13.彼女の自由
「――と、この時に名が上がった傍系というのが、私達のアイゼルフォン家というわけだよ。一応は元の王家と同じ血も流れてはいるから、王家である事に間違いはないんだけどね。正統さで言えば、直系を引いているレイランド家の方に分があるって事さ」
グリーズの話を聞き終わったグレイの表情は、是とも非とも言えないような曖昧なものだった。
「この事をスフィアは……」
「知らないよ。レイランドのどこまでが知っているかは分からないけど、少なくともジークは知っている」
「なるほど、ジークハルト卿の今までの言動が腑に落ちましたよ」
王子相手だろうと構わぬ尊大な振る舞いに、何かにつけて『レイランド家の嫡男だから』と家を心に置いた高い責任感。そして、いち侯爵子息としては不必要なほどの優秀さ。
全ては、彼の身に流れる血の尊さに見合おうとしてきた結果だったのではと思えた。
「私がジークの言動をちっとも不愉快に思わないのは、彼がどれだけ裏で努力してきたか知っているからだよ。ただ正統な王家の血が流れているって理由だけで、不遜を許すほど私もお人好しではないしね」
兄に不遜という考えがあることに、グレイは少しばかり安心した。
「直系の血を守ると同時に、レイランド家にはいくつも誓約が設けられているんだ」
「誓約ですか?」
こくり、とグリーズが頷く。
「レイランド家は血の分散を防ぐために、代々子は一人しかもてないようになっている」
「え、それでは卿とスフィアは……!?」
グレイは驚きに目を瞠った。
一人しか持てないのに子が二人いるという事は、誓約を破ったという事なのか。それとも何か別の理由があるとでもいうのか。
「グレイはジークの父親――レイランド侯爵が入り婿だって知っていたかい?」
「いえ、初耳ですが……」
同年代ならまだしも、他家の両親の婚姻事情まで知りたいと思う者は、噂話を飯の種にしている者くらいしかいないだろう。
「しかし、それでしたら夫人がレイランド家の当主となっているのでは? 例は少ないですが女性も爵位を継げたはずですよ」
「爵位は、一旦夫人が継承して夫に移譲したと聞いている」
「移譲!? 祖父から孫への移譲は聞いた事もありますが、血を引かない婿への移譲は異例なのでは!?」
「異例だろうが何だろうが、血を守る為ならば認められているんだよ。元よりレイランド家の存在が異例なんだしね。ジークから聞いた話だけど、これは血の所在を分かりにくくさせる為らしいんだ。一般的に爵位は血筋の上を移動する。だからさっきのグレイみたいに、皆レイランド侯爵にレイランド直系の血が流れていると勘違いするんだ。すると夫人の安全性は増すってわけ。まあ、旧くからの知り合いには意味ないけれどね」
大変だよね、とグリーズは少しだけ眉を曇らせ、同情を目に浮かべた。
確かにそれは大変だとグレイも思った。しかし、貴族社会の通念をねじ曲げてまで血を隠す必要はあるのかと疑問にも思う。
元より数百年も前の出来事だ。誰も当時のことなど知る由もないし、王家の血筋に疑問すら持たないだろう。事実、自分もつい先程まで、アイゼルフォンの正統性など一度も疑ったことがなかったのだから。
「そこまでする必要はあるんですか? もうきっと誰も覚えてないでしょうに……それに夫人の安全性って、まるで夫人が狙われるみたいな言い方、おかしくはありませんか?」
「確かにね。皆が忘れてしまえば、レイランドもそこまでする必要はなくなるんだけどね」
妙に含みのある言い方だった。
「……人の口に戸は立てられぬとはよく言ったもので、いくら王命で戸を立てようが、必ず戸を壊す者ってのは現れるんだよ」
「それはつまり……」
グリーズは椅子にもたれていた上体を前傾させると、口の前に組んだ両手を置いて沈黙した。彼の目は物憂げに足元に落とされており、直前の台詞とも相まって、部屋の空気は古城に重厚さを模したような重苦しいものとなる。
窓の外からは子供達の楽しそうな声が微かに聞こえていた。部屋の空気にそぐわない無邪気な声は、幻聴と思ってしまうほどに今この場では不自然だった。
グリーズの口が躊躇うように開く。
「レイランドの血の事がどこからか漏れている」
「兄上っ!」
グレイが立ち上がった衝撃で、椅子がガタンと大きな音を立て部屋にうるさく響いた。
「す……すみません」
グレイは頭を押さえ、落ちるようにして再び椅子に腰を下ろす。
なぜ立ち上がってしまったのか、グレイ本人にも分からなかった。グリーズの言葉を聞いて漠然とした不安が全身を駆け巡ったのだ。
いつの間にか頭を押さえた手は髪をグシャグシャに握り込み、視線は右へ左へと落ち着いてくれない。
そんな様子のグレイを、グリーズは品定めでもするかのように静かな目で眺める。
「ねえ、グレイ。ジークとスフィア嬢の年が些か離れすぎているとは思わないかい? まあ全くのゼロではないけど、十も離れているのは珍しいよね」
「――っまさか!」
ここでやっと、グレイはレイランドがなぜ誓約を破ったのか理解した。
しかし、すぐに知らない方が良かったと後悔の念に駆られる。
血統というものは、いつの時代もどこの国でも必ず政争の原因となってきた。
ましてや、秘匿されていた正統なる血をひく貴族家があるとなれば、良く出来た三文芝居のような展開を望む者も大勢出てくるだろう。下心をもった輩も一緒に。
「なるほど……それで私とスフィアを……っ」
「一刻も早く現王家に正統なる血を戻す必要が出てきたんだ」
「そんな彼女の血だけを利用するかのように!」
耐えられないとばかりに、再びグレイは立ち上がった。その勢いに今度は椅子も倒れ、先程より騒がしい音を立てて沈黙する。肩で息をする姿が、どれだけ彼の感情を荒立てているのかを表わしていた。
グレイはやり場のない怒りを、目の前のグリーズを睨むことで表わす。
同じ色の瞳が見つめ合うものの、互いに向ける色は対照的だ。
「どうしてそう彼女を物のように扱うんです!? 彼女は自らの意思をもった人間だ! 人形じゃない!」
「グレイ、国を守る為には何かを犠牲にしなきゃならない時もあるんだよ。それにこれは彼女の為でもあるんだ」
「彼女の意思を無視して、何が彼女の為ですか! 良かったですよ、こんな話を彼女が知らなくて……っ」
話を聞かされた自分だとて感情の整理がつかないのだ。もし彼女が聞いたら、と思うと胸が苦しくて堪らなくなる。
「どうしてレイランド侯爵は父上から夫人をとったのです。そのまま夫人と父上が結婚していれば丸く収まっていたでしょうに……」
「言っておくけど、この許嫁は強制ではないんだよ。ただ、彼女が好きな人と結婚するには、彼女が家督を継いでレイランドでいる必要がある。そうなると、本来家督を継ぐはずだったジークは……」
血の分散を防ぐという誓約を考えると、グリーズの濁した言葉の先は決して明るいものではない。
「なるほど。彼女に許された道は私と結婚するか、好きな人と結ばれたいのなら兄を押しのけて家督を継ぐかしかないわけですか。……ッハハ、最低だ」
一体彼女が何をしたというのだ。誰がこれほど過酷な運命を彼女に背負わせた。
あれほど喜ばしかった許嫁という言葉が、今ではどうしようもなく醜く聞こえる。聞かなきゃ良かったと己を呪いたくなる。
「――兄上は、天秤の片方に乗せられて私が喜ぶとでも? ……っこれならば、まだノリで決めた口約束の許嫁の方がマシでしたよ! 彼女の意思を無視してまで私は彼女と結婚したくない! 私は彼女の、誰にも捕らえられない鳥のような自由さが好きなんです。こんな人身御供のようなこと……っ、私は決して認められませんからっ!」
グレイはこれ以上グリーズの言葉など聞きたくないといった様子で、走って部屋を出て行ってしまった。後ろ手に乱暴に閉められた扉を、その向こうでバタバタとした足音が遠ざかっていくのを聞きながら、グリーズは悲しそうに目を眇めて見つめていた。




