14.それぞれの衝撃
すると、音もなく扉が開く。
「威勢の良いことだな」
「ジーク……隣の部屋にでもいたのかい?」
まあね、と開いた扉にもたれ、グレイが去った方を眺めるジークハルト。
「妹の兄としては、スフィアを血の要員として見ないところは褒めてやろう。ここぞとばかりに『ならばすぐにでも結婚だ!』とかほざいていたら、足の一本でも撃ってやるつもりだったが。……だがしかし、まあ、王位につくにはまだ甘いな」
手厳しいジークハルトが弟を褒めたことを自慢に思うも、甘いという言葉にグリーズの顔が曇る。
「……ねえ、ジーク。本当に玉座に座るつもりはない?」
「ないね」
「君が素直に玉座に座ってくれた方が、誰も不幸にならないんだけどな」
「不幸になるって決めつけるなよ」
ジークハルトは、ソファに放ったままにしていた銃に手を伸ばした。
「それに、アーサー王は馬車をわざと崖下に落として、ステイシア王女の死を偽装までしたんだぞ。連れて帰る途中で転落したと言い訳できるように、しっかりと自分も骨まで折って帰って。そこまでして歴史から完璧にレイドラグの血を絶やしたんだ。今更、どの面下げて生き残ってましたなんて言えるんだよ」
重い話を、さも今日の天気を語らうような気安さで口にする。窓から顔を出し、景色を愉しむように辺りを見回すジークハルトの姿は、傍らに立つ不安に満ちた様子のグリーズとは正反対だ。
「……じゃあジークは、スフィア嬢がもし……家督を継ぎたいって言ったらどうするんだい」
「当然、譲るさ」
「そんな簡単に……っ」
「家督なんて僕にとってはその程度でしかない。それでスフィアが愛する者と幸せになってくれるのなら、僕はそれが一番の幸せなんだよ」
家督がほしくて兄弟争いを繰り広げる者達もいる中で、ジークハルトの淡泊さはグリーズには理解できなかった。
嘘や格好で言っているわけでないのは、長年の付き合いから分かる。
今も慣れた手つきで銃をカチャカチャといじっている彼は、本当にその時になったらあっけなく家督を譲るのだろう。
「君といい、夫人といい……どうしてそこまでレイランドは強いんだい」
「強いってより、レイランドは愛に生きる一族だからな。始まりがそうやって始まったんだから、ここだけはきっと曲がらないんだろうさ」
「もし、ステイシア王女が本当に死んでいたら、こんな辛い思いはしなくて良かったのに……とか思った事はないの」
「王女がいなければ、そもそも今ここに僕はいないからね。それに、僕はご先祖様が好きなんだよ。愛のために国を捨てるってなかなか見上げた根性だろう」
からからと嬉しそうに笑うジークハルトに、グリーズは肩を竦めただけで返事した。
もしかすると、玉座より愛を重んじてきた一族だからこそ、アイゼルフォンは長い間王位に就けていたのかもしれない。
「ああそうだ、グリーズ」
すると、先程までのからりとした声から一変して、古城に似合う冷ややかな声でジークハルトがグリーズに目を向ける。
「勘違いしてもらっちゃ困るんだが、僕も両親もレイランド家にいる者全員が、スフィアの事を愛してる。スフィアが生まれたのだとてそれを目的とはしてない……裏の思惑がどうであれ……だがグリーズ、もしお前がスフィアをそんなふうに見るのなら、僕はいくらお前だろうと許さないからな」
ジークハルトの視線に、グリーズは銃口を突き付けられていると錯覚を覚えた。彼の銃は窓の外を向いているというのに。
きっと彼の『許さない』は、本当に『許されない』のだろう。
グリーズは両手を顔の横に上げ、謝罪に瞼を閉じた。
「気分を害させたね、ごめんよジーク。もちろん私だとて、スフィア嬢をそのような目で見たことはないさ。親友の可愛い妹だと思っているよ。ただ、話すのなら出来るだけ私情を抜いた事実だけを伝えたかったんだ。自分で答えを出せるように……」
ふっとジークハルトの瞳に温度が戻る。
「それなら良いが……お前の弟は答えを出せるのか? 怒って逃げて行くようじゃ望み薄だろう」
「大丈夫だよ。私の弟だし、だてに君に幼い頃から鍛えられてないからね。きっとちゃんと向き合って答えを出すさ。あの子も長い間、スフィア嬢への愛に生きてるからね」
「ふんっ、精々頑張れよアイゼルフォン」
「あーあ、これが臣下だなんて私達の代は気が重いなあ」
やだやだと首を横に振るグリーズであったが、口元は柔らかい弧を描いていた。
その様子を目端に映し、さて、とジークハルトは窓の外へと視線を移す。
「それじゃあそろそろ、僕も愛のために生きるとするか」
ガチン、と冷たい音が部屋に響いた。
鼻歌を歌うジークハルトと、瞼を重くするグリーズ。
「……ジーク、聞いてもいいかい」
「駄目だね」
「じゃあ勝手に言うけど、愛の為って言えば殺人も許されるわけじゃないからね?」
撃鉄が起こされた銃の先は、しっかりと訓練場を向いていた。先程から何をしているかと思えば、ちゃっかりと狙撃の準備を進めていたらしい。
「うるさいっ! 僕のスウィーティに手を出しやがって! あの公爵小僧、地獄のタップダンスを踊らせてやる!」
「あ、やせ我慢してたんだね!? 何が添え物だよ、しっかりとダメージ受けてるじゃないか!」
「踊り狂え!」
「やめてあげてジーク!」
◆
宴もたけなわに、訓練場にいた面々はそれぞれに話す事がなくなれば、一人また一人と城の中へと戻っていった。
そうして残ったのはスフィアとガルツ。
「ごめんなさいガルツ、嫌な思いをさせてしまいましたね」
「……いや」
ブリック達がいなくなった事により、雑談の気安い雰囲気はなくぎこちなさだけが二人を取り巻いていた。
「俺も……お前の話も聞かずに怒鳴って悪かった」
ガルツは後悔に顔を顰めた。
「お前が、そんな簡単に誰かのものになるはずなんてないって知ってたのに……」
スフィアは自分に話を聞いてくれと言っていたのに、その手を自分は振り払ってしまった。最初に傷つけられたのは自分だとしても、その後の勝手な勘違いで彼女を傷つけてしまったのは事実だ。
「お前を疑って……っ、本当にすまなかった」
「ええ、本当にそうですね」
「へ!?」
しおらしさから一転して、けろっと肯定に頷くスフィアにガルツは顰められていた顔も驚きに開く。
「これだけ一緒に過ごして、ブリックとガルツはずっと私の傍にいて、もう私のことなんて何でも分かっているかと思っていたんですけど」
人差し指を立て、お説教するかの様子に「えぇ……」とガルツはおののいていたが、「でも」とスフィアの声音が転調する。
「……信じてもらえなかったのは、少しだけ悲しかったです」
「悪ぃ、スフィア! お前が……っ、他の男のものになるって考えたら頭に血が上って……あんな事……しかもその結果はこれだし……」
スフィアの肩を掴み次第に沈んでいくガルツの頭は、とうとうスフィアの肩口に着地し、スフィアからは表情が見えなくなってしまった。
「情けねえ……っ」
ガルツは顔が上げられなかった。
同じ時を過ごしてきたというのに、彼氏である自分よりもブリックの方が彼女を信じていた。しかも威勢良くウェリスに決闘を申し込んだはいいが結果はこの通り。
もしスフィアがウェリスに負けていたのなら、と考えると自分が不甲斐なくて仕方ない。
「……悪い、スフィア」
「いえ許しません」
驚きにガバッとガルツの頭も上がる。焦ったように目を白黒させている。
「だからお詫びに今度、学食をおごってください」
「あ……あぁ……」
安堵にガルツは長い溜め息をついた。
「何でもおごってやるさ」
互いに微笑を交わし、ぎこちないながらも二人の空気が柔らかくなった次の瞬間――
パァンッ、とガルツ足元の石畳が弾け飛んだ。
「………………は?」
音は間断なく鳴り響き、ガルツの足元で右に左にと石畳が弾け飛ぶ。わたわたと足をバタつかせ、ガルツは原因不明の石畳破裂を回避しようとする。が、破裂はしつこいくらいにガルツの足元だけで繰り返される。
「は? は!? はあ!?!? ちょちょちょ、何か俺狙撃されてねえか!?」
「…………爆竹じゃないですかね」
「バクチクって何だ!」
スフィアは背後にそびえる古城を見上げた。
◆
兄の銃撃のおかげでガルツに対する溜飲もすっかりさがった。
足捌きが妙に様になっていたのには腹立ったが。やはり公爵家令息とやらは、それ相応の教育が施されているのだろう。
「さて、明日にはもうここを出ないといけないし、荷物でも纏めておこうかしら」
色々あったが、まあ全体的に良い合宿だったのではないか。
「カドーレとリシュリーの事も前よりもちょっとだけ知れたし……ふふ、お友達って良いものね」
自ずと廊下を進む足も軽くなる。
「スフィア」
すると、背後から自分を呼び止める声が聞こえた。足を止め振り返ると、そこにいたのはグレイである。
「どうかしました、グレイ様」
近寄ってくる彼の表情は、いつものへらへらしたものではなかった。神妙という言葉が似合う、影の落ちた表情。
スフィアは首を傾げ、もう一度用件を問おうとした。
しかしそれよりも先にグレイの口が開く。
「スフィア、許嫁を解消しよう」




