24.兄様! 兄様!?!?
「本当、よくできたストーリーだったわ」
スフィアは前世の記憶に苦笑を漏らした。
まるでどこぞの『好きな人をヒロインに片っ端から奪われる悪役令嬢』が出てくる乙女ゲームのようなストーリー。その場合、やはり詩織がヒロインで、自分が悪役令嬢なのだろう。
そして、あの場が断罪イベントだったというわけだ。
「涼花は詩織を守る者達によって、めでたく日陰者となりました」
涼花は進学先に知人のいない大学を選び、苦い記憶からは離れた。しかし、やはり一度傷ついたものは簡単に治るはずもなく、大学では自ら一人でいる事を選んだ。そして暇を持て余して、ふらりと入った店で出逢ったのが『アルティナ』だったと言うわけだ。正確にはアルティナが描かれたゲームなのだが。
「ストーリーが笑えるくらいに似てたし……思わず制作者は詩織じゃないかって疑ったほどだもの」
最初はアルティナの『負けない』とでもいう、強い意志のこもった瞳に惹かれた。
――私は諦めてしまったから。
ゲームを進める中で彼女の持つたくましさや、最強のライバルであるヒロインにも全身全霊でぶつかって、素直に感情を吐露する姿に眩しさを覚えた。
――私は最後の最後まで行動できなかったから。
境遇は同じなのに、まるで違うアルティナ。そこに涼花だった頃の自分は、強い羨望を抱いた。恋と言える程の執着。
それは、願望の自己投影だった。
「それでヒロイン転生だもの、笑っちゃうわよ。……ヒロインも悪役令嬢も、本来は何も変わらないってのに……」
見る方向が違うだけで。
ヒロインを中心として回るこの世界では、アルティナは悪役令嬢だろうが、アルティナの視点に立ってみれば、想い人を片っ端から奪っていくスフィアこそが、悪役令嬢なのだ。
「ここまで涼花と似てるお姉様を……もう一度、私の手で不幸になんてできないのよ」
それは、自分の手で『涼花』を否定することになるから。
――私は、未だに前世からの傷を引きずってるわ。
だからこそ、自分を救うためにも、スフィアは悪役令嬢を幸せにする義務があった。
きっとこの呪縛から解放されるのは、アルティナが幸せを手に入れた時だけなのだろうから。
辛い記憶に消耗した精神を癒やすため目を閉じ、しばらくベッドに寝転がっていると、ノックの音が部屋に響いた。
身を起こし、入室の許可を口にすれば、入ってきたのはジークハルトだった。
ジークハルトは、着替えもせずベッドに座ったままのスフィアに、一瞬驚いたように眉を動かした。しかしすぐに、目元を緩めると同じように彼もベッドの縁に腰を下ろす。
「スウィーティ、学院でなにかあったのかい?」
その声音は、夕食の談話時のような『聞かせて』というものとは違い、『大丈夫か』と案じるようなものだった。言いたくなければ言わなくても良いよ、とスフィアを慮った慈愛のこもった問い掛け。
ジークハルトはスフィアに手を伸ばし、そっとその頭を腕の中に迎え入れた。赤子をあやすように、スフィアの頭を軽く撫でる。
いつもならば、「もう子供じゃないんですから!」と逃げ出すスフィアも、今は抵抗せずにその温かさを素直に受け入れていた。
「僕は何があろうと、スウィーティが一番だからね」
何も言わず静かなスフィア。それでもジークハルトは、無理に口を割らせるような事はせず、ただ優しく髪を梳き、家族の誰も持ち得ない鮮やかな赤髪に頬を寄せた。
どれくらい、そうしていただろうか。部屋には、時計の針が規則的に時を刻む音だけが響いていた。
そうして、人の気配も空気に溶け出して消えてしまいそうになった時、ようやくスフィアの口が開いた。
「……大丈夫です。ちょっと……昔の事を思い出して、感傷に浸っていただけですから」
まだ十数年しか生きていない小娘が『昔』などと言えば、大抵の者はマセた物言いだと笑っただろう。しかし、ジークハルトは「そう」と答えただけで、笑いもしなかった。
スフィアの頭を撫でていた手が止まると一緒に、ジークハルトは「そうだ」と呟く。
「スウィーティ、今度一緒に街に買い物に出ようか。この間、誕生日だっただろう。欲しいものを買ってあげるよ」
「お買い物、ですか?」
預けていた身体を離し、ジークハルトを見上げる。彼はにこやかな顔で頷いた。
「何だって良いよ、スウィーティの欲しいものなら。ご所望なら、王子の命でも殺ってきてあげるよ」
「…………ん?」
聞き間違いだろうか。今、不敬という範疇を超えた、国家反逆罪に問われかねない言葉が聞こえた気がしたが。
しかし、その言葉を口にした張本人は、『卵をとってきてあげる』と言っただけだとばかりに、無垢な笑みを浮かべている。むしろ、スフィアの疑惑の視線をうけ、どうしたとばかりに首を傾げている。やはり聞き間違いか。
「も、もうっ、兄様ったらぁ。卵はちゃんとメイドが買ってきますか――」
「この間、あいつと一緒の馬車に乗ったんだって?」
サァーッ、とスフィアの顔から、尋常じゃない速さで血の気が失せていく。
「しかも、往・復。二度も」
「ぃいいいえ……ぁ、あの……そそそれは、アルティナお姉様に会うため、し、仕方なくと言いますか……ぇと、その……」
スフィアの視線は、壊れた時計の振り子のように高速で左右に揺れ、言葉はしどろもどろになり、背中は次第に丸くなっていく。というか、どうして彼はそのような事まで知っているのか。
ジークハルトは「さて」と立ち上がると、ドアへと足を向けた。
「じゃあ、スウィーティは欲しいものを考えておくんだよ。今度の休みにでも、一緒に王都へ行こう」
追求されることもなく、案外あっさりと終わった事に、スフィアは拍子抜けしながらも、安堵に胸を撫で下ろした。彼の行動は、レイランド家の存亡に関わりかねない。
「分かりました、楽しみにしてますね」
スフィアが頷けば、ジークハルトも嬉しそうに頷いた。
肩をブンブンと回しながら。
「…………」
ブンブンぶん回している。肩が凝ったからマッサージを、というレベルではない。まるで、なにかのウォーミングアップ。
「……あの、つかぬ事をお聞きしますが、その……なにを?」
「ほら、狩りのシーズンは終わってしまったけれど、腕がなまらないように適宜練習は必要だろう? …………ちょっと王都に行ってくる」
「王都にはライチョウもキツネもいませんが!?」
「大丈夫、大物を狩ってくるよ!」
「自重! 兄様、自重っ!!」
レイランド家だけでなく、王家の存亡も彼にかかっているのだろう。




