11.聞かない方が幸せだったとしても
「兄上、卿との会話は一体どういう事ですか」
いくら仲が良くとも、王族と貴族には絶対に超えられない一線が引かれている。しかし、ジークハルトの言いようは、誰がどう聞いてもグリーズを下に見た発言であった。
元より、不敬と言われても仕方ないほどの態度をとる男である。
しかし、公の場では相応の対応をとるし、両家の父親ヘイレンとローレイのような、おふざけレベルと思っていた。それが――
『君の方が相応しいと思っているんだ』
『腐敗したらすぐにでも奪ってやるから』
なんだ、この会話は。ありえない。
北方守護の侯爵家と言えど、次期国王がいち貴族に王位を譲る発言をするなど。議会が聞けば紛糾どころか、弾劾されてしまうほどの問題発言である。
それに対するジークハルトの返答も不穏そのものだ。
彼の家が担う役割を考えれば、その発言がどれだけ危ういか。
「お二人が特別に仲が良いというのは知っていましたよ。だけど、これはその延長線上で考えて良いことではありませんよね。卿は私達王家を馬鹿にしているんですか!?」
「馬鹿になんかしていないさ。ただ、上に見ていないだけだ」
「それが問題なんですよ!」
どうして、そうも平然として言えるのか。
上に見ていないという事が、どれだけアイゼルフォンを危機的状況に陥らせるか、まさか分かっていないはずでもないだろう。
レイランド家の跡取りほどの者が、王家をぞんざい扱っていると周囲に思われれば、それだけで王家を軽視する者も中には出てくるだろう。そうなれば国が揺るぎかねない。
声を荒げるグレイをなだめるように、グリーズは殊更に穏やかな声音で「グレイ」と、手招きして呼んだ。
グレイは少しだけジークハルトが去った方を見遣り、そして静かに扉を閉めた。
「グレイは、どうして父様がスフィア嬢を君の許嫁にしたと思う?」
進められた椅子に腰を下ろしながら、グレイは答える。
「そんなの、昔取り合った女性の面影を求めてとか、親友の子と結婚させた方が楽しいとかそんな理由でしょう」
だから、この許嫁関係は公にはされていないのだし。
「私が選ばれたのも、どうせ年が一番近かったとかでしょうし」
「不正解」
グレイは首を傾げた。
「確かに父様達はその場のノリで決めたように見えるけれど、しっかりとした理由があるんだよ。そして、それを外に悟らせない為の演技力も」
「演技力? ……っじゃあ、あの仲良しは全部演技なんですか!?」
それはそれで驚嘆ものだが。
「あははは、あれは本当に仲が良いだけだよ。演技ってのは、許嫁に深い意味はないと思わせる為のだよ。事実、近くで見ていたグレイもノリだって思っていただろう」
親が決めた許嫁の意味など、大抵はお互いの利益目当てだろう。はたしてそこを隠す必要はあるのか。
「グレイが選ばれた理由は年が近いって事もあるけど、何より確実に王位を継ぐからだよ」
グリーズとグレイの間には次男のグライドもいるが、王位継承権だけを見れば、グリーズの次はグレイになる。
グライドは、その仲の良さから今ではすっかり忘れられているが、ヘイレン国王が唯一置いた側妃の子である。側妃はグライドを生んですぐに亡くなった為、グレイ達の母親である正妃がグライドも含め分け隔てなく育てたのだ。
よってグリーズの次の王位継承権はグレイ、グライドの順番になっている。
「確実な王位であれば、私よりまずは兄上じゃないですか」
「私は子が持てないからね」
さらりと言われた言葉に、グレイは視線を落とした。
グリーズは幼少期の高熱の後遺症で、子が持てない身体になってしまった。グレイが分別のつく年になった頃、聞かされた話である。
『――だから、間違いなくお前が王位に就くから覚悟はしておけ』と。
それまでは、継承権はあるものの、きっとグリーズの子が王太子になるのだから関係ないと、楽観的に思っていた記憶がある。
そこでグレイは「ん?」と、自分がスフィアの許嫁に選ばれた本当の理由に気付いた。
「つまりは、彼女と結婚というよりは、彼女との子が必要という事ですか?」
孫が見たいからなのか。
いやしかし、そのように単純な理由でない気もするが。
「さて、ここで問題だよ」
分かりそうで分からない状況に、グレイが苛立たしそうに足を揺らし思案していれば、グリーズが唐突に謎かけを始めだした。
さすがのグレイも、兄の能天気さに腹を膨らまし大きな溜め息をつく。
「兄上、今はお遊びに付き合っている暇は――」
「グレイは西隣の国の名を知っているかい?」
グレイの言葉をまるで無視した質問に、グレイは不服そうに口をへの字にするも、大人しくその質問に回答する。
「……シースリード王国ですが」
それがなんだと言うのか。
「じゃあ、そこの国王の名は?」
「ドルジ=シースリード国王ですよ」
「北の国は?」
まだ続くのかとグレイは驚いたが、二人しかいないこの空間では相手の言葉に応えなければ話が進まない。グレイは心中で嘆息しながらも、グリーズの雑談に付き合うことにした。
このくらい、貴幼院一年で習うレベルだ。
「北はロッテンベル王国で、国王はフリードリヒ=ロッテンベルです」
「正解」
グリーズはにっこりと笑顔を向けてくるが、グレイの表情は反比例してだんだんと曇っていく。
「ついでに、南にあるフラウ国の国王は、ロー=フラウですよ」
このような遊び、早めに切り上げたくてグレイは先回りして答える。東は海なのでレイドラグ王国に隣接している国はこの三国だ。
一体こんな会話に何の意味があるのだろうか。
何か隠したいことでもあるとでも言うのか。いやしかし、ここまで話しておいてこの先は秘密などというのは通じない。
だったらなぜ。
「正解。それじゃあ最後の質問だよ……この国は?」
「兄上……」
グレイはとうとうこめかみを押さえた。
しかしグリーズは、それでも「答えてごらん」とグレイに回答を促す。
「――っ十分にご存知でしょうが! 我が国はレイドラグ王国で、国王は私達が良く知る父親であるヘイレン=アイゼ、ル……」
グレイは、なぜ兄がこのような事をしたか分かったような気がした。
自分の――この国の王家の姓はアイゼルフォンだ。レイドラグではない。
ハッとしてグレイは顔をあげた。
「我が国で王家の正統な血を引くのは、アイゼルフォンじゃない――」
その先の言葉は、聞くまでもなかった。
「――レイランドだ」




