20.あと少しですね……
その日は朝から、リシュリーのクラスは騒然としていた。
「へえ、そうだったんですね! ラヴィーユさんったら、とても博識で素敵です」
「これくらい、褒められるほどの事ではないさ。それより、もうじき授業も始まるし、そろそろ自分の教室に戻ったらどうだ」
「もう少しだけ……ギリギリまでここに居てはいけませんか?」
頼りなげに眉尻を下げ、上目遣いに懇願とも言える声を出すスフィアに、二人の様子を遠巻きに観察していた者達からどよめきが沸き起こる。
ラヴィーユは、「好きにするといい」と気のない返事をすると、自らの授業の準備に取り掛かっていた。
スフィアの異名――『棘の薔薇姫』と言う名を知る者達は、棘の欠片もない彼女の甘々な姿に、驚きを隠せないでいた。
そして、そのスフィアのラヴィーユに対する甘々な態度は、朝だけに留まらなかった。
「ラヴィーユさ~ん、一緒にお昼に行きませんかぁ?」
赤髪を揺らし、手を振りながらラヴィーユに駆け寄るスフィア。その顔には満面の笑みが飾られ、見る者を釘付けにする。
しかし、ラヴィーユはまたも素っ気ない態度をとる。
「光栄なお誘いだけど、俺はストーゼンと行くから。スフィア嬢もフィオーナ達と行けば良いさ」
しかし、ここで諦めないのがヒロインである。
スフィアはぎゅう、とラヴィーユの腕に抱きついた。周囲から囃し立てるような声が上がる。
「そんな寂しいことを仰らないでくださいな。せっかくの機会ですから、私……ラヴィーユさんと仲良くなりたいんです」
もっと、と頬を赤くして俯きながら付け加えれば、周囲のボルテージも最高潮までうなぎのぼり。完全に見せ物である。
衆人環視のど真ん中で繰り広げられる、学院きっての有名人の色恋劇場。
瞬く間に噂は学院中を駆け巡り、放課後になる頃には全校生徒のみならず、教師陣までが知ることとなった。「常日頃男を袖にしているあの棘の薔薇姫も、とうとう陥落か」と。
一躍有名人となったラヴィーユの周囲には、休み時間の度に男子生徒が群れをなし、スフィアの事をどうするのかと、興奮に鼻息を荒くしていた。
その度にラヴィーユは、「どうするもないさ。俺はそんな目で彼女を見ていないからな。元より興味もないし」と、余裕に鼻を鳴らして返す。
すると男子生徒達は「おお~」と、まるで勇者を見るようにラヴィーユに羨望の眼差しを向けた。やはり、彼女に想いを寄せられる男は、ひと味違うなと。
「でも、もったいないよなぁ。俺だったらすぐにオッケーするのに」
取り巻いていた中の一人が言えば、自分も僕もと、方々で同意の声が上がった。
「まあ……彼女に告白されたら、考えないこともないかな」
と言いつつ、ラヴィーユのまんざらでもない態度に、またもや周囲は沸き立った。
放課後、ラヴィーユの元にスフィアが、一緒に生徒会室へ行こう、とやって来た。
二人は並んで真っ直ぐな廊下を歩く。もう生徒会室はそこである。
「申し訳ありません、変な噂が広まってしまって。ラヴィーユさんは、私に興味がおありではないと言うのに」
「そ……、気にすることないさ、所詮は噂だからな」
ラヴィーユは、スフィアを一瞥したくらいですぐに視線を前方へ戻し、生徒会室を目指す。
しかし隣を歩くスフィアの足は、パタリと止まった。聞こえなくなった足音を不思議に思ったラヴィーユが振り向けば、そこには俯き、肩を震わせるスフィアの姿が。
艶めく赤髪が肩口から流れ落ち、窓から射し込む夕陽を受けキラキラと輝く。しかし、髪は燃えるような強い煌めきを発しているというのに、今の彼女はとても頼りなげにラヴィーユには見えた。
「スフィ――」
思わず声を掛けてしまえば、途中でスフィアの声が遮る。
「もう、明日にはお別れですね」
ポツリと呟かれた声も震えていた。次の瞬間、顔を上げたスフィアの目尻が、横からの夕陽を受けきらりと光った。
「寂しくなりますね」
言って、スフィアは笑ったが、その笑みはとても弱々しかった。無理して笑顔を作っているかのように。二人の間には寂寥を帯びた沈黙が流れた。
そしてその二人を、生徒会室の中から顔を覗かせ見守る者が三人。
「きゃあああ! やっぱりスフィアさんはラヴィーユにほの字なのね!? 明日かしら! 明日告っちゃうのかしら!!」
「待って待って待って!? 本当にスフィアはラヴィーユの事が好きになっちゃったの!? 嘘よ! 信じないわ! あたしのスフィアなのよ!」
「とりあえず二人とも落ち着いて。スフィアはリシュリーのじゃないし、あとフィオーナ嬢は言い方が古い」
フィオーナと、リシュリーと、ブリックであった。
フィオーナとリシュリーは、声を潜めながらもキャアキャアと叫声をあげている。といっても、二人の心情は正反対なのだが。
「ねえ、ブリック! 本当にスフィアは――!」
「大丈夫だよ」
ブリックの腕に縋りついて振り回すリシュリーに、ブリックはピシャリと言い放った。
「大丈夫」
念を押すように。
ブリックのその言葉に根拠はなかったが、なぜか有無を言わせぬ説得力があった。
それはきっと彼の目が、この世の全ての不幸を見てきたかのような、全てを悟った眼をしていたからだろう、とリシュリーは後に語った。




