30.今までは……な
ガルツを残し、一足先に生徒会室に戻って来た四人。
グレイの公務予定では、校内案内の後は、教師陣との教育現場の意見交換とかそういったものだったはずだ。その後は、特にグレイから声が掛からなければ、生徒会の仕事はこれで終了の予定である。
「いやあ、友人がしっかり社交してるの見ると驚くよね」
「それよね。まさかガルツがあそこまで出来る男だったなんて。いつも生徒会室でギャアギャア言ってるだけかと思ってたけど」
「そこはやはり、さすがアントーニオ公爵家令息と言ったところでしょうか」
ブリックの驚きと感心のこもった声を皮切りに、次々と、友人が一足先に大人の階段に足を掛けた姿に感嘆の言葉がやり取りされる。
確かに、スフィアにとってもガルツのあの姿は衝撃的だった。
本当ならば、「すっかり大きくなって~」などと近所のおばちゃんチックな事でも言いたいのだが、とてもそういった冗談を言える気にはならなかった。
――そんな、まさか……。
スフィアは三人から一歩離れたところで、思案に暮れていた。引きつりそうになる口元を隠すように手で覆い、視線を足元に向ける。
――だって、一度折ったじゃない。
先ほどのガルツの自分を見る目、声、態度、その全てには仄かに嫉妬が滲んでいた。
グレイの好意は分かる。認めはしないが。対して、彼――ガルツのフラグは一度しっかりと折ったのだ。五年も前に。
今朝までガルツは普通だった。ごく普通の挨拶を交わし、「緊張してきた」などと軽口を言いあっていた。
――大丈夫よ。まだあの程度の嫉妬なら、上手く躱せるわ。
きっと、あれは恋心からの嫉妬ではなく、友人をとられるかもという意識から刺激された独占欲の表れだろう。であれば、いつも通りを貫き通せば、そのうちガルツも元に戻るだろう。
「――ァ、――フィア、スフィアってば!」
「んえ!? あ、あぁ、ブリックですか……どうかしました」
名を呼ばれていたことにも気付かないくらい、潜心していたらしい。慌てて、何でもないと明るい声を出して、ブリックに笑顔を向ける。しかしブリックはスフィアとは対照的に、顔を曇らせていた。
「…………スフィアさぁ」
そこから先のブリックの言葉は、生徒会室の扉を開ける音で阻まれた。
どうやら、役目を終えたガルツが戻って来たようだ。
――普通よ。気にしない。普通を貫くのよ。
しかしスフィアの決心を嘲笑うかのように、この世界はスフィアに優しくない。
「お疲れ様です、ガル――ッキャ!」
生徒会室に戻ってきたガルツは一直線にスフィアの元へ向かうと、無言でスフィアの腕を掴んだ。そしてそのまま、ガルツはスフィアの腕を引いて、戻って来たばかりの生徒会室を出て行こうとする。
「ガ、ガルツ!? い、痛いですって!」
ぐいぐいと引っ張られ、手首に痛みが走る。
「ちょっとガルツ! スフィアが嫌がってんでしょ、離しなさいよ!」
「ガ、ガルツ、落ち着いてください! どうしたんですか!?」
リシュリーとカドーレが、ガルツの暴挙ともとれる行動に慌てて制止をかける。しかしガルツの歩みは止まらない。
「うるせぇ、口出すな」
ガルツは冷たく言い放つと、邪魔するなとでも言うように、乱暴に生徒会室の扉を閉めた。
「は、はなして……ください……っ、ガルツ!」
「いやだね」
ガルツはスフィアの手を引き、ズンズンと廊下を進んでいく。どこに行こうとしているのか。どこに連れて行かれてしまうのか。
「――――ッ!!」
いつもの様子とまるで違うガルツに恐怖を覚えたスフィアは、ありったけの力を使って手を振りほどいた。と、同時に踵を返しガルツから逃げる。
後ろでガルツの「スフィア!」と叫ぶ声が聞こえるが、スフィアは足を止めなかった。
どこへ逃げれば良いのか。とりあえず密室にはなれない場所を、との思いで駆けていたらいつの間にか外へと出ていた。
背後からはガルツだろう足音が迫ってきていた。
その音から遠ざかるようにしてスフィアが辿り着いた先は、学院の裏庭であった。木々に囲まれ確かに開放感はあれども、人の気配はない。
「しまった」と思った時には遅かった。
「ははっ……あの時みたいだな」
追いついてきたガルツを正面に、スフィアは自分の背後を見遣った。そこには樹があり、完全に追い詰められていると言える状況。
「ま、あの時みたいには、もう落とし穴に引っ掛かってやれねぇがよ」
ガルツの言うとおり、こうやって二人で対面していると、五年前のあの日を思い出すようで少し笑えてくる。しかしあの日、落ちた穴の底から見上げてくる瞳は怒りだったのに、今彼が向けてくる瞳は随分と色が違う。
「きゅ、急にどうしたんですかガルツ……だってさっきまでは全然普通に――」
「お前、グレイ殿下の許嫁なんだってな?」
「――っど、どうしてそれを!?」
思いもよらないガルツの言葉に、思わずスフィアは肯定の言葉を叫んでしまう。慌てて口を手で蓋しても時既に遅く、ガルツは小さく舌打ちをすると、「本当かよ」と忌々しげに口を歪める。
「案内した際、殿下がご丁寧に教えてくれたよ。『許嫁のスフィアをよろしく』ってな。俺のお前への態度に、思うところがあったんだろうな」
せっかく何事もなく視察を終えたと思ったら、グレイは最後にとんでもない爆弾を落としていったらしい。なんという事をしてくれたのだ、あの腹黒王子は。
「落ち着いてください、ガルツ。その許嫁というのは親同士が勝手に決めた事で、両家共に正式には認めておりませんし、私もグレイ様には何度もお断りを伝えています」
「ははっ、何度も伝えてんのに殿下はまだお前にご執心なんだな? ……今までの男達みたいに、こっぴどく振っちまえば良いだろ」
「何度もそうしています」
「の割りには、随分と親しげだったよな」
「そういう……ちょっとメンタル強度が異常な方なんです」
「俺とどっちが強いんだろうな?」
眉を顰め歪に笑うガルツ。その声には好戦的な響きがあった。と同時に自嘲の響きも含まれていた。
ガルツの手がスフィアの肩に伸びた。触れる指先は優しくはあったが、しかし逃がさないという確固たる意思が感じ取れる強さ。かつても、こうして樹を背にしてガルツに追い詰められた。その時はガルツとの距離は互いに手を伸ばしても届かない程あった。
今は手を振り払っても意味が無い程の距離しか残っていない。
「……お前が誰とも付き合う気が無いのも知ってるし、俺もお前とそんな関係を別に望んじゃいねえよ」
その言葉にスフィアは胸を撫で下ろし、小さく安堵の息を吐いた。
「そう、良かっ――」
「今まではな」
「え……っ」




