34.鼻を折るのは得意よ
「おい、ベネット! 今度のはどうだ!?」
ドタドタと荒々しい足音を立て、マルコーは『パウロ・ビジュテリエ』の工房へ駆けこんだ。店の宝飾品は全てこの細工師達によって作られており、特にここの工房には腕利きの職人が集まっている。
その中の一人――腕利きの細工師達の中でも、特に審美眼に優れていると評される細工師ベネットに、マルコーは手にしていた宝飾品を渡した。
ベネットは頭の上にあげていたルーペを下ろし、受け取った宝飾品をあらゆる角度から鑑定する。一通り見終わると、ベネットは溜め息をついた。
それは、「つまらない」と吐き出されたものではなく、「惚れ惚れする」とばかりの感嘆に似た溜め息。ベネットは「すごい」とポツリとこぼした。
「今回のも抜群です。カッティング角度、継ぎ目ない金細工、光を一番取り込めるようにと計算しつくされた台座……どれをとっても一流です。一体どこの工房のものでしょうか。これと同じものをうちで取り扱うのなら、七千ゴールドはつけて良い品かと」
「クソッ、またか!!」
マルコーは頭を抱え、身体を大きく仰け反らせた。
「あ、あのそれで、マルコー様。贈り主のご令嬢様に、これらの品はどこのものか聞いて下さったで――」
聞きたくないとでも言うように、マルコーは仰け反らせた反動のままに、ベネットの作業台へと両の拳を落とした。ダンッと爆ぜるような大きな音に、工房にいた者達全員の肩が揺れる。
「……おい、俺が前回彼女に贈ったものはいくらだ」
マルコーはベネットの質問には答えず、ギロリと鋭い視線を向けると、地を這うような声を出した。
「ぜ、前回ですと、ブレスレットで、ろ、六千ゴールドのものだったかと……」
再び、マルコーの拳が作業台に振り下ろされた。
「そうだ! 毎度毎度、贈った物より高い品が礼にと送られてくる……っ! これでは、俺はただの恥さらしだ! 宝飾店を営んでいる家の息子が、己の畑で負けるなどと……っ!」
続きの「屈辱でしかない」という言葉を、マルコーは唇を噛んで発するのを耐えた。
初めてスフィアから贈り物が届いたのは、出会った記念にと贈ったブローチのお礼にだった。
贈られてきた品はカフス。
その時は、「きっと、自分に似合うものを選んで贈ってくれたのだろう。やはり彼女もまんざらではないのだな」と、スフィアからの返礼を好意的にしか受け取っていなかった。
そして、いくらお礼の品と言えど、男が女から贈り物を送られたままでいて良いはずがなかった。
マルコーは贈られてきた物より高価なものを返すのが紳士だろう、という価値観の元、カフスを細工師に鑑定してもらい、その倍の値の宝飾品を改めてスフィアに贈った。
カフスの値が、最初に贈ったブローチより些か上だったことは、この時は全く気にしていなかった。贈ったブローチは、スフィアが負担に思わない程度の値のものを選んでいたからだ。ちょっと良いカフスを、と思えば簡単にブローチの値は超えるだろう。
それよりも、マルコーはスフィアからの返礼があったことに有頂天になっていた。
これは『脈ありだ』と。
しかし、その贈り物のやり取りが二度、三度と続くうちに、マルコーは違和感を覚えるようになった。
スフィアから贈られてくる品が、ことごとく贈ったものより高価だったのだ。しかも回を重ねるごとに、贈った物と贈られてきた物の価格の差は、どんどんと開いていった。
「一体、どういう事なんだ!? 俺は自分家の宝飾品を贈っているから懐はいたまないが、彼女は違うだろ!」
これだけ贈り物を、しかも贈られた物より高価な物を贈るとなれば、すぐに懐は寒くなるはずだ。いくらレイランドが侯爵家だと言っても、短期間に子供がこれだけ宝飾品につぎ込んで良いはずがない。
ましてや王都一と名高い『パウロ・ビジュテリエ』の品が、どこのブランドかも分からないものに負け続けて良いはずもなかった。
「ベネット、今うちで一番値が張るものはなんだ」
底冷えするようなマルコーの声に、ベネットは急いで席を立ち、デザイン画や台帳などが収められている本棚へと走った。ペラペラと台帳を捲った先で、彼は「あ」と手を止める。
「えっと、今度発売される新作、ピンクダイヤのチョーカーです」
「いくらだ」
「二万三千ゴールドです」
「二万! それは良い! さすがにこれ以上のものは、他の店を探してもそうそう無いだろうさ!」
マルコーの表情が一転して輝かしいものになる。しかし反対に、ベネットの表情はかんばしくない。
「それがその……こちらのチョーカー、ウェスターリ大公家のご令嬢様から、既にご予約いただいておりまして……」
申し訳なさそうに、尻すぼみしていくベネットの声。
「それがどうした。べつにチョーカーは一つだけじゃないんだろう? 他の店舗にも卸すのだし」
「た、確かに、新作のピンクダイヤのチョーカーは一つではありません。ですが、二万超えのものは一点だけなのです。その品質のピンクダイヤは一つだけでして、店舗に置くチョーカーはどれも、ダイヤの質がワンランク下がったものを使用しております」
喜びに持ち上がっていたマルコーの頬がヒクリ、と硬直する。
「……どれほどに」
「店舗のものは…………一万ほど、です」
「それでは意味がないっ!」
三度目の殴打音。そろそろ作業台も木っ端微塵になりそうである。
マルコーは前髪を握り潰し、獣のような唸りを上げているが、この場にいる誰にも解決しようのないことであり、皆一様に口を噤むしかなかった。
「分かった……少し、父上と相談する」
「あ、あのマルコー様、それでこの宝飾品をつくられた工房はどちらか――」
「っうるさい!」
マルコーは、来た時と同じようにバタバタと騒がしくして工房から去って行った。
◆
スフィアの机の上には、最初にマルコーから貰ったものとはまた違う贈り物が転がっていた。
大粒のピンクダイヤが輝き、メレダイヤでレースを象ったチョーカー。
「いきなりランクが上がったわね」
爆上がりである。ジークハルトのような審美眼を持たないスフィアの目にも、これは高い、というのがヒシヒシと伝わってくる。
すると、顔の横からヌッと伸びてきた手が、机のチョーカーを奪っていった。
「おや、今回は随分と気合いが入っているねえ。よほどマルコーはスウィーティが欲しいと見える」
「……兄様」
ジークハルトであった。彼は顔の前にチョーカーを掲げると、まじまじと、それこそ鑑定士のような目付きで眺めた。
「確かに、このダイヤは素晴らしいね。この間までの物と比べても質が全く違う」
マルコーからの贈り物だというのに、珍しくジークハルトはその出来を褒めた。しかし、ジークハルトは「だが」と言葉を続ける。
「スウィーティには似合わないデザインだ。これが最後の灯火だろうね」
興味をなくしたのか、ジークハルトはチョーカーをスフィアの手に戻すと、もう見向きもしなかった。
スフィアにはジークハルトの言った意味がよく分かった。
いつもマルコーから贈られてきていたものと言えば、ブローチやブレスレット、帽子飾りなどの、いわゆる、場所を選ばず使いやすいもの。また、そのどれもがスフィアに似合うようにと、気を利かせたデザインや色のものばかりであった。
しかし、今回だけは違う。
まるで、スフィアのことを考えて選んだというより、一番高いものだからと選んだだけのような。
――こんなデザインは、私よりアルティナお姉様の方が似合うんだけど。
ぜひともこの献上品を持って会いに行きたい。彼女に会えるのなら、家中の宝飾品をのし付きで包んで、なんなら袖の下から黄金色のクッキーも出そう。
だが、それは出来ない。
「もったいないですが、仕方ありませんものね。兄様、今回もお願いしますね」
スフィアは、チョーカーをジークハルトに渡した。
「おや、欲しいのなら貰っておけばいいよ。今回の分は僕が出してあげるから」
「いいえ。今回は徹底的に、ですから。それに、このような邪な贈り物など、手元に残しておきたくありませんし」
「まあ、確かにね」とジークハルトは渋るように笑った。
「相手の事を想わない贈り物なんか、ただのエゴの塊だ」
ジークハルトは受け取ったチョーカーを、挨拶のようにして軽く上げると、部屋から出て行った。
「さあ、兄様が仕事してくださったら、また王都へ行かなきゃだわ。私も忙しいわねぇ」
しかし、この手間暇掛けた忙しさのおかげで、マルコーを徹底的に潰すことができる。
「それにしても、若い頃はこんな自己中野郎だったなんてね」
実は、『マルコー=パウロ』は攻略キャラであった。
しかしその性格は、ゲームストーリーの時のものと真逆である。
ゲームの中のマルコーは、継いだ宝飾店の代表として励んでいた。流行りのドレスに似合うデザインはどれかと日々試作品を作り、店に置く宝飾品も、誰でもが手にしやすいようにと高い品一辺倒ではなかった。彼は、贈られた者が笑顔になるようなものを、との信念のもと、宝飾店を盛り立てる勤勉真面目な青年だった。
ところがどっこい。
スフィアが出会ったマルコーは、さびれた店を見下し、高価な物こそ良い物と、宝石の真価も分からない典型的金持ち商の二代目というような有様であった。
そこには、贈られた者が笑顔になるようなものを、との信念は欠片も見られない。
――ゲームじゃ、きっとスフィアと出会う前に、誰かにその事に気付かされたんでしょうけど。
「今回は、私が気付かせてあげるわ」
彼は、攻略キャラとしてではなく、人としての性格矯正を施してやろう。お代は、その高くなり過ぎた鼻である。




