28.嫉妬
「~~~~っ突然、どうされたのでしょうか、殿下ぁ!?」
あちらこちらで「スフィアー!」やら「殿下ー!」やらの絶叫が聞こえる中で、周囲を木々に覆われ、花々の蔦が頭上を覆う絶好の隠れ家にスフィア達はいた。
スフィアは膝と一緒に手までついた芝生の上で、声を震わせ、目の前で周囲の混乱などどこ吹く風とばかりの男を睨みつけた。
「いやあ、せっかくスフィアに会えたのに、そんな他人行儀な態度じゃもったいなくてね。それに、こうして二人きりだと制服デートみたいだろう」
確かにグレイの格好はいつもの貴族服ではない。公務用なのか、国王と同じ長衣と肩掛けマント――ペリースを着ている。かっちりとした印象があり、確かにそのような制服に見えないこともな……いや、豪華過ぎる。
「と、ともかく、周りに迷惑がかかりますから!」
「温室内にいるって事は分かっているんだし、それに俺の相手は、屈強な海賊でも山賊でもなければ、ただのか弱そうな美少女だ。護衛達もしばらくすれば、大人しく入り口で待ってるだろうさ」
グレイは、はははとのんびり笑うと、木の幹に背をもたれさせすっかり寛いでいた。
いつもの『グレイ』ならば、置いて一人で戻るのだが、今、彼は『王子』であり、自分はその案内役である。クライアントを置いて出て行ったら、護衛達に袋叩きにされる可能性すらある。
未だに「殿下ああああっ!」と、喉から吐血してるのでは、と思うほどの叫声を聞けば、その可能性も無きにしもあらず。誰だ、この世の終わりみたいな叫び方をしているのは。
時折「魔王嬢~」などと、気の抜けた声も聞こえるが、その対処は後でするとしよう。恐らくは金髪の方である。
「はぁ」と溜め息をつき、スフィアも、改めてしっかりと芝生に腰を下ろした。
「どうして、グレイ様はそれほどに私に構われるのですか」
許嫁の件は親同士の口約束でしかなく、正式なものではない。
「以前も言いましたが、グレイ様なら、もっと相応しいご令嬢がいると思いますよ。例えば、気が強そうに振る舞ってはいるけど本当は面倒見の良い心優しき押したら押せそうな金髪ウェーブの碧眼美女とか……」
「例えが特定人物すぎるんだが」
「大公家の……」
「確定だよな」
グレイは思案するように、頭上に張り巡らされた蔦にそって視線を移動させる。そうして視線がスフィアに辿り着けば、グレイはニイと口角をつり上げた。
「俺は、普通のご令嬢には興味がないんだよ。美しいとか美しくないとかではなくな」
「喧嘩売ってます? 高値で買いますが」
暗に普通ではないと言われてしまった。
グレイは苦笑しながら「とんでもない」と手を振る。
「俺の言っている普通ってのは、夫や家の爵位を頼りに、自分の欲望と自尊心を満たすことだけに精を出している、多くのご婦人ご令嬢方のことだよ」
「良いんですか、王子がそのようなことを言って」
「スフィアはここぞとばかりに俺の弱味を握ったと、吹聴してまわるような者じゃないって知ってるからね。それに俺も外面は良いからさ!」
こういうところが、ジークハルトが腹黒いと評する由縁なのだろう。
「まあ、自国の王子を貶めて、良いことはありませんからね」
「そういう、国益に関する打算が自然とできるってのも、稀有なことなんだよ。普通は自分の周りだけにしか意識がむかない。俺はこういう身分だ。その隣に立つには、自分だけっていう考え方の者は相応しくないんだよ」
「でしたら尚更、私は相応しくありませんよ。私はアルティナお姉様のことしか考えておりませんから」
グレイは「本当、好きだな」と薄く笑い、肩をすくめた。
笑いを収めると、グレイはスフィアをじっと見つめ、おもむろに手を伸ばす。
「本当……昔から君は変わらないな。その一途さもまた、魅力的なんだけどな」
グレイの形の良い指先がスフィアの頬に触れた。
スフィアは動けなかった。手を払うことさえできない。向けられた目が、まるでスフィアの全てを見透かしているような、見透かした上で、その全てを抱擁するような温かさを含んでいたから。
両親から向けられる見守るような愛の目ではない。
ジークハルトからの過激な愛の目とも違う。
それはスフィアが――いや、涼花の時を含めても、初めて向けられた目。
「…………っ」
彼が、自分の何を知っているというのか。自分の過去も知らないと言うのに。
『好きになったのは間違いだった』
不意に耳の奥に蘇った、この間の男達の台詞。
そして同時に目の奥に蘇った、『伏見』と『詩織』の映像。
結局いつでもその好意は、都合が悪くなれば、自尊心を保つためなら、いとも簡単に掌返しされてしまうような薄っぺらいものばかりだった。
スフィアの唇が震える。震えて薄く開くが、何も発せずキュッと閉じられる。グレイの視線と温かな指から逃れるように、スフィアは、フイ、と顔を横向けた。
スフィアは自らの腕を握った。自分を抑えるかのように。その腕を握る手に込められた力は、爪が食い込むほどであったが痛みは感じなかった。ただ、思い出された記憶に、胸の内がグチャグチャと不快に塗りつぶされる。
「……グレイ様も、私がこんな容姿をしてなければ、そのような感情を持つこともなかったでしょうね」
自嘲に口端が歪に吊り上がったスフィアの横顔を、グレイは眉を顰めて眺めた。いつものスフィアでないのは一目瞭然である。
「どうして、そんな悲しいことを言うんだ。言っただろう、俺は美醜はどうでも良いと」
「皆、最初は口を揃えてそう言うんですよ。けれど、もし私よりもっと綺麗な人が現れたら? その人がグレイ様を好きだと言ったら? きっと、心変わりなんてあっという間ですよ」
――そう、彼のように。
脳裏に蘇る伏見の顔。たった三日で、かつて好きだった者を、まるで犯罪者を見るような目で見てきた男。
「誰の話をしている」
スフィアはハッとして、思わず顔をグレイに向けた。
完全に、意識がスフィアではなく涼花になっていた。
「それは俺じゃないだろう。誰の事を想ってそんな顔をしているんだ、スフィア」
「……っ」
後ろめたさに、スフィアは上げた顔を俯かせようとした。
しかしそれは、グレイの手によって阻まれる。
「さすがの俺も、目の前で他の男を想われちゃあ――」
スフィアの頬に添えられた手は確かに優しいものだったが、先ほど頬に触れたときとは比べものにならないほどに、力強いものだった。伏せるな、とでも言うように無理矢理に顔を上向かされる。
「――嫉妬の一つくらいするんだがな」
上から覗き込むように顔を近づけられ、スフィアは強制的にグレイのその青い瞳を覗き込まなければならなかった。グレイの目には苛立ちと焦燥が見え隠れしている。そしてその瞳に映る女は、悔悟と悲哀に顔を曇らせており、スフィアはそれが自分の今の表情だと気付くまでに時間を要した。
その間も、グレイとの距離は少しずつ縮まり続け、いよいよ鼻先が触れる、となった瞬間――




