2.そうだ、合宿、しよう。
開いて早々入ってきたのは、彼女よりも彼女の声の方が先だった。
「きゃああああああああ!」
今し方入り口で鞄を落とし、かまいたちの夜でも聞かないだろうド級の悲鳴をあげたのは、彼女――リシュリーである。血の気の失せた顔に両手を這わせ、カタカタと身体を震わせている。どうした。
「あぁあぁぁああたしのスフィアから離れなさいよぉぉぉッ!」
「……悲鳴あげるほどのことかよ」
同感である。
「一体俺を何だと思ってんだ」と、ガルツは言うが、恐らく彼女の表情からするに、怨霊の類いに見えているのだろう。スフィアの背後から顔を出すガルツはなるほど、背後霊に見えなくもない。
お焚き上げでもすれば、この腰に巻き付いている腕も離れるだろうか。
「リシュリー、スフィアはリシュリーのものではありませんよ」
「お黙り、カドーレ!」
一緒にやって来たカドーレはリシュリーの理不尽を聞き流し、粛々と床に落ちた鞄を拾いあげていた。実に手慣れた対応である。さすがは幼馴染みというところか。
「――で、スフィア。本当の本当にガルツと付き合ったってのは本当なの?」
三回も言った。
この件に関しては、学院に噂が出回った当初に説明した覚えがあるのだが。どうやら彼女の記憶からは抹消されているらしい。
「リシュリー、落ち着いてください。私がガルツと付き合ったのは、まあ本当ですよ」
スフィアは、懇切丁寧に再び同じ説明を繰り返す。
しかし、リシュリーはスフィアの肩を勢いよく掴むと、千切れんばかりに首を横に振り回した。
「そんな事ないわ!」
まさかの全否定。
「あぁ、可哀想にスフィア……きっとガルツに何か脅されたのね!? 分かるわ、公爵家だからって生意気よね」
「後半はただの悪口だろ。いや、つーか脅してねえよ、ふざけんな」
「ふざけんなが、ふざけんなだわ」
躊躇いもなくリシュリーの舌打ちが飛ぶ。百合のような令嬢の口から飛び出すものとしては、あまりに毒が効きすぎている。
「つーか、リシュリーが何と言おうが、スフィアは俺の彼女なんだよ!」
ぐっ、と腹を抱くガルツの手に力がこもる。それ以上は勘弁してほしい。ボロネーゼが。
すると、リシュリーの鞄をソファに運んでいたカドーレが、執務机周辺の様子を眺めポツリと漏らす。
「スフィアとガルツが付き合うことに、僕は異論などありませんが……」
一旦そこで言葉を切ると、カドーレは首を傾げた。
「ガルツはスフィアと付き合った割りには、どこか余裕がありませんね」
「なあ……っ!?」
「必死ですね」と、衝撃を受けているガルツに、更なる無意識の追撃をかけるカドーレ。
「あははははは! 知ってるガルツゥ? 必死って必ず死ぬって書くのよ!」
どうやら、リシュリーは容赦というものを知らないらしい。実にイキイキとした高笑いである。
すると、さすがにガルツを憐れに思ったのか、今まで口を挟まずにいたブリックが溜め息と共に、ガルツを擁護する。
「二人共、それ以上はやめてあげてよね。ガルツだって、花畑に浸りたいのに出来なくて焦ってるんだよ。なんせ、条件付きのお付き合いだからね」
「条件付き?」
怪訝に眉を潜ませたリシュリーが、語尾を上げて詳細をとブリックに目を向けた。
ガルツが「おい、ブリック!」と、言うなよとばかりの焦った声を出すが、ブリックは首を横に振る。
「公私混同するなら、それ相応の説明は必要でしょ。説明責任だよ、生徒会長」
「敵しかいねぇ!」
ガルツは己の不遇に、頭を抱え天を仰いだ。スフィアは、その肩をドンマイと叩いてやった。
「……彼女なら、少しは擁護しろよ……俺、お前の事で色々と身を粉にしてるんだが」
「はいはい、いつも助かってますよダーリン。ありがとうございます~」
スフィアは腕が離れたのを良いことに、ガルツの膝から飛び下り、再捕獲されないように執務机を挟んだ対面へと逃げる。
「はぁ、やっと解放されました」
腹部を撫で、ほっと息をつくスフィアの様子は、まさしく安堵そのもの。彼氏彼女の甘やかな空気など、どこにもない。
「……なあ、俺こいつの彼氏だよな?」
「だと思うよダーリン」
「とりあえず、この書類にサイン貰っても良いですか、ダーリン?」
「あひゃひゃひゃ! ざまぁだわダーリン!」
「敵しかいねぇぇぇぇ!」
恐らく、彼の安らぎの場所は、もはや学園内のどこにも存在しないのだろう。
「――それで、スフィア。ガルツとの条件ってのは?」
やはり、ブリックの言葉が気になるのだろう。
リシュリーはガルツへの当てつけなのか、スフィアの背にくっつくようにして、肩口から顔を出している。
「知りたいですか?」
「スフィアの事なら、一日の爪の伸びしろすら知りたくあるわ」
中々の狂気である。
しかし、こればかりは教えたところで彼女達にも意味は分からないだろう。事実、条件をのんだガルツも、意味が分からないまま頷いたのだから。それを傍らで聞いていたブリックも同じだ。
「詳しくは言えませんが、このお付き合いは、『ガルツが、とある方に認知されるまで』のものです」
「その、とある方ってのは?」
「内緒です」と、スフィアがウインクして口の前で人差し指を立てれば、なぜかリシュリーは至って真面目な顔で「好き」と告白する。
すると、ガルツとリシュリーの争いの気配をいち早く察知したブリックが、「あ~そういえば~」と、無理矢理な声を上げた。
「み、皆って、今度の創立休は何して過ごす予定なの?」
「ああ、そういえば来週だったな」
「あまり気にしていませんでしたね。まあ、僕はいつも通り家で過ごすつもりですが。読めていない本も随分と溜まっていますし」
貴幼院には創立休というものが存在する。
元の世界にも、学校によっては創立記念日というものがあったが、なんとこちらの創立休というものは、休日が一日ではなく丸々一週間用意されているのだ。素晴らしい。
休むことに寛容なのか、はたまた貴族故にゆるされた優雅な時間なのか。どちらにせよ、あって損はないので、有り難く享受する。
「そうですねぇ」と、スフィアは顎を指で撫でながら唸る。
この間までの夏休みで、やりたいことはある程度やってしまった感がある。恐らく、他の者達も同じ感じなのだろう。ガルツもブリックも腕を抱えている。
すると、背後で「そうだ!」と、実に嬉々とした声が上がった。
皆の視線が背後の声の主――リシュリーに注がれる。
「皆で海に行きましょうよ!」
話を聞けば、『アルザス』という南西の地に、ブリュンヒルト家の別荘があるらしい。
「元々あたしは行く予定だったから、メイド達もいるし。夏の残り香でも楽しみに行きましょ」
唐突な提案ではあったが、スフィアを含めガルツもブリックも「海かぁ」と、満更でもなさそうな声を漏らしている。
「でもリシュリー、あそこは――」
ただ一人、カドーレを除いては。しかし、何か言おうとしたカドーレの言葉を、いつもの「お黙り、カドーレ!」が遮れば、カドーレも口を噤んだ。
「じゃあ、生徒会の秋合宿ってことで、ね!」
その一言で、生徒会のアルザス合宿が決定した。




