15.これで良かったのよ
「アルティナお姉様~! たっだいまですわ~~ん!」
「では、行ってらっしゃい!」
「今日も立派な氷河期で素敵です、お姉様!」
あふれんばかりの愛を漲らせたスフィアは、扉の前にやって来たアルティナに抱きつこうと突進するも、無情にも屋敷の扉は目の前できっちり閉じられる。
しかしスフィアは諦めない。
「……トレド、扉開放」
「サーイエッサー!」
魔法の呪文を唱えればあら不思議、あっという間に扉は開き、スフィアは無事アルティナに抱きつくことが出来ました。
「トレド!? あなたはどちらの家に仕えてるの!?」
「すすす、すみませんお嬢様! なぜか身体が勝手に反応してしまいまして……!?」
これぞ訓練の賜物である。
アルティナは、幸せそうな顔して腰に抱きついているスフィアを見下ろし、溜め息をついた。
「これでは歩けないでしょう……ほら、私とお茶を飲みたければさっさと立ちなさい」
「――っえ、やったぁ!」
飛び上がるようにしてアルティナの腰から離れれば、アルティナは「まったく」と満更でもない顔でスフィアを部屋に招き入れた。
すっかりお馴染みとなったアルティナの部屋で、二人はいつものテーブルを挟んで、いつもの如く紅茶と菓子をつまむ。
「それで、今日は何か用があって?」
「はい! アルザスのお土産です!」
スフィアがテーブルに置いたのは、白い砂と色とりどりの貝殻が入った丸い小瓶。瓶の口には赤いリボンが飾ってあり、まるで浜辺を小さくして詰め込んだような愛らしい置物だ。
「あら、可愛い」
「お姉様は海が好きって聞きまして……でも、アルザスは港町ってわけでもなくてお土産になりそうなものがなかったので、こんな地味なものになってしまったんですが……」
出した勢いとうらはらに、申し訳なさそうに語尾も肩も小さくなっていくスフィア。いつもなら片時も外さない視線も、今はテーブルの隅に逸らされている。
アルティナは小瓶を手に取ると目の前に掲げ、興味深そうに瓶の中を覗き込んでいる。
「じゃあ、この置物はあなたが作ったの?」
「い、一応不器用なりと言いますか……その、真っ白な砂浜や貝がとても綺麗だなって私は思ったので、お姉様も喜ぶかなと思って作ってみたんですが……」
スフィアは自信なげに人差し指を突き合せた。
よく考えれば、宝石など貰い慣れている大公家令嬢に、このような物はあまりにも見窄らしかったのではなかろうか。
――はっ! もしかして馬鹿にしてると受け取られてるんじゃ!
反応が返ってこないアルティナに危機感を抱き、スフィアは勢いよく顔を上げた。
「あっ、あの! やっぱり無し――」
しかし、視線を上げた先でスフィアが見たのは予想外の光景。
「ふふっ、私の為にスフィアが……そう、こんな可愛い物を作ってくれたのね」
宝石を見るかの如くキラキラした瞳で小瓶を見つめるアルティナ。彼女の口元は柔らかな笑みを湛えており、スフィアは思わずポカンと口を開けてしまった。
「あ……あの、そんな物で……よろしかったので…………?」
「まあ、そんな物だなんて。あなたは、そんな物だなんていう適当な物を私にくれたのかしら?」
「いえ全く! お姉様の事を考えながら砂を一粒一粒敷き詰めました!」
「それはそれで中々の狂気ね……でも、とても嬉しいわ。ありがとう、スフィア」
そう言って向けられたアルティナの笑顔は、どんな宝石よりも美しかった。頬を上気させ、碧い目が細められた表情は、彼女が心から喜んでいることを知るに充分だった。
「えへへ、お、お姉様にそんなに喜んでもらえて私も嬉しいです」
思わずスフィアの頬も溶けたように緩む。
「アルザスって言ったかしら? 今度は私もその海に誘ってちょうだいね」
はい、とスフィアは満面の笑みを返した。
するとアルティナは「そういえば」と何か思い出したように視線を宙へと飛ばす。
「つい先日、グレイ様も同じようにお土産だと言って、綺麗な貝殻を持ってこられたわね」
「あ、はは、あーそうなんですね」
アルティナは壁際にある棚の上へと視線を移す。そこには、螺旋が美しい手のひら大の貝がゴロンと飾られていた。
ついで視線はスフィアへと戻される。
グレイという言葉にスフィアの顔からは喜色が消え、代わりに曖昧な笑みが貼り付いている。当然、それを見逃すアルティナではない。
「ふーん」
アルティナは、ことりと小瓶をテーブルに置くと、眉と目の間を広くしてスフィアを見つめた。
「なるほど。いつの間にか二人がそんな関係になっていただなんて……水くさいわね二人とも。そうならそうと一言くらい――」
「ち、違いますお姉様! 私とグレイ様はそのような関係ではありませんから!」
ここで勘違いされては困る、とスフィアはテーブルに身を乗り出して訴えた。テーブルに置かれていたカップがガチャンと騒がしく鳴き、その音でスフィアは我に返る。
すみません、と弱々しい声でスフィアはソファに腰を戻した。
「でも、本当にグレイ様とはそのような関係ではありませんから……」
グレイは攻略キャラであり、彼はアルティナの想い人になる可能性のある一人なのだ。もし、アルティナが既にグレイに好意を寄せていればこの勘違いは致命的だ。
「そ、そう……なのね。でも、そこまで懸命に否定しなくてもよろしくてよ」
「す、すみません」
部屋の空気がギクシャクとする。互いに次の話題にきっかけが掴めず、紅茶を飲んで間を保っていた。
――そういえば、アルティナお姉様は私とグレイ様が許嫁だって知ってるのかしら?
カップを傾けながら、アルティナを忍び見る。
彼女の先程の様子から、彼女は特にグレイを恋愛対象として見ていない事が分かった。
――ていうか、許嫁がいる時点で、アルティナお姉様とグレイ様が恋仲になる可能性って低くない?
それでも可能性はゼロではない。
特に彼とアルティナの接点は他の攻略対象よりも多い。それだけ好きになるタイミングが多いという事だ。
――でも、もう許嫁は解消されたんだし、そんな事気にする必要はないわね。
向こうから解消を言ってきたのだ。もうフラグは折れたと見て良いだろう。
◆
『許嫁を解消しよう』
顔を合せるや突然、前触れもなく告げられた彼の言葉に、スフィアは最初何の想いも湧かなかった。
おかげで出てきたのは淡泊な言葉。
『え……まあ、はい。元々私は認めてませんでしたし』
『そう、それなら良かった』
『あの、グレ――』
一体何があったのか尋ねようとしたスフィアの言葉は、唐突にグレイの胸に吸い込まれて消えた。
『スフィア、俺はスフィア=レイランドが好きなんじゃない……っ君だから好きだったんだ』
『え』
言葉を伝える間だけの、刹那の抱擁。
抱き締められたのだと気付いたときには、グレイはもうスフィアに背を向けて遠ざかっていた。
訓練場に並んでいた時とは別人かと思うほどに、様子が異なっていたグレイ。去りゆく背中は、引き留めることも憚られるほどにあっという間に小さくなった。
◆
抱擁から解放されたとき、一瞬だけ見せた彼の曖昧な笑み。悲しそうに目を眇めてはいたが、僅かな安堵が瞳に浮かんでいた。
あの日からずっと、彼の最後の笑みの意味を考えてしまっている。
彼の感情は、なぜ許嫁解消なのか、原因は、これからは――様々な事ばかりが浮かんでは分からないままに、最後はこれで良かったのだという結論に至る。
――そう、これで良かったんだから一体何を気にするっていうのよ、私。
それでもこうして彼の名を聞くと、意識が過去――許嫁解消を言い渡された時に飛ばされてしまう。
しかしそれも仕方なくはあるだろう。今回の事はあまりにも分からない事が多すぎるのだから。
――あー駄目。上手く頭が回んない。
なんだか頭もぼうっとしてきた。きっと考えすぎなのだろう。
「――ッスフィア!」
聞こえた声に、ハッと意識を『現在』に戻す。考えすぎて危うく今ここがどこだか忘れるところであった。
「大丈夫なの? あなたカップに口を付けたまま固まってしまったから……」
「あ、こ、紅茶が熱くて、冷ましながらちびちび飲んでたんですよ」
「熱くて? もうだいぶ冷めて――ってちょっと待ちなさいあなた!」
待つとはどういう意味だろうか。
「私はどこにも行きませんよ、お姉様」と、自分では言ったつもりだった。
しかし、何故か目の前のアルティナは見たこともないような切羽詰まった顔で、こちらに手を伸ばしてくる。
――だから、どこにも……ってあれ?
視界にいたアルティナが傾いた。
アルティナだけではない。テーブルも棚もドアも、全てがゆっくりと傾いていく。
「スフィア!?」
――ああこれ……お姉様じゃなくて私が倒れてるんだわ。
なにかが割れるような音がしたと思うが、耳を塞がれたように全ての音がくぐもって聞こえていてよく分からない。
――お姉様が倒れたんじゃないのなら……
「……よか……っ」
「スフィアッ!」
大丈夫の意味を込めて笑ったつもりだったが、上手く笑えていただろうか。




