32.とある宝飾店で
いつもより、ちょっとだけ長めです。
艶めく赤髪はまとめてサイドに流し、銀のリボン飾りがついたツバ広の帽子をかぶる。トレードマークの青いドレスは今日はお休み。代わりに淡い紫の肩口が広くあいたシンプルなドレス。袖口と裾から覗くオーガンジーのレースが涼しげな印象を与え、夏という季節によく合っている。
いつもより少しおめかししたスフィアが、向かった先は王都。
今日は先日の約束通り、ジークハルトと共に、スフィアの誕生日プレゼントを選びに来ていた。
今回訪ねた専門店がたち並ぶ通りは、かつて『はじめてのおつかい』で来た、王都外縁にある市場通りより内側に位置する。王宮に一段近付く分、通りを歩く人達は一般市民より貴族の方が多くなる。
「初めてこんなにじっくりと見ました」
スフィアは通りをキョロキョロと見回し、そこに並んだ店々のショーウィンドウを、目を輝かせて覗きこんでいた。
さすがは王都。宝飾店や服飾店、雑貨店と、数えるのが億劫になるほど店がある。
「はは、いつもは、パーティに来たついでに見るって感じだったからなあ。こうして、じっくりスフィアの為だけに見るって事も、あまりなかったね」
王都の服飾店などに行かないわけではなかったが、スフィアがメインとして行くという事は、ほぼなかった。行くとすれば、母のレミシーがドレスを新調するときに一緒について、ドレスを仕立てて貰うときくらいか。
基本的にドレスなど衣服は、家にテーラーが来て、デザインカタログや布見本から選んで注文するというのが一般的である。わざわざ王都まで出向かずとも、最新のデザインのものが手に入る為、王都から遠い場所に住んでいる貴族ほど、この方法をとる。
レイランド家は、王都から遠くも近くもない絶妙な位置の為、半々の利用頻度であった。
「スウィーティが楽しんでくれているなら良かったよ」
ジークハルトの手が、帽子の上からスフィアの頭を撫でた。
「大丈夫だよ、スウィーティ。心が曇るときは少しくらい休んだって良いんだ。無理をして、余計に心を曇らすことはないさ」
スフィアは帽子のツバをグッと下に引っ張り、ジークハルトの慈愛に満ちた視線から顔を隠した。
「……ありがとうございます、兄様」
今日は平日――つまり普通に学院がある日だった。しかしスフィアは学院には行かず、こうして王都に買い物に出ている。
それもこれも、先日のガルツとの一件がスフィアを悩ませていたからである。
答えを出さなければならない。しかし、その答えが出てこない。答えの出ないまま、ガルツと顔を合せるのは避けたかった。
憂鬱そうに朝食をとるスフィアに、何かを察したのだろう。ジークハルトは、突然スフィアに『今日は二人で散歩でもしようか』と、有無を言わさずスフィアを王都へと連れだした。
「兄様……人の心とは、ままなりませんね」
十四の少女が言うには、いささか勝ちすぎた台詞だったが、ジークハルトは「そうだね」とだけ返し、それ以上はなにも聞かなかった。
彼のその優しさがスフィアには嬉しかった。
「それにしても」と、スフィアはガラスに映った自分の姿を見て、首を傾げた。
「今日の私の格好は、少し地味じゃありませんか?」
一応はドレス姿なのだから、地味と言うのも語弊があるが。
しかし、通りを歩く令嬢達の格好――パニエでスカートを膨らませ、胸元や裾には金刺繍やビーズ、細やかな宝石を散らしてある――を見れば、僅かな飾りしかないシンプルラインのスフィアのドレスは、確かに見劣りするのかもしれない。
このドレスを指定したのは、ジークハルトである。彼のセンスは悪く無かったと思うが、今回は選び間違えたのだろうか。
そんな、僅かな不満がこもった視線をジークハルトに向ければ、彼は笑って、スフィアの肩口に流れる髪に触れた。
「大丈夫。ここにいる誰よりも綺麗だよ、マイ・スウィーティ」
ジークハルトはスフィアの髪から手を離すと、「今度はあっちの通りも見てみようか」と、先に行ってしまった。
触れられていた肩口の髪に目をやれば、毛先が綺麗に整っている。どうやら、髪を整えてくれたらしいのだが……
「…………デロ甘」
まあ、今回はその甘さに助けられたのだし、少しは多目にみるとしよう。
その後も、二人して様々な店を見て回った。その中で、スフィアが「ここが良い!」と言って一軒の宝飾店へと入った。
店の名は『La rose du Grand Acres(偉大なるエイカーの薔薇)』。
ドア横にかかった濃紺の看板に、金の文字で控え目に書かれた店名。その看板の存在感の薄さは、大通りから外れた路地奥に、ポツンと佇むこの店を現わしているようだった。
「随分と年季のはいった店だな」
店内を見回し、ジークハルトがしみじみとした声で漏らす。
店は通りに面した宝飾店の半分ほどの広さしかなく、床板や壁の腰板は、所々ニスが剥げている。ジークハルトが言った通り、かなり年季がはいっている。
宝飾品が飾られている台も正面の一台しかなく、数も他の店に比べはるかに少ない。ただ、台にかけてある黒い毛氈には埃一つなく、飾られている品々の輝きも、今まで見てきたどの宝飾品より澄んでいるように感じた。
「それにしても、ここにある品はどれも一級品だ……いや、これは相当だな。下手したら、グリーズが持ってるやつより、造りがいいぞ……」
まじまじと飾られている品を鑑定士のような目で見つめるジークハルト。その瞳は感嘆に丸くなっている。
「お出迎えが遅れてしまい、申し訳ありません。お客様など中々に珍しくてですね」
すると店の奥から、品の良い店主が小走りで現れる。
見た感じ五十代くらいだろうか、掻き上げられた黒い前髪には、白い筋が混ざり始めている。店の看板と同じ色した濃紺のズボンとベストに、長袖の白シャツというシンプルな姿からは、清潔感が漂ってくる。
「こちらこそ勝手に覗かせていただき、失礼いたしました。それより、こちらの品々はどちらの工房のものでしょうか? 見たところ刻印もありませんし……研磨も彫刻も、これほどの技術、今までお目に掛かったことがない」
ジークハルトの絶賛の言葉に、店主の口角が僅かに持ち上がった。穏やかそうな目元に刻まれていた皺も、その数を増やす。
「実はこれらはわたくしが作ったものでして。いやあ、いつぶりでしょうか、お客様にそのように言っていただけるのは。お世辞でも嬉しいですね、ありがとうどざいます」
「こちらの全て、店主お一人で!?」
普通の店より狭いと言っても、並べてある品の数はゆうに百は超える。これを全て一人で作ってきたとなると驚愕ものであった。
店主は「ええ、まあ」と後頭部を掻きながら、照れたようにはにかんだ。
スフィアは、その愛嬌のある店主の姿に、たちまち好感を持つ。
「あ、自己紹介がまだでしたね。わたくし、ショウゼン=エイカーと申します。この店はわたくしで四代目でして、わたくしも宝飾細工師を細々と……と言いますか、それしか取り柄がないのですがね」
「私はレイランド侯爵家のジークハルトです。それと、妹のスフィアです」
「ようこそ、『グランエイカー』へ。どうぞ、ごゆっくりとご覧くださいませ」
胸に手を添え、深々と頭を下げたエイカー。
よく見ると、彼の指先は皮が厚くなっているのかゴツゴツして、爪は深すぎるほどに整えられている。それに白シャツも、バンドで捲った袖を固定されており、このような店の店主としては珍しい格好ではあった。
大抵、客を迎える店主の袖には、自店の商品であるカフスなどが宣伝もかねて付けられていたりするのだが、彼は装飾品など一切身に付けていない。
きっと、奥で作業をしていたところ、慌てて出てきてくれたのだろう。
「兄様、私、こちらのお店でおねだりしても良いですか?」
「ああ、ここの品はどれも素敵なものばかりだ。きっとスフィアに似合うよ」
ジークハルトは飾ってある宝飾品を手に取ると、スフィアのドレスにかざした。それを合図として、「これも合うな」「いや、あっちも捨てがたい」などと次々と、ジークハルトの見立てが始まる。
どんどんと飾られていくドレス。
「に、兄様、あの、そんなに沢山は……」
「ああ、これはスフィアのおねだりとは別だから。勝手に僕が贈るのだし、スフィアは気にしない気にしない」
「気にしますけど!?」
流石に上半身だけで、ブローチを十個も飾られれば気にもする。気が付けば、彼はしゃがんでドレスの裾にも色々付けようとしていた。
「いやあ、やっぱりドレスをシンプルにしてよかった! 実に飾りがいがある!」
――いつもよりシンプルなドレスを着るよう指定されたのは、このためだったのね。
ドレス選びの基準がおかしい。『TPO』の『O』の認識を間違っていやしないか。
しかし、ジークハルトが絶賛するほどの宝飾品である。さすがに、これ程は買えやしないだろう。侯爵家と言えども、嗜好品にかけられる額にも限度はある。
スフィアは、胸元に勝手に飾り付けられたブローチの一つを指さし、エイカーに尋ねる。
「あの、こちらはおいくらでしょうか?」
「そちらは、五百ゴールドです」
「ご、ごひゃ……っ!? 市場の十分の一ではないですか!」
スフィアより先にジークハルトが驚きの声を上げた。
「いや、この品質ならば、市場の倍の値でも買う人はいますよ」
スフィアもエイカーの言った値段に驚いていた。宝飾品の価値に詳しいわけではないが、それでも安すぎると。
この世界の通貨単位には『シンス』と『ゴールド』の二つがある。前世の価値と照らし合わせて、一シンスが約一円であり、一ゴールドが約千円。とすると、五百ゴールドというのは約五十万円。
大粒のイエローダイヤの周りを蔦を模した金細工が囲い、透明度の高いメレダイヤが雨粒のようにあしらわれたデザイン。宝石の希少性が前世とは違うのかもしれないが、それでも市場では五千ゴールドであり、これが五百ゴールドと言われれば、ジークハルトの驚きようも納得である。
しかし、エイカーは困ったように笑うだけだった。
「はは、売れないものに高値を付けても仕方ありませんから」
年季の入った店内。ニスが剥げた腰板。歩く度に軋む床。エイカー以外に店員がいる気配もない。確かに客入りが良さそうとはお世辞にも言えなかった。
「いえそれでも、このように安い額では――」と、ジークハルトが言いかけたとき、入り口のドアが乱暴に開けられた。蝶番がキィキィと悲鳴を上げるかのように軋んでいる。
「その通ーり! このようなさびれた店のしがない安物など、そちらのレディには似合いませんよ!」
ドアをぶち破るようにして入ってきた青年は、煌びやかな貴族服を纏い、プライドの高さを表わすようにツンと鼻先を上向かせていた。
宝石のような紫の瞳が印象的な、金短髪の青年。ジークハルトと同じか、少し下くらいだろう。
「……失礼、どちら様で?」
先程までの温度が嘘のように、ジークハルトの声も表情も冷えに冷えていた。漂ってくる冷気で、思わずスフィアはブルッと身を震わせた。
「これは不躾なお声がけ申し訳ありません。あまりにお美しいレディが、こちらの店に入るのを見掛けたものですから」
青年は、申し訳ないと微塵も思っていない張りのある声で、腰を折った。
「お初にお目に掛かります。パウロ子爵家が長男、マルコー=パウロと申します」
東方見聞録でも書いていそうな名だ。
それはそうと、挨拶をされれば返すのが礼儀である。たとえ、これ以上関わりを持ちたくない相手と言えど。しかし、ジークハルトが重々しそうに「私は」と口を開くより早く、マルコーが口を出した。
「存じ上げております。レイランド侯爵家のジークハルト卿と、スフィア嬢ですよね」
「ご存知いただけ、光栄です」
「スフィア嬢の赤髪は社交界でも有名ですからね。また、お二人のその宝石も霞むほどの美貌も」
おべっかには慣れているジークハルトやスフィアでも、こうあからさまに言われると、あまり良い気はしない。しかしそのような感情は、おくびにも出さないのが貴族。二人して、無言でにこやかな顔をマルコーに向ける。
「お二人の高貴さには、このような安物の曇った輝きより、王都一の店舗、品数、品質、人気を誇る、我が『パウロ・ビジュテリエ』の品がお似合いですよ。是非、ご招待させてください」
なるほど。大通りの店を眺めているときに、似たような雰囲気の店がいくつかあるなと思ったら、全てマルコーの家の店だったのか。通りで口が上手いはずだ。生粋の商売人だろう。
ジークハルトはチラとエイカーに視線をやる。
彼は、マルコーが目の前で商品をバカにしているというのに、苦笑に口を閉ざしているだけであった。相手が貴族ということもあり、何も言えないのもあるだろうが、きっと彼の控え目な性分が大きいのだろう。
「スフィア一旦出よう、これ以上は迷惑が掛かる」
「はい、兄様」
ジークハルトはスフィアの耳元で呟くと、次の瞬間には、貴族としてのにこやかな仮面をかぶり、マルコーに承諾の意を示していた。
二人はエイカーに礼を言い、マルコーの後を付いて店を出た。




