36.伝わるもの
スフィアは『パウロ・ビジュテリエ』の応接室に通されていた。ソファの向かいでは、マルコーが膝の上で拳を握り、口を一文字にかたく引き結んでいた。
いつまで経っても開かないマルコーの口に、スフィアの方が先に痺れを切らし口を開く。
「先日お送りしましたループタイ飾り、お気に召していただけましたか」
ピクリ、とマルコーの肩が跳ねた。俯いていた顔がゆっくりと上げられ、正面のスフィアを捉える。
「……ゃ、て……」
「え、何です?」
「――っどうやって、これ程のものばかりを用意できたのですか!?」
マルコーは、テーブルの上に並べ置かれている数々の宝飾品を睨み据えた。その瞳には嫉妬と悔しさが見え隠れしている。
並べられているのは、全てスフィアがマルコーに贈った宝飾品。カフスに始まり、ラペルピンやウォッチチェーン、そして先日贈ったばかりのループタイ飾り。
「どれも素敵でしょう?」
「ええ……っ、ええ、とても素敵ですよ! だからこそ困るのです。もう私にはあなたにお返しできるようなものは残っていない! うちの細工師達も驚いていましたよ。どれもが高い技術とデザイン性を持ち、使用されているのは超高品質の宝石。王都一のうちでも、これ程のものは手に入らないし作れないと……一体、これらは――」
「グランエイカーのものですよ、全て」
マルコーは目を丸くして、確かめるように、唇だけで「グランエイカー」と呟く。
「ええ、以前あなたが安物と馬鹿にされた、あのグランエイカーの品々ですよ」
「そんな……っ、あんな、さびれたような店に……我がパウロのものが……」
信じられないとばかりに、マルコーは並んだ宝飾品をまじまじと見つめた。
「ものは値段ではなく、贈る人の心ではありませんか。それに贈り物に店が関係ありますか? どこで手に入れたものでも、幾らであろうと、相手の事を想って手にした物が一番素敵で、何よりも価値があると私は思うのですが」
穴が空きそうなほど、宝飾品を眺めているマルコーに、果たしてスフィアの声はどれだけ届いているのか。しかしスフィアも構わず、こちらをチラとも見ようとしないマルコーを無視して言葉を続ける。
「皆さん『どれが似合うかしら』、『あの人は喜んでくれるかしら』と、様々な想いを抱えてお店に来るのだと思います。自分の目で見て、感じて、選んで。たった一つの特別に出会うために、わざわざ足を運ぶのだと」
そこで漸くマルコーの顔がスフィアを向いた。彼の口は物言いたげに、開いては閉じてを繰り返し、そして彼は再びスフィアから視線をそらしてしまった。
スフィアには、彼が何を言おうとしたのか、言おうとして何を噤んだのか全て分かっていた。
スフィアは「マルコー様」と、一際優しく声を掛けた。その優しさにつられ、恐る恐るマルコーの逸らされた視線がスフィアを捉える。
「私は、マルコー様の特別ではなかったようですね」
「――っ!」
マルコーの頬にカッと朱がさした。彼の目は眦が裂けてしまいそうなほど見開かれ、唇は白くなるほどに噛まれている。
スフィアの言葉は『お前は、私の事を考えて選んでいないだろう』という、強烈な皮肉だった。
しかし、マルコーは何も言い返すことができない。スフィアの言ったことに、何一つ間違いはないのだから。
最初にどのような想いがあったにせよ、最終的には、スフィアから贈られてくるものより高いものを、との思いで選んだマルコーに、スフィアの言葉を否定する権利も、今ソファから腰を上げて去ろうとしているスフィアを引き留める権利もない。
「……ス、スフィア嬢……っ」
かろうじて絞り出した声で名を呼ぶも、ドアへと向かうスフィアの足は止まらない。
ただ、スフィアは肩越しにマルコーに視線だけを向けた。その目は笑みのように細められてはいたが、瞳に相応の輝きはない。
「何かを誇るのも結構ですが、他人を下げてでないと誇れないようなものでしたら、さっさと手放された方がよろしいかと思いますよ」
項垂れたマルコーから、再びスフィアの名が呟かれる事はなかった。
スフィアは応接室の扉を後ろ手に閉めると、ふぅと息をついた。
「自業自得の結果ね。それにしても、今までの贈り物を返せとか言われなくて良かったわ」
なんせ、貰ったものは手元にないのだから。一つ残らず。
「兄様ったら、本当良い値で売ってきてくれるから、助かっちゃったわ」
おかげで、スフィアの懐は全くの無傷である。
仕組みは簡単。マルコーからの贈り物をジークハルトが売り払い、そのお金で『グランエイカー』の宝飾品を買うという流れである。
一度人手に渡ったものが売れるのかと心配だったが、ジークハルト曰く、「一応は王都一なだけあるし、質も普通には良いから、パウロ・ビジュテリエという名だけでも買い手はつくよ」との事だった。
そうなのだ。マルコーの家の宝飾品の質が悪いわけではない。『グランエイカー』の質が破格に良すぎるだけなのだ。しかも、値段も本当に破格。
「売れないって言ってたから、これで少しは足しになってくれれば良いんだけれど」
あの品質にあの価格だ。ほぼほぼ材料分しか取っていないのだろう。本当はこんな一時しのぎのような手助けではなく、もっとエイカーを日向の世界に押し出したいのだが。
「あのお店もエイカーさんの代で最後だって言うし……どうにかならないかしら」
「それ、本当ですかっ!?」
突然の第三者の声。まさか独り言に反応が返ってくるとは思わず、スフィアは「ひゃあ!」と、驚きに跳び上がった。
「え!? え!? ど、どなたです?」
「ベネットです!」
知らんがな。
スフィアが顔を巡らせてみれば、応接室の壁にペッタリと、まるで聞き耳を立てているかのような――いや、実際に立てていたのだろう――ベネットと名乗る青年がくっついていた。忍の末裔かな。
青年は壁から耳を離すと、スフィアに飛び掛からんばかりの勢いで詰め寄る。そして、次に彼の口から出た言葉を聞いて、スフィアの表情は驚きから笑みに変わった。
やはり、心よりの想いは伝わるものだ。
◆
「エイカーさんの数々の素敵な宝飾品のおかげで、とても助かりました」
スフィアはマルコーの元を去った足で、そのままエイカーの店を訪ねていた。
「それにしても、エイカーさんはどうしてこれ程の高品質な宝石を、たくさんお持ちなんですか?」
売れないのなら、まず仕入れさえできないはずだ。しかし、並べてある宝飾品に使用されているのは、ジークハルトが感嘆するほどの高品質のものばかり。
「実は昔のご縁で、フラウ国からの行商の方が格安で卸してくださり、いかばかりか、わたくしの作ったものも買っていってくださるのですよ」
フラウ王国は、スフィア達の住むレイドラグ王国の南に位置し、宝石の一大産出国でもある。そのような縁があるのなら納得だが、それでもやはり、もう少し値はどうにかした方が良いと思う。安すぎである。
しかし、スフィアがそれとなく価格の事を窘めてみたが、エイカーは「食べる分があれば」と呑気に笑っていた。どこまで人が良いのか。
「ま、そう言っていられるのも、今のうちですけどね」
「え、どういうことでしょうか?」
謎めいたスフィアの言葉にエイカーがたじろいた次の瞬間、スフィアはドアの外に向かって声を掛けた。店のドアが、様子を窺うようにゆっくりと開く。
「っお、お目に掛かれて光栄です! ベ、ベネットと言います。あの、どうか僕を弟子にしていただけませんか!」
顔を赤くしたベネットが、空を切る音をさせながら勢いよく腰を折った。頭を下げたままぷるぷると肩を震わせる様は、まるで結婚の申し出のようだ。
「彼、エイカーさんのお弟子さんになりたいらしいんです」
鳩が豆鉄砲をくらった顔とは、今のエイカーの顔を言うのだろう。エイカーはポカンと口を開けて、ベネットを凝視している。
「あのっ、エイカーさんの宝飾品、見ました! どれもすごく丁寧なお仕事で、僕が勤めていた工房でもあそこまで美しく、宝石の魅力を最大限に引き出せる人はいませんでした。どうかお願いします! 僕、世界一の細工師になりたいんです! エイカーさんの元で学ばせていただけませんか!?」
熱意が口を動かしているのだろう。ベネットは饒舌にエイカーの宝飾品の良さを、とめどなく語った。スフィアには細工の事は分からなくとも、どれだけベネットが、エイカーの細工技術に惚れ込んでいるのかは良く理解できた。
「ふふ、良かったですね、エイカーさん。お弟子さんができるのなら、お店を畳むなんて言ってられませんね。それに、ベネットさんの面倒を見るとなると、やはりもう少し値も考えた方が良いんじゃないですか?」
「こんな素晴らしい宝飾品を作る店を畳むなんてダメですよ!? お願いします、僕を弟子にしてください!」
エイカーは呆け顔で、スフィアとベネットの顔を交互に見遣ると、目尻に深い皺を寄せて吹き出すように笑った。
「――っそうですね……わたくし一人でないとなると、少々……値を見直さなければなりませんね……っ」
そう言って、スフィア達に背を向けたエイカーの声は震えており、時折、ぐすっと鼻をすする音も聞こえた。
スフィアとベネットは嬉しそうに頷き合った。




