9.やっぱり彼女が最強
「きゃあ! スフィアったら騎士スタイルもとっても似合うわ! 男装の麗人! あたしの旦那様になって!」
リシュリーの歓喜の声が、青い空に響いた。
「ふふ、私を夫にしたら大変ですよ」
「大変させて!」
推しのうちわにでも書いてありそうな台詞だ。
しっかりと準備をして迎えた決闘の日。
スフィア達は別荘の裏にある、訓練場にいた。さすが元城だっただけあって、普通の屋敷にはない設備があったりする。
スフィアはいつものドレス姿と違い、機動性を考慮して騎士の服を纏う。
飾り気のない簡素な白シャツと黒のパンツに編み上げのブーツ。腰には細身の剣を佩き、いつも下ろしている赤髪は、三つ編みして、くるりと後頭部で一纏めにされている。
男性的な格好と、スフィアの女性らしい甘やかな顔立ちのちぐはぐさが、妙に官能的な色気を醸し出していた。
「まったくリシュリーは……」と苦笑しながら手袋の紐を口で引っ張るスフィアの姿に、リシュリーは鼻を押さえ、フゴゴと豚のような呻きを漏らしていた。
「はぁ…………攫いたいくらいだわ」
「では、リシュリーも手袋を投げてきたらどうです? ……あの二人に」
カドーレが目の動きで、訓練場の中央に目を向けた。そこには、スフィアと同じような格好をしたガルツとウェリスが、向かい合って佇んでいた。
「では、勝った方が私と戦うということで、異存はありませんね。そして私に勝てば私を妻に、負ければこの先その権利を失うという事で」
スフィアの問い掛けに、二人とも無言で頷く。
了承を見届け、スフィア達は石造りの訓練場から離れ、周囲の取り巻く草地へと退く。
「なあ、スフィア。ジークハルト卿が見当たらないんだが……もしかして、この状況に耐えられず、失踪でもしたのかい? 兄上もいないようだし」
きょろきょろと顔を巡らせながら、グレイがスフィアに尋ねた。
「さあ、拗ねてお部屋にでも籠もられているんじゃないですか」
「はは、彼が拗ねるねぇ……想像も出来ないね」
「そうですか?」
一定期間構わなければ「スウィーティ成分が足りない!」とやって来ては、様々な場所に拉致される身としては、彼の拗ねなど珍しくもないのだが。
さすがに外では、拗ねた姿など見せないのだろう。
「あれ、という事は、俺の予想はハズレたのかな?」
ああ、代理戦争という予想のことか。
「てっきり俺は、ジークハルト卿がスフィアの代わりに、ウェリス卿の相手をするものだと思っていたが……」
「ふふ、ちゃんと私が剣を握りますよ」
そんな事しませんよ、とスフィアは肩を竦める。
すると、足元からふてくされた声が聞こえた。
「――にしても、スフィアも酷いよね。何も、ガルツの前で『妻になります』宣言しなくても。成人してたら絶対昨日はやけ酒してたよ、ガルツ」
目を半分にしたブリックが、手遊びに地面の草をむしりながら見上げていた。
「夜、大変だったんだからね。急に部屋に来たと思ったら、水飲みながら絡まれて……」
ブリックはグチグチと言いながら、ブチブチと適当に草を抜いてはそこら辺に放っている。
水で絡まれるとはどういう状況だろうか。絡めるのか。それは果たして、本当に水だったのかという疑惑が浮上する。
「では、ブリックは私が負けると思ってるんですか?」
「そりゃあ、相手には負けるとは思うけど……最終的には、勝負には勝つんでしょ。どんな方法を使うかは知らないけど……」
「ふふ、信じてくださって光栄ですわ」
「本当は信じちゃ駄目なんだけどね。相手に絶対何かするって事だし」
向けられたブリックの目には、『今度は何をするつもりなの?』と猜疑の色が宿っている。
「ここは戦場ですからね。そうそう仲間にも手の内はさらせませんよ」
ブリックは、「いけずぅ」と唇を尖らせ、むしった草をより遠くへ放り投げた。
「ま……君は大丈夫そうだし、それじゃあ僕は、メンタル弱めな親友を応援するとするよ」
◆
やはり五歳という年の差は大きかったのだろう。その差が純然たる実力差として現れていた。
「中々やるじゃないか」という、隣のグレイの感嘆を聞くに、恐らくガルツは強かったのだろう。
しかしそれは、同年代での中では、という範疇。
身体の大きさも膂力も上のウェリスに勝つには、彼の剣は僅かに届かなかった。
「いやぁ、ガルツ卿。少々見くびっていたことを詫びましょう。レイザールの友と剣を交わした日々を、思い出させていただきました」
訓練場の石畳に膝を付いて、悔しそうに項垂れているガルツの前に、ウェリスの手が差し出される。ガルツはその手を暫く見つめていたが、グッと何かを呑み込み素直に手を取っていた。
「レイザール学院に通う者達は、皆あなたくらいの技倆を……?」
「当然です」
健闘をたたえ合う実に清々しい光景にも見えるのだが、今はその空気に浸ってはいられない。
「――では、お相手願えますか? スフィア嬢」
ウェリスの手が、今度はスフィアに向けられる。
「手加減など、一切無用ですからね」
スフィアは訓練場に足を踏み入れた。
「スフィア嬢、やはり真剣でなければなりませんか?」
「あら、これは真剣勝負なのですから、真剣は当然ですわ。それにガルツとも真剣でしたでしょう?」
「それは、そうですが……では、わたくしだけは鞘に入れたままというのは――」
スフィアは抜き身の剣を、軽く足元で払う。
ピッ、という空を切る音がウェリスの言葉すらも切る。
「ウェリス様は、剣を向けてくる者を前にして、鞘のまま戦われるのですか? とても自信をお持ちのようですが、負けた際にそれを言い訳にされては困りますわ」
『負けた際』――まるで自分が勝つとばかりの言い様に、ウェリスの目尻が赤くなる。
「そこまで仰るのならば……わたくしも腹を括りましょう。出来るだけ傷つけないように気を付けはしますが、万が一の場合はご容赦を。わたくしも、未来の妻を傷つけたくはありませんから」
ウェリスが足を下げ、剣を構えた。スフィアも切っ先をウェリスの方へと向ける。
向かい合う二人を、周囲の者達は不安そうな目で見守っている。
始まりの声など掛けられない。
少しずつ、二人の間を緊張が包み込む。
互いを中心として、纏った気迫が同心円を描くように訓練場に広がる。そうして、互いの気迫の縁が接したその時、ウェリスが先に踏み出した。
一気に片を付ける気のようだ。
狙いはスフィアではなく、スフィアの剣。
ウェリスが、スフィアの真っ直ぐに向けられた剣を払い落とすように、己の剣を横に向けたとき、遠くで破裂音が鳴り響いた。
次の瞬間、ウェリスの剣は硬質的な音を立て、その刀身を半ばから失う。
「――――は?」
カラン、と音を立て刀身は石床に落ちた。
訳が分からず、ウェリスは半ばから折れた剣と、折れた刀身との間で視線を彷徨わせる。動揺に今この状況すらも忘れて、口から「え」やら「は」やらと意味のない言葉を漏らすウェリス。
その首筋に、ヒヤリと無機質な冷たさが触れた。
「駄目ですよ。戦場でよそ見をしては」
ウェリスの前には、剣を突き付けながらニコリ、と愛らしく笑うスフィアの姿があった。
「うふふ、私の勝ちですね」と、彼女は剣を鞘に収めると、意気揚々として訓練場を去ろうとする。
「――っお待ちください!? これは正々堂々とは言えません! 騎士道に反する! 何者かの邪魔が入ったに違いありません……でなけでば、急に刀身が折れるなど――」
「見苦しいですよ、ウェリス様」
振り返ったスフィアの眼光の冷ややかさに、ウェリスの言葉は喉の奥に引っ込む。
「言いましたよね、真剣勝負だと。であればここは戦場も同然。ウェリス様は、本当の戦場でも同じ事を仰るのですか。一人ずつ向かってこなかったからこの戦いは無効だと。刀身が折れるなんて思ってもいなかったから、やり直してくれなどと」
「し、しかしこれは決闘で――」
「あら、私がいつ決闘などと言いました?」
目を丸くしてケロッとして言ったスフィアに、彼女以外の全員が「え?」と、同じように目を丸くして唖然とした声を漏らす。
「私は最初から『戦い』としか言ってませんわ。ウェリス様とガルツがなさったのが、たとえ『決闘』でも、私には関係ありませんよ」
スフィアの言葉に、皆が一斉に昨日の記憶を思い返す。
そして、思い起こされた記憶に皆が「あー」と妙に納得した声を漏らす。
「いや、ずるっ」と、ブリックがボソリと呟くが、すぐにスフィアの「何か?」という笑みを受け、慌てて口を閉ざす。
「さあ、ウェリス様。私に負けたからには分かっておりますね?」
ウェリスは、何か言いたそうに口をハクハクさせるも、彼の実直な性格が、これ以上食い下がる事を良しとしなかった。
「……っく……完敗です。わたくしも、まだまだ未熟者です」
「ふふ、謙虚な方は好ましいですわ」
結果、ウェリスは潔く己の負けを認め、スフィアを妻にすることは不可能となった。
背中を丸めて、折れた剣を引きずるようにして屋敷へと帰っていく彼の哀愁に満ちた背中は、見ていた者に多大なる同情心を芽生えさせた。
喜ばしい結果に終わったはずなのに、その場にいた者達の間には、釈然としない空気が流れていた。
「いやまあ……スフィアが勝ってくれて良かったんだけどよ……こう、なんつーか、その……」
「分かるよガルツ。でも、深く突っ込んだら駄目だよ。アレは、そういうもんだよ」
「結局、いつも通り、あいつの掌の上で踊らされただけかよ……」
もし、自分が勝っていたとしても、結局はスフィアには負ける結果となっていたという事か。そして、結ばれる事は絶対に叶わない結果に……
ガルツは、口の中で「クソッ」と呟くと、無駄な考えを振り切るように、頭を強く振った。
「……それにしたって、剣が折れた原因は何だったんだ」
「折れる前に銃声みたいなの聞こえなかったかしら?」
「でも」と、カドーレが辺りを見回す。
「周囲にはそれらしき人影はありませんよ。当然、ここにいる誰も銃など持っていませんし。それに火薬の匂いもしません」
「確かに。あんな細い刀身を狙うんなら、ここら辺にいなきゃ無理だよね。まあ、それでも動いてる人の剣に当てるなんて相当なんだけどさ……」
「じゃあ、偶然ってことかしら?」
「いや、でもよ――」
ガルツ達が、訓練場に残された折れた刀身を眺め、原因究明にあーだろうこーだろうと議論を白熱させる中、スフィアとグレイは、外側からその様子を眺めていた。
「…………スフィア」
グレイの声は引きつっていた。
「なにか?」
対するスフィアの声は、朗らかそのもの。ホクホク顔で、これで肩の荷もおりたわ、と言わんばかりの表情。
「ジークハルト卿は――」
「知りません」
「まさか――」
「知りません」
「スナイ――」
「知りません」
グレイの言葉を「知らない」の一点張りで封殺していくスフィアを、グレイは横目に見下ろした。
騎士の格好をして、剣まで佩き、しっかりと戦う準備までしておいて、彼女は汗一つ流していない。当然だ。彼女は剣を振ってもいないし、一歩も動いていないのだから。
持っていた剣を、相手の首に当てたのみ。それで勝ってしまった。
果たして、この結果は偶然の産物なのだろうか。ただ単に、彼女を心配したどこかのシスコンが、勝手に銃撃しただけなのか。
「はぁ……それにしても、ウェリス様が素直に、鞘から剣を抜いてくださって安心しました。鞘付きですと、さすがに一発だけでは折れませんからね!」
「一発って……」
グレイは確信した。これは全て、最初から全て仕組まれていたことだと。
「君達兄妹は本当……恐ろしいもんだよ」
グレイは背後にそびえる古城を見上げ、大きく嘆息した。
自分は、彼に勝てる日が来るのだろうかと。
――――ウェリス=ハーバード子爵 改変完了
◆
何だ、この会話は……。
グレイがその会話を聞いたのは、本当にただの偶然だった。
何のことはない。自分の予想が正しいか確かめるために、ウェリスの刀身が折れた状況から射線を予想し、導き出された射場を確認しに行っただけなのだ。
何なんだ、これは……!?
『レイランドが王家よりも尊い』とは、どういう事なんだ――
1月上旬から更新再開します。
よろしくお願いいたします。




