7.妻になります
今、スフィアの視界に映る景色は、ありふれた貴族屋敷の調い。
そこには、古城のような古めかしい厳粛な空気などない。
薄暗く肌寒い――しかし、それが石造りの古城の醍醐味であると、ファンタジックな雰囲気を楽しんでいたスフィアとしては、いきなり現実に引き戻されたようで、多少の不満を覚える。
スフィア達は、ブリュンヒルト家の別荘から場所を移し、ウェリスの屋敷へと赴いていた。
「ありがとうございます、突然の招待でしたのに快諾いただきまして」
通りの良い声で、ハキハキとウェリスが挨拶を述べる。
伏せられた顔が正面を向けば、くっきりとした二重と濁りのない瞳が現れる。実直な印象を見る者に与える目が、スフィアを捉えていた。
自信に満ちたその黒い瞳は、ジークハルトでも、リシュリーでも、誰でもなく、スフィアにだけ向けられている。
ソファ席にいたスフィアの隣に、ガルツがわざわざ移動して来た。
皆、ウェリスの来訪の目的は薄々と気付いているのだろう。
「いえ、こちらこそお招きいただき光栄です」
年長者であるジークハルトが、代表して挨拶を返す。
そのジークハルトの立派に社交をしている姿を見て、スフィアは戦慄した。
――い、一ミリも私の話題に触れていないだなんて……っ!
常にどんな場であろうと、スフィアを絡めたシスコン話術を繰り広げてきた姿しか知らない彼女にとって、いち貴族として真っ当な会話をしているジークハルトの姿は、驚天動地の沙汰であった。
隣のブリックが「それ、どんな感情の顔なの」と呟いていた。
「それにしても、ウェリス卿は随分若くして爵位をお持ちなのですね」
「父が早くに亡くなりましてね。成人するまでは、伯爵様が後見についてくださっておりました」
ウェリスが言う伯爵というのは、ここアルザス地方を含むトラヴィス領の領主の事のようだ。話を聞けば、ハーバード家は代々領主家の補佐として、アルザスを治めているらしい。成人を迎え、正式に去年からアルザスを任されているという話だった。
「しかし、まさかあの丘の上の古城が、ブリュンヒルト侯爵の別荘だったとは……」
「ウェリス卿はご存じなかったのですか」
「ええ。確か、昔はまた別の方の別荘だったかと認識しております。わたくしが貴幼院生――それこそ、そちらの皆様くらいの頃ですので、もう、どなたのだったのかは覚えておりませんが。よく人が集まっていたのは覚えています……しかし突然、パタリと人気が消えましてね」
「三年くらい前だったかな」と、追想にウェリスをが視線を斜め上に向ける。
「その後にブリュンヒルト家が買ったんです。長閑な場所が欲しかったものですから」
「その言い方ですと……まさか、リシュリーがあの古城を欲しがったんですか」
リシュリーはさも当然だとばかりに、「そうよ」とケロッと言ってのけた。
子供が古城と言えど城を欲しがるとは。なんという世界だ。
きっと彼女達にかかれば、『自分の部屋が欲しい!』が『あのお城が欲しい!』に変換されるのだろう。
こちとら前世は、ただでさえ小さな列島のさらに狭い土地を分割して、『横がダメなら上があるじゃない』という斜め上の精神のもと、一軒分の土地に何十人とぎゅうぎゅうに詰め込んで生活するスタイルがまかり通る世界で生きていたというのに。
うず、とスフィアの中で悪戯心が頭をもたげる。
スフィアは、誰しもが一度は言ってみたいだろう台詞を、控え目に口にする。
「……兄様、私もお城が欲しいです」
「任せなさい! おい、グリーズ寄越せ」
「兄様っ!?」
一番欲しがっては駄目だろう、王宮は。
「あはは、相変わらずジークはシスコンの極致を行くねえ」
笑い事ではない。今まさに家の追い剥ぎに遭っているのだが。
「スフィアには、一番日当たりの良い部屋をあげるよ」
――それ、国王の部屋ぁぁぁぁ!
周囲の目があるゆえ、叫びたくなるのをキュッと口を結んで我慢する。
「……冗談ですからね、兄様」
「もちろんだよ、スフィア。分かっているさ」
彼の場合、冗談で済まさない怖さがある。
スフィアがじっとりと瞼を重くして疑いの目を向けるも、ジークハルトは「スフィアに見つめられて光栄だよ」と、歯が浮くような台詞でいなし、優雅に身を翻した。
まったく、嫌味にすらならないほど完璧な貴族である。
「さてさて、挨拶も済んだ事ですし……ウェリス卿のご用件をお聞きしてもよろしいでしょうか? あんなに熱烈にご招待いただいたのです。挨拶だけ……というわけではないのでしょう」
ジークハルトの瞳が、同じ色の貴宝を想起させる、冴え冴えとした冷たさに光った。
そう、ウェリスの招待文句は実に熱烈だった。
談話室から顔を覗かせたスフィアに気付いた途端、彼はツカツカと一直線にスフィアに近寄り、膝を折ったのだ。
『あなたの全てが知りたい。まずはわたくしを知っていただく為にも、我が屋敷へと招待させてください』と。
初対面から既に立派なフラグが立っていた。
問答無用か。本当、どこにでも攻略キャラいるな。休日くらい休ませてもらいたいものだ。
しかし、憂いの溜め息を流すスフィアよりも何よりも、彼女以外の方が反応は大きかった。
リシュリーは悲鳴を上げるし、ガルツは「またかよ」と顔を覆うし、ブリックはそのガルツの肩を「どんまいダーリン」と叩くし、カドーレは何か頷いているし、グレイは意味の分からない冷笑を浮かべるし、グリーズは「モッテモテなのは血だねえ」と呑気に笑うし、ジークハルトは使用人に狩り道具の有無を聞いていた。
悲喜交々。
この状況から脱出出来るものなら、今すぐに月の道でも渡ってやるのに、と思ったものだ。
「昨晩、家の者から海岸が騒がしいと聞きましてね。空だった別荘に突如人の気配があったのも気になりましたし、確かに浜辺の方の空が赤く見えていましたから。もしかすると、新たな所有者が何か良からぬ事でもしているのかと……この地を任された者の勤めとして、様子を見に行ったのですよ」
まさか、合宿の醍醐味があだになろうとは。
「そこで運命の女性に出逢えるとは、夢にも思っていませんでした。一人浜辺にしゃがみ込み、指先で砂を撫でる物憂げな姿は可憐で……背に流れる髪は火に照らされ、透き通るように輝き……まさか火の女神が、こっそりと戯れに地上へ降りてきたのかと思いましたよ」
ジークハルト顔負けの賛辞に、スフィアの顔も引きつる。
しかし本人をよそに、ブリックとカドーレ、グリーズ以外は「分かる」と深く頷いていた。分からないでほしい。
「つまり、ウェリス卿は私の妹が気に入ったと……」
「気に入ったなどと、滅相もない!」
ウェリスの返答に、お、とスフィアは気を持ち直しす。
――なぁんだ、ギリギリでフラグは立ってなかったみたいね!
構えていた気持ちが身体も硬くしていたのだろう。息をつくと一緒に、全身から力が抜けていく。
「わたくしは、彼女に恋を……してしまいました」
脱力そのままにソファから滑り落ちたスフィア。ソファの足元で項垂れる。
――ですよねええええ!
知っていた。そんなに甘いわけがないと。
胸を掴み、切なそうに眉根を寄せるウェリスの姿は、ヒロイン顔負けの色香を纏っている。効果音が可視化されたのならば、背後に『キュウ』という効果音を背負っていただろう。
「スフィア嬢!」
「――っは、はい!」
ウェリスに名前を呼ばれ、項垂れていたスフィアは反射で顔を上げる。
すると目の前にはウェリスの顔が。
「好きです」
「――っ!?」
至近距離から曇りなき眼で見つめられ、彼の直球さに、スフィアもつい気恥ずかしさを覚えてしまう。
「いえ、でも……一時の気の迷いということも……」
「いきなりこのような事を言いまして、さぞ困惑させたでしょう。しかし、一目惚れなどと言って、わたくしの気持ちを疑われたくはないのです。信じてもらうには、わたくしの事を知ってもらう以外に方法はありません」
「もしかして……私達をわざわざお屋敷にご招待くださったのは……」
「はい! 将来スフィア嬢が過ごす事になる家を先に見ておけば、あなたの不安も取り除けるかと思いまして」
剛速球のファール。
直球は直球だが狙う場所がおかしい。
しかもワンクッション飛ばして、既に未来を見据えている。『相手の合意』という、飛ばしてはならないワンクッションを飛ばして。
ウェリスがスフィアの手を握り絞め、ズイッと身体を寄せる。
痛い痛い痛い。四方から刺さる四つの視線が痛い。
「スフィア嬢。わたくしは気のない女性を無闇に家に招き、手を握るなどという事はいたしません。少しはこれで、わたくしの気持ちを信じていただけましたでしょうか」
さて、どうしたものか。
紳士的と言えば紳士的なのだが、残念ながらこちらには断るという選択肢しかない。では、「無理」とここで言って、素直に引き下がってくれるだろうか。
――それこそ無理ね。
自分が剛速球ファールを投げていることに、微塵の疑いすら持っていない者など、並の断り方では手に負えないだろう。
それに彼は、行動力が抜群過ぎるがゆえに順序が色々と抜けている、単なる実直な青年だ。その好意に卑しいところは一つもない。
「スフィア嬢、わたくしはいずれあなたを妻に迎えたく思っております」
――こういう、真面目な好意が一番手を焼くのよね。
スフィアは口の中で嘆息した。
――そういえば、彼ってゲームではどうやって出会うんだったかしら……。
頭の中で攻略キャラ辞典をパラパラと捲り、ウェリスのページを探す。そこで探し当てた情報に、スフィアは「あ!」と口端をつり上げた。
スフィアは、未だに正面で熱い視線を送り続けているウェリスを真っ直ぐに見つめ返し、口を開いた。
「良いですよ」と。




