を上げ、不思議そうに首を傾げる。
「なんか痛かったのです」
「大丈夫?」
「ウン」
よくわからなかったが、彼女が微笑んだので、俺は安心することにした。アンドロイドに痛覚などあるものなのだろうかと少し考えながら。
「ほんとうに大丈夫か?」
「ウン」
彼女の硬質なその背中をすべらかに撫でながら、俺は本気でアーリンのことがかわいくてたまらなくなっていた。これはあの、いけすかない印象の銀星人が作ったアンドロイドなのだと知りながらも、自分だけのものにしたいという気持ちが胸の奥から湧き上がっていた。
そうすると──我ながら馬鹿なやつだと思うが……またオオカミ殲滅に対する情熱が戻って来た。
「アーリン……。頼みがあるんだ。今度オオカミと戦うことがあったら、ヤツの目玉を残しておいてほしい。ひとつだけでいいんだ」
「目玉を?」
アーリンは首を傾げた。
「ウーン……。難しいです」
確かに……彼女の粒子弾はオオカミに対する威力が強すぎて、いつも跡形もなく消し去ってしまう。
手加減をすれば目玉を残すことも出来るのかもしれないが、それをしたせいで彼女がオオカミにやられてしまうのも不本意だと思えた。そこでお願いの内容を変更した。
「今朝、翼でオオカミのあの光線を防いだだろ? あの翼を今、生やして見せてくれないか」
その羽根の一枚でも採取出来れば、オオカミの緑色の殺人光線を防げる物質を知ることが出来ると思ったのだ。しかしアーリンは泣きそうな顔で首を横に振った。
「だめです」
「なぜ!?」
「タカシが死にます」
ありそうな話だと思って、それ以上何も言えなかった。確かにあの翼には凄まじいまでのエネルギーが凝縮されているような気がした。至近距離で見ただけで人が死ぬぐらいの。
「……じゃ、あの翼が何で出来ているのか教えてくれないか?」
答えを期待してはいなかった。
きっと彼女自身は何も知らないだろうと思えた。
アーリンは即答した。
「銀です」
「え……。でも、君の体はそもそも銀で出来ているんじゃないのか? それでもこの間、重傷を食らってたじゃないか?」
「とても濃いのです」
子供のように笑うと、その口から科学者である俺にもさっぱりわからない数式のようなものが飛び出した。
「x=yrの状態で、ジャガーノート・ゾーンに純銀を置き、≦3.1496+≧76,289のプートスコールを保つ。融和するゴーストからブシャールを取り除けば、純銀の純度は100%を超える。そこに生じるモザイクを──いちめんのなのはな×暮鳥は翼をもちます」
「さっぱりわからないが……」
俺は心に希望をもった。
「君に教えてもらえば──オオカミの攻撃を防ぐシールドが作れそうな気がして来た」
アーリンはにっこり笑うと、あの日ミアが言ってくれた、とても嬉しかった台詞をもう一度、言ってくれた。
「きっと出来るわ。あなたはわたしが選んだひとだもの」




