1.なわけがない!
「あの、さすがにこれは……」
場所は生徒会室、生徒会長の執務机。そこにスフィアは居た。
「……ちょっと下ろしてくれません? ガルツ」
正確に言えば、スフィアは『ガルツの膝の上』に居た。
この男は自分を猫か何かと勘違いしているのか。もしくは寒さに耐えかねて人で暖をとっているか。
外に目を向ければ、中庭の木々は緑から色を変え始めたところだった。季節は、夏の熱気も和らぎ随分と過ごしやすくなる秋。
校内には半袖と長袖の生徒が半々といったことろか。スフィアは後者。そして、今スフィアを膝の上で抱き締めている男――ガルツは前者である。
「ガルツ……もしかして長袖の制服が買えず……」
「ふざけんな。春は着てただろ」
憐れみの目を向けたスフィアに、ガルツは下から見上げるようにして睨む。寒くないのであれば一体何だというのだ。
執務机を挟んで立つブリックに目で救助を要請する。
「公私混同ヨクナイ」
溜め息と共に、ブリックは冷めた目をガルツに向けた。
「うるせえブリック! 自分の彼女を抱いて何が悪いんだよ」
「わあ、TPOって言葉を全無視してるね」
「……TPOを考えて今なんだよ」
途端にげっそりとしたガルツの様子に、ブリックは「あぁ」と手を打った。
何か思い当たることでもあったようだ。
「毎日毎日、本当大変だよね、ガルツは」
「本当だよ……毎日何かしらに使われて、もう俺の安らげる場所は生徒会室しか残ってねえんだよ。ここでくらい、普通を味わわせてくれよ」
逃がさないとばかりに腹部に巻き付くガルツの腕に一層力が込められる。それ以上はやめてほしい。お昼に食べたボロネーゼがこんにちはする。
「まあまあ、ガルツったらお気の毒ですね」と、スフィアが他人事のようにコテンと首を傾げれば、間髪入れずにガルツの怒声が飛ぶ。
「お前のせいなんだよ!」
しかし、腰に巻き付いた腕はまだ離れない。こうなれば強行突破だと、スフィアがガルツの腕を外そうともがいていれば、ブリックが首を横に振った。
「スフィア、もう少しだけ付き合ってあげなよ。だって、ガルツがここまでやつれてるのって、スフィアのせいなんだから」
そう、ガルツの安らげる場所を根こそぎ奪った原因こそ、スフィアであった。
スフィアがガルツの女になることを了承した翌日には、それは全校生徒の知ることとなった。それから二人の幸せらぶらぶスクールライフが始まりました――というわけもなく。
ガルツは、全身に嫉妬を漲らせた男子生徒にノートやペンや命を狙われ、時には人参が鞄に入れられていたこともあった。人参嫌いなガルツに対して最高の嫌がらせだろう。センスを感じる。
その、今掘ってきました、とばかりに土も葉もついた人参は、スフィアが引き取り、ありがたく夕食の一品にさせてもらった。実に鮮度が高く美味しかった。是非とも、次回は生産者名も一緒に添付しておいてもらいたいものだ。
しかし、この程度の嫌がらせならば、ガルツにとっては大したストレスではない。
問題は、スフィアの行動にあった。
「毎日毎日、俺をダシにしやがって……」
変化はガルツにだけでなく、スフィアの方にも訪れた。
ガルツとのことが知れ渡った途端、スフィアに近付く男子が増えたのだ。『誰とも付き合うつもりはないって言ってたのに、やっぱ付き合ってんじゃん!』という思いかららしい。
彼らがダメ元で突撃してきているのは、雰囲気で分かる。
しかしそこで、「ごめんなさい」と、ほろ苦い綺麗な青春一ページで終わらせないのがスフィアである。
スフィアは、その男がガルツと比べていかに「足りていないか」を淡々と説き、ダメ押しに、見せつけるようにしてガルツに体を寄せる。
すると体格も家格も負けた男子達は、半べそかきながら駆け去って行くのだ。激苦である。やはり同年の男に明らかに負けるのは、心にクるものがあるのだろう。
その一部始終を見ていたブリックにも、「あれはキツイよ」と青い顔で言われた。
因みにこれをやると、突撃してきた男子だけでなく、ガルツにもダメージがいく。
普段は手すら繋がないというのに、こういう時だけ、あからさまな『彼氏役』に使われるのだ。近頃では、ダシに使っている間は、悟りを開いたような表情になっている。
「ふふ、雑魚の露払いにガルツは便利ですね」
「雑魚って……お前、いつか刺されるぞ」
「あら、そうしたらガルツが身を挺して守ってくれるんですよね? その為の彼氏ですものね?」
悪びれた様子なく言いのけたスフィアに、ガルツは真面目な顔をブリックに向ける。
「俺が刺されたら、原因はこいつだと後世に伝えてくれ。稀代の悪女の生け贄になったって墓に彫ってくれ」
「やだよ。そのあと僕がスフィアに狙われるじゃん」
顔の前で腕を交差させ首を振り、全身で拒否を露わにするブリック。
「俺なんか、見知らぬ第三者に狙われるんだぞ。まだスフィアに狙われたほうがマシじゃねーか!」
「物理的に刺されたほうがマシだよ。だってスフィアは、絶対精神を刺しにくるもん。身体は治るけど、スフィアの精神特攻は塵も残らないほどじゃん。身に覚え……あるよね?」
「…………」
「…………」
青い顔して口を噤んでしまった二人に、スフィアは無邪気に微笑んで見せる。
「ほほほ、しっかりと私の盾――じゃなかった、彼氏を勤め上げてくださいまし」
「もう、本当早まったかな俺ぇ……」
「ドンマイ、ガルツ。墓参りには行くよ」
肩を落とすガルツを、ブリックが至極優しい声音で慰めていた。ガルツは「泣きそ」と小声で呟いていた。
すると、生徒会室の扉が開く。




