10.密談
「全く、あの兄妹にかかれば恋敵すら憐れに思えてくるもんだ。帰って行くウェリス卿の背中は哀愁を誘ったよ……」
グレイは一人、古城の廊下を歩いていた。
目指す場所は、訓練場から見上げた部屋。自分の予想が正しければ、天敵である彼女の兄がいるはずだ。
訪ねる事に深い意味はない。ただ自分の予想が当たっているか確かめたい好奇心からだった。
「恐らくジークハルト卿はいると思うけど……そういえば、訓練場ではグリーズ兄上の姿も見えなかったな。一緒にいるのか?」
よく、あの妹絶対主義者とあんなに微笑ましく付き合えるものだと、自分の兄ながら感心してしまう。
グレイに対する態度が些か無礼なのは、まあ、旧知の仲であるし、年もジークハルトの方が上だからだと特別に気にした事はない。
しかし、彼の態度が兄に対しても全く変わらないのはどういうわけか。
仮にもグリーズは次期国王である王太子であり、いくら旧知の友人といえど領分を弁えて然るべきだと思うのだが。
「あのちびっ子達も卿の態度には驚いていたし、やっぱりこれが普通の反応だよな」
ここ数日のグレイに対する反逆罪並の仕打ちに、スフィアの学友達は皆ジークハルトにおののいていた。やばい、と。
しかし、最終的には『やっぱりスフィアのお兄さんだけはある』という結論で無理矢理自分達を納得させていた。それで納得出来るとは、ジークハルトもそうだがスフィアは一体学院でどのように認知されているのか。
「レイランド家の突然変異だな……うん」
あのふわふわ綿菓子のような両親のどこを掛け合わせれば、ああも、なみなみとした破壊衝動を持つ好戦的な子達が生まれるのか。
「人類の神秘だよ」
一人ブツブツと呟にながら歩いていれば、目的地はもうすぐそこまで迫っていた。
部屋の扉を前に、グレイはノックしようと手を掲げたとき、中から聞き慣れた声が聞こえてくる。
「なんだ、やっぱり兄上もここにいたか」
ジークハルトとグリーズのからからとした楽しそうな声が聞こえ、今入るのは憚られた。
「まあ、ここの部屋にいるのも分かったし、俺の予想は当たってたって事でいいのかな」
一々会話を邪魔してまで確認を要することではないだろう。
グレイは踵を返し扉に背を向けた。
《……私は未だに、君の方が玉座に相応しいと思っているんだ》
グレイは背後から聞こえてきた、兄の声に耳を疑った。
「は?」と出そうになった声を、無理矢理空気と共に喉の奥に流し入れた。
◆
一発の銃弾で剣を折るという神業を披露したジークハルトを横目に、グリーズは愉快そうに手を叩いた。
「いやぁ、いつ見てもジークの腕前は惚れ惚れするね」
「当然だろう。僕はレイランド家の嫡男なんだから」
「それは家の問題なのかなあ」
家督で銃撃の腕が上がるのなら、今頃レイランド家の門前は養子希望者が殺到しているだろう。
「とは言っても、今回はこれでも結構神経を使ったんだからな」
「おや、この距離はジークでもやはり難しかったかい?」
当然だと、とジークハルトは構えていた銃を、おざなりに近くのソファへ放った。
「なにせ僕の目の前でスウィーティを口説いたんだ……手まで握って。銃口があの鶏頭に向きそうになるのを、必死で押しとどめたよ」
「ああ、そっちかい。ははっ、君の妹姫に惚れるのも命懸けだ」
「そのくらいの覚悟は持ってもらわないとね。彼女の命は誰よりも重いんだからさ」
「…………」
普通の者ならば、重度の妹愛だなと冗談として聞き流す台詞を、グリーズは曖昧な表情で受け止めていた。
グリーズは、眼下の訓練場でワイワイとやっている子供達に目を向けた。
数年前、初めてスフィアと会った時も可愛い子だと思っていたが、ここまで美しく成長するとは思っていなかった。
隣で同じく窓の外に目を向けている彼女の兄も、学生時代は『孤高のバラ』との異名をとっていたが、バラすら霞ませる蠱惑的な美しさがある。
「……そういえば、君にしては珍しく口出ししなかったね。君の事だ、とっくにキャッチしているんだろう? 例のアントーニオ公爵令息との風の噂を」
アントーニオ家の令息とレイランド家の令嬢が付き合いだしたという噂は、社交界にも流れてはきていた。しかし、そよ風程度だ。
正式な交際ならば、各々の当主が公にするはずなのだから、それがないと言う事はそういう事だろうと、皆『しょせん、子供の恋愛ごっこだ』と気にした様子もない。
恐らく田舎者のウェリスは噂を知らなかっただけだろうが、噂を知っていても彼女にアプローチする男はこの先も尽きないだろう。
「てっきり私は、ジークがガルツ卿を海に投げ捨てるくらいはすると、踏んでいたのだけどね」
「今回の僕達は添え物だからね。わざわざ子供達の微笑ましい空気を壊すのは本望じゃないさ…………まあ、気に食わなくはある」
「上手く隠してたねえ。それに比べ、私の弟は随分とショックを受けていた様子だったけど」
「ハンッ、お前の愚弟はまだまだだな。あれじゃあ、スフィアは任せられない」
「君達兄妹に勝てる精神の持ち主は、この国にはいそうもないなあ。レイランド家だけは敵に回したくないね」
「安心しろ、僕達は王家の剣であり盾だ。それ以上を求めていない」
「今は」と最後に呟くようにして溢された言葉に、グリーズは瞼を閉じることで礼を述べた。
「にしても、驚いたよ。突然ジークが『アルザスに行くから着いてこい』とか言い出すんだもの。帰ったら中途半端にしたままの仕事を片付けなきゃだ」
「でも来て良かっただろ? この古城には前々から目を付けてたじゃないか。良くない輩達の根城になってるって陳情が来てたんだろ」
「まあ、それこそ数年前だけどね。調べようとしたところで、パタリと動きが消えたし、それ以降陳情も来なくなったから放っておいたんだけど。まさか、偶然にも来ることになるなんて」
「ブリュンヒルト家が買ってからは問題はなさそうだしな。少し肩透かしだったか」
「そんな事はないよ。ありがとう、ジーク」
「手ぶらで帰るのも癪だし、この古城の間取りでも頭に叩き込んでおくか」
「はは、ブリュンヒルト侯爵に怒られそうだ」
少しでも成果をもぎりとろうとする精神は、貪欲さとあくなき完璧主義から来るものだろう。ジークハルトという男は、全てを持っているにも関わらず貪欲なのだと、グリーズは理解していた。
「『全ての行動には意義と結果』を。それが北方守護を任されるレイランド家だからな」
「頼もしい限りだ」
「本当、私とは違って……」とグリーズは視線を足元に落とした。
「ねえ、ジーク。私は未だに、君の方が玉座に相応しいと思っているんだ」
「国が腐敗したらすぐにでも奪ってやるから、心配せずに全力で王位につけよ」
「ジーク――」
「何ですか、今の会話は……」
突然、グリーズとジークハルトの会話を遮る声が部屋に入ってきた。二人が目を向ければ、そこには顔を強張らせたグレイが佇んでいる。
「兄上、さすがに聞き捨てなりませんよ。いくら仲が良くとも、いち貴族であるジークハルト卿に玉座が相応しいなどとは……」
グレイの声は顔と同じく固く、グリーズに向けられた目は怒りすら滲ませている。対して、グリーズはどうしたものかと曖昧に眉を曇らせ、肩を竦めただけであった。
「グリーズ、グレイはまだ知らないのか」
「一応、王太子のみって条件があったからね。私が王位についてから話しても遅くはないと思っていたんだけどね……嫌な部分を聞かれちゃったな」
石造りの窓枠をコツンコツンと指先で叩くジークハルト。彼の視線はグリーズを見つめた後、グレイを捉える。
品定めをするようなジークハルトの視線に、グレイが気後れしたように半歩踵をさげれば、ジークハルトの口端が愉しそうに上がった。
「ちょうど良い、先に聞かせてやっても不都合はないだろう」
「いやでも……あまり負担は掛けたくないんだ」
「優しさと甘やかしは違うぞ、グリーズ。いつまでも子供扱いしてやるな、お前の弟だろう」
窓枠を叩いていた指を止めると、その手でジークハルトはグリーズの肩を叩いた。
「まあ、あとはアイゼルフォン家の問題だ。好きにすると良いさ。ともあれ、兄弟の話に邪魔な僕は立ち去ることにするよ」
逡巡を見せるグリーズに背を向け、グレイへと近付くジークハルト。
思わず息をのみ身構えるグレイ。
しかし珍しくグレイに何かする事もなく、ジークハルトはグレイの横をすり抜け部屋を出て行ってしまった。
最後に上からいやらしく笑わせた目をグレイに向けながら。




