33.レイランドの兄妹
スフィアは、机の上に転がしたブローチを無表情で指で弾いていた。
爪先が、スフィアの髪の色と同じ色した宝石に当たる度に、カツン、カツンと硬質的な音が奏でられる。その音はどこか軽く、こうして弾くだけで傷ついてしまいそうなほど軟弱なものに思えた。
ブローチはマルコーが出逢えた記念に、と別れ際、スフィアに贈ったものである。正直、下心が凝り固まってできた呪いの石にしか見えない。
――『マルコー=パウロ』……ね。
すると、ドアがノックされる。
ノックの主は分かっていた。スフィアは入り口を見ることもせず、どうぞと促す。案の定、入ってきたのはジークハルトであり、彼は入ってきた足でそのまま。ソファに腰を下ろした。
二人はしばし言葉を発しなかった。会話の代わりに、カツン、カツンと一定のリズムで刻む音が間を埋める。
ややあって、ジークハルトが口を開いた。
「……貴族という身分は、誰かを見下すために与えられたものではないと思っているんだよ。僕は」
スフィアに話していると言うより、宙に向かって心の内を吐き出しているかのような語り方だった。
「困るなあ……貴族全てが『ああ』だと思われるのは……」
「ふふ、本当ですね」
大げさな溜め息をつくジークハルトに、スフィアは目を細め微笑した。ブローチを弾く指はそのままに。
その音を発している物にジークハルトの目が向けば、彼も同じく目を細める。
「……随分とあの坊やに気に入られたようだね」
「ええ。大変光栄なことに、このような贈り物までいただいてしまって」
光栄だと言っているわりには、その贈り物を弾く指はまだ止まらない。本当に光栄と思っているのか怪しいものであるが、ジークハルトもそのスフィアの行為を咎めることはせず、クツクツと喉を鳴らすばかりである。
「それはそれは、しっかりとお返しをしないといけないよ、スフィア」
「そうですね、いただいたらお返しをしませんとね」
最後に一際大きな音を立てて、ようやく硬質的な音はやんだ。
それを合図に、ジークハルトはソファから腰を上げた。
「スフィア……徹底的に、ね」
部屋を出る間際で呟かれた言葉は、しっかりとスフィアの耳まで届いた。
実に心強い後ろ盾を得たものだ。だが、これはマルコーにとっては最悪の展開だろう。
マルコーは三つの失態を犯した。
一つ、貴族という事に高い矜持を持ったジークハルトの前で、彼の最も嫌う『貴族としての品格を欠く行い』をしたこと。
一つ、世紀のシスコンの前でスフィアを口説いたこと。そして――
「虫の居所が悪い私に手を出したことよ」
元より、手加減などするつもりもない。
◆◆◆
「なに、レイランド侯爵家のご令嬢だと!? でかしたぞ、マルコー!」
パウロ子爵は、飛び上がらんばかりに歓喜の声をあげ、マルコーの背をバンバンと叩いた。
「でしょう。大通りを歩く者達の中に、あの赤髪を見つけた時は驚きましたよ。急いで追いかければ、路地裏のしみったれた宝飾店に入っていくもんですから、これはチャンスだと思いましてね」
「なるほど、宝飾品を探していたのか。であれば、うちの店の品が、そんな路地裏の店に負けるわけがないからな。当然、繋がりはつけたんだろうな?」
「もちろんですとも。沢山うちの品を見ていただき、最後には贈り物もしましたよ。ずっと嬉しそうに笑っていましたから、気に入ってくれたのでしょう」
パウロ子爵は、「ヨシ! ヨシ!」と、喜びにマルコーの背を再び叩いた。マルコーも、いててと言いながらも、その顔は自分の行いに満足したかのようにニヤついている。
「レイランドと繋がることができれば、うちの箔もあがる! やはりいくら商売で大きくなろうと爵位はどうにもならんし、商売人だと侮る貴族も多いからな」
「大丈夫ですよ、父上。彼女は、絶対に落としてみせますから」
「レイランドの娘を迎えたとなれば、私達も一気に上流社交界の仲間入りだ。マルコー、どれだけ店の品を使っても構わん。絶対に逃がすなよ」
マルコーが「はい」と頷けば、二人は顔を見合わせ、近しい未来の明るい皮算用に下卑た笑いをあげた。
しかし、その笑いも長くは続かなかった。




