5.『私のために争わないで!』とか……
昨夜更新できなかった分、今日は昼と夜に更新します。
すみませんでした。
屋敷に到着した日は、長旅の疲れもあるだろうということで、夕食をとると各自用意された客間ですぐに就寝となった。
もちろんジークハルトと王子二人も一緒の屋敷で寝泊まりするのだが、連絡を受けていたジークハルト以外に、いきなり美形二人まで現れたもので、一時屋敷のメイド達は気もそぞろといった感じでミスを連発していた。そりゃあ、子供ばかりと思っていたら、いきなり花も色褪せる美男達がゾロゾロとやってきたのだから、足元も視線も覚束なくなるのは理解できる。
また、幸運なことに王子二人の身分はバレなかった。
別荘地ということで、メイドや執事を地元の子女が担っていたおかげだろう。
一般的に、貴族でも王や王子の姿を拝めるのは上級貴族くらいである。
王宮にあがることが少ない下級貴族や、王都の民でもその姿を知らない者の方が多い。彼らですら式典で遠目にチラと垣間見られる程度なのを考えれば、遠く離れたアルザスの民が、王子の姿を知らないどころか、『グリーズ』『グレイ』という名前を聞いてもの、王子兄弟だと思い至らないのは当然だと言えた。
「……まあ、騒ぎが起きないに越したことはないものね」
良かった、とスフィアは安堵に息をついた。
騒ぎが起きて、厄介な事――攻略キャラが現れなかったためしがない。
この世界は、隙あらば『スフィア』に恋愛フラグを立てようとしてくるのだから、気が抜けたものではない。
まるで事ある毎に『ヒロインを全うしろ!』と、説教されているようだ。その度に「いい加減に諦めろ」と、天に向かって舌打ちをしているのだが、果たして届いているのだろうか。
「おや、どうしたんだいスフィア? パラソルの下で憂う君も趣があって素敵だけど、この開放的な海を前にしてする表情じゃないな」
寄せては引く海景色を、椅子に座ってぼうとして眺めていれば、突如視界を灰色が覆い、スフィアは肩を跳ねさせた。
「と、突然現れるのは止めてください、グレイ様! 心臓に悪いです!」
「え、俺にときめいたって? 光栄だなあ!」
「怒気めきはしますがね」
「怒気めくって何!?」
「なぜ、アルティナお姉様も連れてきて下さらなかったんですか!」
「そこ!? いや、君達は創立休でも、アルティナは普通に学院があるからね」
「…………暇王子」
「随分と荒んでるなあ……ま、彼女も海は好きだったはずだから、何か土産でも見繕ってやるといい。それで帰ったら土産を口実に会いに行ったら良いさ」
おどけつつも気を取り直すと、グレイは手に持っていたグラスを差し出した。
受け取ればはずみで、カラン、と褐色のグラスの中で涼しげな音を立て、氷が揺れる。
「まあ、とても美味しそうなアイスティー」
掌にしみる冷たさが心地良い紅茶の中には、オレンジやスグリ、ブルーベリーが気持ち良さそうに泳いでいる。
日が高くなり、ちょうど暑くなってきたと思っていたところだ。
「本当ね! それに、のっているミントが一段と爽やかで素敵だわ」
スフィアの声に、隣の椅子に座っていたリシュリーが身を起こして覗き込む。
「もちろん、リシュリー嬢にもありますよ」
「まあ、ありがとうございます!」
二人してアイスティーで喉を潤し、ぷはぁ、と満足げな声を漏らす。
スフィアのその満足そうな姿を見て、グレイも表情を綻ばせた。
その表情を、リシュリーが細い目の隙間からチラと盗み見る。
「ねえ」と、リシュリーがスフィアの腕をそっと引いた。どうしたのか、とスフィアが振り向けば、彼女は耳元に口を寄せ戸惑いの滲んだ小声で聞いてきた。
「もしかして、グレイ様ってガルツの事は……」
「知らないと思いますよ」
ガルツと付き合うことになったと報告した時一緒に、グレイとの関係性もリシュリーとカドーレには話してあった。
リシュリーはグレイに再び視線をやると、口端を引きつらせながら顔に憐憫を浮かべた。
「まあ……なるだけ幸せな時間は長いほうが良いものね……」
二人は顔を見合わせると、重々しく頷いた。
なにも、死刑宣告をこんなに綺麗な海景色の中でしなくても良いだろう。
「せっかくこんなに平穏なんですし、のんびりしたいですしね」
すると、スフィアとリシュリーの間に置かれていたサイドテーブルの上に、ドンッと重い音を立て、果物の盛り合わせが置かれた。
その元を辿っていけば、そこにあったのは目の下をひくつかせたガルツの顔。わあ。
「すみませんねえ、殿……グレイ様。俺の彼女のことまで気に掛けていただいて」
スフィアは天を仰いだ。
リシュリーはスフィアの肩を無言で叩いた。
グレイはズシャアと膝を折った。
さらば平穏よ。
この世界はもしかして、ヒロインに恋をさせようとするよりも、『全てにおいて波瀾万丈であれ!』という精神のもと作られているのではと思ってしまう。はて、乙女ゲームにハードモード設定などあっただろうか。
「あ、あはははは! こここの間の意趣返しかななななな、ガルルツ卿? ここのの程度ででで、わわ私がショックを受けるととでも?」
グレイは余裕の笑みを浮かべているつもりなのだろうが、口にした台詞のせいで、余裕のなさを露呈していた。顔には絶望が浮かび、唇を震わせた後、ガクリと項垂れる。
「ガルルツ卿って言ったわ」
「虚勢を張った子犬みたいな名前ですね」
「あら、的を射た名前じゃない」
「……ちょっとお前ら黙っててくんねえ?」
膝をついたグレイを前にして、ガルツは勝ち誇ったような顔を向けた。
「意趣返しだなんて、そんな、滅相もない! 俺の場合、彼女からきちんと了解をもらったお付き合いですよ。親が勝手に決めた恋人とかじゃありませんって」
アハハ、と今まで見たことのないような清浄な笑みをしていた。グレイの言うとおり、完全に視察の時の仕返しなのだろう。
「嫌味どころの騒ぎじゃないわね」
「完璧に再起不能になるように精神を刺してますよ」
余程、ガルツにも『私の許嫁』宣言は効いたと見える。
しかし、ガルツはグレイという男を見誤っていた。
グレイという男は、この程度で意気消沈恋心ポッキリしてしまうような、並メンタルの持ち主ではない。
彼は、スフィアから幾度となく断りの言葉を貰っても立ち上がってくる、フェニックス――いや、ゾンビ精神の持ち主。
さながら、死灰の中から立ち上がるように、グレイは一度折った膝を立ち上がらせる。
「いやあ、何とも初々しい。実に微笑ましいですね……子供の恋愛は」
「……はい?」
にこやか拍手するグレイ。
こめかみをピクリと揺らすガルツ。
葡萄をむしり、オレンジを頬張り、アイスティーで喉を潤し、ハラハラと観劇するスフィアとリシュリー。
「よくある事ですよ。幼い頃に盛り上がって将来を約束。ただ時が経つにつれ、各々がより自分に相応しい相手を知り、その約束はうやむやに……なんて話」
「俺とスフィアがソレだと」
ピリッ、と空気がひりつく。こんなに空は晴れ渡っているというのに、ここだけ雷雲が立ち籠めているようだ。葡萄をむしる手もすすむ。
「いえいえ、私はよくある話を述べたまで。それに、私にそのような話が届いていないということは、両家の合意というわけでもなさそうだ」
「それは……これから……というか、元許嫁だからって、グレイ様には関係ない話ですよね!」
「元ではないっ! というか、単純に羨ましいんだよ! 俺なんか、いつも袖にされて妨害されてスナイパーに狙われて……っ!」
突然、グレイが咆えた。我慢の限界だったようだ。
「ス、スナイパー?」
スナイパーと聞いて、スフィアとグレイの頭の中には同じ人物が描かれるが、きっとガルツの反応こそが普通なのだろう。
「ええい! お前にも同じ思いをさせてやる! ――ジークハルト卿ぉぉぉぉぉぉ!」
「ちょ、え!? それは卑怯――っ!」
立ち籠めていた雷雲は、ドタバタと駆けていった二人と一緒にさっぱり消えさった。
再び、安閑とした空気が流れる。
スフィアとリシュリーは、脱力したように、背もたれにダラリと体を預けた。
「……あれですかね。『私のために争わないで!』くらいは、言ったほうが良かったですかね」
「殿方の喧嘩にレディは口を挟むものじゃないわよ。ほっときましょ」
「ですね」
良かった。矛先がこちらではなくガルツに向いてくれて。
「にしても、何だかあたし達だけこんなに楽して申し訳ないわね」
眉を下げたリシュリーが、砂浜の中央に目を向けた。
そこではブリックやカドーレ、そしてグリーズが流木や木片などを、せっせと組み上げている。
「まさかキャンプファイヤーだなんて、そんなベタな事を、別荘に来てやるとは思わなかったわ」
「しかも、それを提案したのがカドーレとは……珍しいものですね」
カドーレと言えば、常に皆より一歩引いたところから全体を俯瞰しているような、達観した生徒という印象がある。全員の意見を聞き、最後に調整案を自分の意見に交えて言う、癖の強い面子が集まる生徒会の潤滑油のような存在でもあった。
縁の下の力持ち、黒子役、真面目――そんな印象があるからだろうか、彼が自ら何かをやりたいと率先して言ったことに、皆驚いた。
「……カドーレが、何かしたいだなんて言う姿を見たの……初めてかもね」
砂浜に集められた木々を手に、せっせと動くカドーレを、リシュリーの目は追っていた。
どうやら、グレイとガルツはジークハルトに言いつける前に、「働け」と説教を受けたようだ。二人して波打ち際で流木をさがしたり、後ろの森で木を採ってきていた。
「幼馴染みでしたよね、カドーレとは」
「そうね……生まれたときからずっとよ……ずっと…………私の後ろにはカドーレがいるの」
妙な言い方をするもんだと、スフィアを疑問符を浮かべた。
普通、こういった場合、『隣に』と言うものではないのか。
もしかすると、騎士団統括相と、その秘書という、二人の父親の関係性に由来するものなのかもしれないが。
リシュリーの目はカドーレを見ているようで、もう姿を映してはいなかった。
「いっつも何か言いたそうな顔して、結局口を噤んで、でも絶対にあたしの側からは離れない……あたしが言う無茶苦茶な事に、一度目は窘めてくるけど、二度目はうなずく。逆らわない。何考えてるか、あたしでも分かんない変な男……」
まるでうわ言のように、無感情に言葉を垂れ流すばかり。そこには、スフィアに話しているという意識もないのだろう。
「――っやだ、あたしったら……変に語っちゃったわ」
ハッ、と我に返ったリシュリーは、恥ずかしそうに舌を小さく出して、肩をすくめてみせた。その姿が、いつもの凜とした姿と比べ、妙に年相応に感じられ、スフィアも肩をすくめて笑みを返す。
「でしたら、やはり私達も手伝いに行きましょう。初めてのカドーレの頼みですもの、皆で叶えませんと」
「ふふ、そうね。ここにいても、もう食べる物もないしね」
いつの間にか、皿にこんもりと盛られていた果物は、きれいさっぱり空になっていた。




