再会と逃走
白衣姿のまま、地下を巡る道を伝って車を走らせた。
目的地は南部の人口島地下45階。そこからエレベーターで地下2階まで上がり、研究所からの連絡を待つ。
防衛軍も駆けつけているという。駆けつけたところで見守ってくれるしか出来ないだろうが、まぁ一人で地上に出るよりは心強い──か。
オオカミは一体、何をしにやって来るのだろう。
人間を地上に発見すれば狂ったように襲いかかって来るが、それを知っているので地上を歩く者などいない。
もぬけの殻の地上で何かを探し回っているようだ。ビルを破壊し、道路に穴を穿ち、しかしけっして地下へは侵入して来ない。
地上をうろつき回り、何かを探している。
一体、何を──
白衣をなびかせ、薄暗い廊下を階段のほうへ向かって歩いていると、背後からタイルの床に靴を踏み鳴らす音が近づいて来た。振り向いてみると、防衛軍の兵士たちが重装備を纏ってやって来る。
「御苦労様です! オオカミ対策研究所の大神さんですね?」
先頭の、いかにも体育会系といった風貌の背の高い男が、敬礼もなく俺に言った。
「防衛軍の佐奈田3曹です。……聞いてますよ。シルバー・アーリンと仲がいいんですってね!」
なんだかズケズケとしたやつだ。下世話な印象を受ける。ちょっと苦手だな、と感じた。
『来たぞ』
インナーフォンから所長の声が聞こえた。
『シルバー・アーリンだ』
俺たちには何も見えない。レーダーはあるが、モニターがない。地下2階の何もないフロアに身を潜めていたのを、彼女が来たと聞き、急いで地下1階への階段を駆け上がる。アーリンがオオカミを殲滅した報せを受けるより前に地上へ出なければ──
俺が先頭を切り、勢いよく自動扉のボタンを押した。兵士たちは俺から距離を取るように立ち止まった。
ジュラルミンの自動扉が開くと紫色の空が見えた。
用心しながらも急いで顔を出すと、空には既に銀色の粒子弾が輝き、渦巻いていた。その中心に、銀色の長い髪を揺らしてアーリンが、空飛ぶ女神像のように浮かんでいる。
戦闘はもう終わったところだった。戦闘なんてものじゃない。アーリンの一方的なオオカミ駆除だ。
「あぁ、よかった!」
佐奈田3曹が安心したように、俺の後ろから地上にその笑顔を出した。
「やっぱりアーリンは強いなぁ! かわいいしなぁ!」
いや、違う──
オオカミは進化する。俺の作ったレーダーを容易く掻い潜って来たように。
今までは隊列などなくただてんでバラバラに動いていたオオカミたちが、組織行動をとれるように進化していた。
瓦礫を蹴散らす巨大な殺意の気配に身震いする。
空からやって来た一群とは別に、地上に『伏せ』の姿勢で隠れていた数体ものオオカミたちが、俺たちを取り巻いて立ち上がった。緑色の目で一斉に、空に浮かぶアーリンに照準を合わせる。
「ひいいいぃっ!?」
いきなりオオカミの群れに取り囲まれ、佐奈田3曹長が地面に突っ伏した。
俺は危険を省みず大声で叫んでいた。
「危ない! アーリン!」
俺を取り囲んでオオカミたちが立ち並んでいた。すぐ隣──触れられるほど近くにオオカミの前脚が柱のように、立っている。死を覚悟した。構わなかった。アーリンが死ぬなら自分の命もどうなったところで──
続けて俺は叫んだ。
「アーリン! 避けろ!」
オオカミたちはすぐ足元の俺たちには目もくれなかった。上空のアーリンめがけ、一斉に緑色の巨大な眼球を光らせる。すべてを破壊するその光線を、一斉に発射した。
しかしシルバー・アーリンも進化していた。
上空の敵をすべて片付けたアーリンの背中から、銀色の翼が生まれた。光の翼だ。それが彼女を守るように包み込む。
オオカミたちの放った緑色の光線が、下から立ち昇る滝のように、怒り狂ったように、一斉にアーリンに突き刺さった。
俺はオオカミに取り囲まれながら大声をあげた。
「アーリイィィン──!」
上空で緑色の爆発が起こった。
ドロドロと、アーリンのいた空中から、硫酸の滴のように緑色のけむりのようなものが地上へ落ちていく。それを突き破って、音もなく、けむりの中から眩しい銀色の光の玉が膨らむのが見えた。
瞬く間にそれは光を放ち、破裂した。
俺の周囲に特大粒の銀色の雨が降り注ぎ、爆音がいくつも轟き、俺の体は宙に浮いた。佐奈田3曹らの悲鳴や絶叫を俺は聞きながら、長い間、空を舞っていた気がする。しかしすぐに背中に激痛を覚え、目の前が真っ赤になった。
何が起こったのかさっぱりわからなかった。まるで遠心分離機の中に入れられ、撹拌されたような感覚だ。熱で貼りついたような瞼をようやく開けると、心配するように覗き込むアーリンの優しい顔がすぐ目の前にあった。
「ごめんなさい、タカシ」
悪いことをして叱られて謝る幼児のように口をすぼめて、困ったような目をしたアーリンがそこにいた。銀色の長いまつ毛がしっとりと濡れている。やわらかいその長い髪が、銀色の藤の花のように垂れ下がり、俺の顔をくすぐっていた。
「アーリン!」
再会の喜びに、恐怖も痛みも吹っ飛んだ。
「オオカミは……? 勝ったのか!?」
「あなたが叫んで知らせてくれたから」
あくまでも申しわけなさそうに、彼女は言う。
「そこにいるってわかってたのに……わたし……、粒子弾を放っちゃった」
「いいんだよ……。いいんだ! あれでよかった! ああしなければ、君も俺も死んでた」
アーリンは膝をついて俺の顔を覗き込み、ずっと困ったような顔をしていたが、俺がそう言うとようやくうっすらと微笑みを浮かべた。
会えたら話したかったことが多すぎて、何も言葉が出てこずに、俺もただ黙って彼女の顔を見つめた。もう会えないと思っていたミアに再び会えたように、ただ胸を熱くしていた。
「わあ! シルバー・アーリンさんだ!」
扉の中に隠れていた佐奈田3曹が感激したように大声をあげながら出て来た。その後からゾロゾロと、約10名の兵士たちも続いて出て来る。
「はじめまして! ぼく、佐奈田っていいます! 防衛軍で3曹をやっております! あっ、3曹というのはですね、小隊を率いる……」
アーリンが佐奈田を見た。
その顔にとても困ったような、あるいは苦痛のような表情が浮かぶ。
「あっ!」
アーリンが、消えた。空気の隙間に身を潜らせるように、一瞬で消えてしまった。
俺は身を起こそうとしたが、体が言うことをきかない。力なくそのまま地面に横たわっているしか出来なかった。
「なんで……消えちゃうの!?」
佐奈田が悲しそうな声で吠える。
「俺もお話したかったのに……!」
「彼女は人見知りなんですよ。俺以外の人がいると無口になって、すぐ俺の後ろに隠れてしまうんだ」
俺はミアの話をしていた。
幸い骨折はしていなかった。
周囲に降り注いだ粒子弾の威力に跳ね上げられ、地面に叩きつけられ、それでも俺の体は打撲程度のダメージで済んでいた。
激痛に耐えながらも車を運転し、研究所へ戻るとすぐに医務室で治療を受けた。
「無理はしないでくださいよ、大神さん。あなたはアクションヒーローじゃないんですから」
医療担当の牛野ハルナさんがクスクスとからかうように笑いながらそう言う。
このひとの白衣姿は兵器だ。Gカップの胸が……なんて、そんなこと考えてる場合じゃないだろう、俺。治療が済んだらすぐ所長に報告せねば……。
「あなた、シルバー・アーリンとお話が出来るんですって?」
ハルナさんがそう言いながら、ベッドにうつ伏せた俺の背中をてのひらでさすって来る。
「いいなぁ。羨ましいなぁ……、アーリンが。あたしもアーリンのように、貴方といっぱいお話がしたいもの」
俺の肩に豊満なその胸を押しつけて来る。クッ……、惑わされるな、俺。このひとはすぐにこうやって既婚男性をからかうんだ。勘違いしたやつが今までどれだけ嫁に軽蔑されて来たか、見てるだろ。
「俺……、彼女がミアの生まれ変わりかもしれないって思ってるんですよ」
俺は心を乱されないふりをしながら、言った。
「似てるんです、彼女……。それに……」
アーリンが教えもしないのに俺の名前を知っていたことは言えなかった。俺自身にもわけがわかっていないのだ。
ハルナさんがふふっと笑って俺から離れた。
「大神さんはずっとミアちゃんだけを想ってるのね。……幸せ者だわ、彼女」
「敵を取ろうなんて考えてなかった。考えられなくさせられていた。ただ悲しみと……自分の無力に打ちひしがれて、研究への熱意を失っていました……」
俺は医務室のガラスケースの中の薬瓶を見つめながら、言った。
「でも今は……シルバー・アーリンに少しでも協力したい。オオカミは進化しています。彼女の助けになるようなものを何か……俺に作れたら……!」
「彼女は何者なの? 何かの秘密組織が作った秘密兵器?」
「わかりません……。ただ、我々の味方であることだけは確かです」
医務室の自動扉が鋭い音を立てて開き、藪龍所長が急ぎ足で入って来るなり怒鳴るように言った。
「大神くん! オオカミの目玉は持って帰ったのか!?」
「……すみません、所長。そんな暇ありませんでした」
「アーリンと何か話してただろう!? 次の戦闘で目玉を残しておいてくれるように言ったか!?」
「……すみません。防衛軍のひとたちが出て来たら、恥ずかしがるように消えちゃって……」
「どうせなんだか再会した喜びとやらに浸って言い忘れたんだろう? これだから情に流されるやつは役に立たんのだ!」
言い返す言葉がなかった。
そうだ。あの時、俺は真っ先に、そのことを頼まなければならなかった。彼女はいつもオオカミを跡形もなく消してしまう。研究のため、オオカミの目玉を残しておいてくれるようアーリンに依頼するのが最重要だったのだ。それを情に浸ってしまって……所長の言う通りだ。
でも、あの時、俺は喜びで心がいっぱいだったんだ。
彼女に再会出来た。彼女が俺を覚えていてくれた。俺の名前をその唇で呼んでくれた。
二人で見つめ合い、笑い合えた。
彼女はやはり、ミアの──
『所長!』
連絡用スピーカーから依吹隊員の甲高い声がした。
『所長と話がしたいという方からモニター通話が入っています。受けますか?』
「誰からだ!」
スピーカーにはマイクが内蔵されている。所長が依吹さんに怒鳴る。
「まずそれを言わんか! バカ女が!」
すると依吹さんが意外な相手のことを知らせた。
『宇宙人です。銀星人と名乗っています』




